東京スペシャルナイト 下 12

だが怒りが頂点に達している亨の耳には、すでに何も聞こえていなかった。

 

今はこの生意気な小僧に一泡ふかせ、想像もできないほどひどい目に遭わせてやりたい。

 

それだけだった。

 

「服を脱がせろっ」

 

恭也がそう言うと、違うヤクザが宇宙のボロボロの衣服を脱がしにかかる。

 

まるでホームレスのようなその出で立ちに、恭也は呆れたように言った。

 

「どこに逃げ隠れしていたのか思えば、ドブの中だったのか?いくら捜しても見つからないわけだ」

 

裸になっていく宇宙を両目を細めるようにして見つめて、恭也が品定めをする。

 

宇宙の裸体を見るのはこれが二度目だったが、やはり美しかった。

 

高額な金を要求するどんな男娼よりも綺麗で、凛とした美しさがあった。

 

服を脱がせていたヤクザたちも、ボロボロの衣服の下から現れた艶やかな肌色の輝きに一瞬驚いたようだった。

 

本当に、ただの教師にしておくにはもったいない・・・そんな考えが恭也の頭をよぎる。

 

「さてと、俺としては裏切り者の遼一の前で仕置きをしたいのだが、遼一はどうしたい?」

 

裸になった宇宙を満足げに見て、亨は初めて遼一を振り返った。

 

遼一は、必死の顔で亨に懇願する。

 

「お願いですから・・・宇宙にひどいことはしないでください。責めるなら・・・私を責めてください」

 

遼一は、これから宇宙がどんなひどい目に遭わされるかと思うと、生きた心地がしなかった。

 

亨は、独占欲とプライドが高く、しかも残虐なのだ。

 

嫉妬に狂っている今の亨に仕置きをされてしまったら、きっと宇宙のような一般人では正気を失うのに半日とかからないだろう。

 

できるなら代わってやりたい。

 

宇宙を守ってやりたい。

 

だが亨はそんな遼一の心を察しているのか、あざ笑うかのように拒否した。

 

「俺に逆らった罪の深さをようやく思い知ったようだな?だがもう遅い。お前が心底惚れた宇宙を、お前の目の前でたっぷりと仕置きしてやる。そしてヤクザたちに散々犯させ、その後はシャブ漬けにして・・・俺の玩具にして弄び、飽きたら海外に売り飛ばしてやる。どうだ?これがお前が招いた結果だ。面白いだろう?」

 

亨はそう言って、足だけをベッドに残し床に倒れ込んでいる遼一を、支配者のように見下ろした。

 

遼一は宇宙を助けようにもどうしようもなくて、バンバンッと強く床を叩いた。

 

その音が、廊下を歩いていた医師の耳にも届く。

 

医師は騒ぎを看護婦から聞きつけ、急いでやってきたのだった。

 

「何を・・・しているんですか?」

 

特別室のドアを開けた気の弱そうな医師が、中の様子に愕然とする。

 

数人のヤクザたちに一糸まとわぬ姿にされている宇宙とベッドから転げ落ちている遼一を交互に見て、震える声で恭也に訴える。

 

「病室で・・・いったい何をしようというのですか?」

 

恭也は医師の言葉など無視して、手下たちに命令した。

 

「ロープで縛れ。両腕は後ろ、脚は左右に開かせたままだ」

 

手下のヤクザたちが、言われたとおりに宇宙の裸体をロープで縛り上げていく。

 

ここは特別室だが、病院の一室である。

 

その中でこんな破廉恥で不埒なことなどしていいはずがなかった。

 

医師は、拳を握りしめて亨に向かって言う。

 

「ここは病院です。そういうことはやめてください」

 

それを聞いた亨の手が、そんな医師の首元に伸びる。

 

そして白衣姿の医師の首を、ぐぐっと絞め上げていく。

 

「あぐっ・・・ぐぅぅ・・・・・」

 

「お前はいつからそんな偉そうなことを言えるようになったんだ?ん?」

 

「ぐうっ・・・うっ・・・亨様・・・」

 

「この病院の院長でいられるのは誰のおかげだ?なんなら、借金のかたに何もかも奪い取ってやってもいいんだぞ」

 

亨はそう言ってから、医師の首元から手を離した。

 

よろよろとした足取りの医師は、ゴホゴホッとはげしく咳き込んだ。

 

「お前が医者の顔をしていられるのは俺のおかげだということを、ちゃんと覚えておけよ」

 

廊下には、見張り役のヤクザが二人立っている。

 

ここにヤクザが出入りするようになってから、評判はガタ落ちだった。

 

借金のかたに取られなくても、経営不振で潰れるのは目に見えていた。

 

