東京えっちナイト 2
- 2016年06月12日
- 小説, 東京スペシャルナイト
「いらっしゃいませ」
宇宙の声が店内から聞こえる。
ラベンダーは予想どおり、お昼過ぎにはOLやサラリーマンで混雑していた。
十分間マッサージというのが人気で、料金も千円とお手軽な感覚が受けたようだった。
忙しそうに次々とお客様にマッサージをしていく宇宙と遼一。
そんな二人の様子を、向かい側のオフィスビルの二階の喫茶店からじっと見つめている人物がいた。
それは紅林組の組長であり、遼一の父親だった。
「組長、そろそろ戻りませんと・・・」
一人の幹部が、ずっとコーヒーを飲み続けてねばっている年老いた組長に声をかける。
白髪頭だが、ビシッとしたオートクチュールのスーツを着ている組長は、まだだとばかりに首を横に振った。
「ですが、オープン前からもう三時間にもなりますし・・・」
「うるさいっ!俺はまだ見ていたいんだ。事務所に帰りたいなら勝手にお前たちだけで帰れ」
「組長〜・・・」
「息子が働いている姿を見ていて何が悪いってんだ。そうだろう?それより、もっと豪華な花にできなかったのか?祝い花の数もあれじゃ全然足りんだろうがっ!」
店の前にドーンッと置かれた開店祝いの花輪を見て、組長がイライラしたように言う。
その言葉を聞いていた周りの幹部たちは、困り果てたように顔を見合わせた。
「・・・ですが組長。あれ以上置いたら、店が見えなくなりますよ?」
「店が見えなくなるのが悪いのか?どうせだったら、ドーンッと豪華にやったほうがいいじゃないか?そうだろう、ええっ!?」
親馬鹿と成り果てた組長に、幹部たちは何を言ったらいいのかわからない。それぞれ窓側のテーブルに座っていた幹部たちは諦めたように、何杯目かのコーヒーを注文した。
「組長、あの様子だと全然諦めてないですよ、遼一を跡目に据えること」
一人の幹部がボソッと言う。
すると、とても怖そうな顔をしている幹部の一人が顔を近づけて、困ったように大きく頷いた。
「・・・本人にはまったくその気がないのに、困ったもんだ」
「俺たちで説得して、なんとか跡目に座っていただくか?」
「いや、それは無理だろうな。あの藤堂四代目の右腕的存在の桜庭さんが直接言っても首を縦に振らなかったっていうんだからな。組長にはかわいそうだが、遼一さんには極道の世界に入る意思がまったくないんだ」
「だがそれを本人が自覚していないから困るんだよ。やらなきゃならないことが山のように山積みしてるし、大事な会合はすっぽかし。最近の組長は遼一さんばかりで・・・」
幹部たちが雁首を揃えて話し込む。
組長はそんな幹部たちの話などまったく気にしないで、窓から最愛の息子をじっと見つめていた。
「だいたい、店が小さすぎるんだ。なんでもっとでかい店にしなかったんだ?金ならいくらでも融通しろと銀行に言っておいたのに、あの野郎。ケチりやがったな?」
組長が独り言を言う。
「店員ももっと雇えばいいんだ。見ろ、あの混みようを!あれじゃあ休む暇もないじゃないか。もっと店員を雇って自分は監視だけして甘い汁だけ啜ってればいいんだ」
コーヒー飲みながら、イライラしたように組長が言う。
幹部たちはその言葉を聞いて、困惑したようにため息を漏らした。
「遼一さんはそれをしたくないんだって」
「恋人と二人で汗を流しながら一生懸命働きたいんだって」
「だから跡目を継ぎたくないって言っているのに、どうしてわからないかなー?」
幹部たちが、またため息を漏らす。
その日、幹部たちはずっとその喫茶店でため息を漏らし続けた。
「心配して来てみたけど、なかなかどうして、すげー混んでるじゃん」
そう言って店の前を通り過ぎた丸君は、薄汚れた黒いパーカーと膝のあたりが破れたジーンズを穿いていた。
「よかったな」
店の中の混雑ぶりを見て安心したように頷いたてっちゃんは、肘のところが破れたチェック柄の上着とよれよれのスラックスを穿いていた。
二人はまた、ホームレスに戻っていた。
「だから言ったろ。あの二人なら絶対大丈夫だって。あんなことがあったって、屁でもないって」
と、てっちゃんが言う。
丸君はてっちゃんを見た。
てっちゃんは、まだ通り過ぎた店を何度も振り返っていた。
よほど宇宙のことが気になるらしい。
「もしかしててっちゃん、宇宙に惚れちゃったりして?」
と、丸君が言うと、てっちゃんは思いもつかないことを言われたというような顔をして丸君を見つめた。
「父親と息子ほども年齢が違うんだぞ。対象外だよ?」
「どっちが?てっちゃんが?それとも宇宙のほうが?」
「俺のほうに決まってるだろうが。アホ!」
少し怒ったような口ぶりでてっちゃんが言う。
すると丸君は、少し間を置いてから俯き加減に言った。
「じゃあさ、俺はもっと対象外ってこと?」
丸君の言葉を聞いて、てっちゃんの足が思わず止まってしまう。
「・・・やっぱ、そうだよね」
丸君が諦めたような感じで言う。
てっちゃんは少しの間呆気に取られていたが、すぐふふっと笑って丸君のボサボサ頭をクシャッと撫でた。
「・・・お前は別だ」
「えっ?ほんと?今のほんと?てっちゃん!?」
再び歩き出したてっちゃんの後を必死に追いかけながら、丸君が言う。
てっちゃんはもう、それ以上は何も言わなかった。
「ねーっ、てっちゃん。もう一回言ってよ。さっきの言葉。もう一回。ねっ?」
だがてっちゃんは、二度と同じ言葉を口にしなかった。