どうせ潰れてしまうのなら、借金のかたに取られてしまうなら、遼一とその恋人だけでも助けなければ。

 

ここに僚一が運ばれてきて治療するようになってから二週間。

 

その間、遼一はとても紳士的に優しく接してくれた。

 

自分のことを心配して、なんとか亨から逃れられるようにいろいろと真剣に考えてくれたのだ。

 

自分の身が危ないというのに、命の恩人だからと言い、いつか必ず道は開けると希望を抱かせてくれた。

 

そんな優しい遼一をなんとか助けてやりたい。

 

そして遼一が話を聞かせてくれた、恋人の宇宙も助けてやりたい。

 

細面の医師は、まだ痛い喉元を手で押さえながら廊下を歩いていった。

 

階段を下り、一階にある自室へと入る。

 

そしてリクライニングの椅子に座り、どうしたらいいのかと考えた。

 

誰かに助けを求めなければならない。

 

しかも、恭也や亨よりも力のあるヤクザに。

 

だが医師はチンピラのような輩は知っていても、恭也の組以上に力のある組織に知り合いはいなかった。

 

「どうしたらいいんだろうか?このまま放っておいたら、あの若者は殺されてしまうかもしれない」

 

医師は、頭を抱えてしばらく悩んでいた。

 

そして先日、見張りのヤクザたちが話していたことをふと思い出した。

 

紅林組が動いているとかなんとか言っていた。

 

紅林組といえば、恭也が所属している竜胴組と同等の力を持つ巨大な暴力団組織である。

 

なぜ今の時期に紅林組が?

 

医師は直感で、今回の一件に紅林組が絡んでいるのではないかと思った。

 

どのようにかかわっているかは分からないが、助けを求めるのは紅林組しかないと思った。

 

そして固く決心し、デスクの上の受話器を取る。

 

そのとき、院長室のドアが静かに開いた。

 

「・・・・・?」

 

見ると、そこには見たことのない中年男性が立っていた。

 

グレーのスーツとダークグレー色のネクタイ。

 

細められた目と目尻の皺。

 

だが白髪交じりの少し長めの髪は、ワックスできっちりと固められていた。

 

今まで見たこともない顔だった。

 

「あ、あなたは?」

 

医師が受話器を握りしめたまま聞くと、院長室に入ってきた五十代前半の男性は静かにドアから入ってきた。

 

「私は相模といいます。人は私のことをてっちゃんと呼びます。宇宙とその恋人の遼一を助けに来ました」

 

ボロボロの衣服に身を包み、ホームレスであった偽りの自分を捨てたてっちゃんは、落ち着いた口調でそう言って医師に対して頭を下げた。

 

医師はわけが分からず、しばらくの間ただ呆然としていた。

 

 

 

 

 

 

東京スペシャルナイト 下 11

遼一が治療を受け、監禁されている病院の裏口に降り立った宇宙は、やっと遼一に会えるという喜びと、これから亨や恭也と対決しなければならないという恐怖の入り交じった感情を抱えながら病院の中へと入っていった。

 

午前の診療時間が終わった医院の中は、とても静かだった。

 

ヤクザたちに周りを囲まれたまま二階へ上がり、特別室と書かれている病室のドアを一人のヤクザがノックする。

 

するとドアが中から開き、恭也が宇宙を出迎えた。

 

その向こうのベッドの上では、胸の包帯を取り換えた遼一がいた。

 

「遼一、遼一っ!」思わず、宇宙が叫ぶ。

 

すると宇宙の声を聞いた遼一も、驚いてドアのほうを向き、宇宙の名前を叫んだ。

 

「宇宙っ!?」

 

ガウンを羽織ったばかりの遼一は、ベッドから飛び降りて宇宙のもとに駆け寄ろうとする。

 

だが足に嵌められた枷がそれを阻んでいた。

 

ガシャンッと鎖の大きな音がして、遼一の身体がベッドからガクンッと床に落ちる。

 

「遼一危ないっ!そのままじっとしてて・・・」

 

「宇宙・・・本当に宇宙なのか?ああ・・・宇宙・・・無事だったんだな?」

 

「遼一のほうこそ・・・無事でよかった・・・。もう心配で・・・心配で・・・本当に死んじゃったらどうしようかと思って・・・」

 

「私は大丈夫だ。宇宙のほうこそ大丈夫なのか?」

 

優しく労わるような遼一の声を聞いたとたん、宇宙の瞳に涙が溢れた。

 

無事な遼一の姿を見て、ずっと堪えていたものが緩んだのだ。

 

「遼一・・・遼一・・・」

 

ボロボロの衣服を着ている宇宙は、遼一のそばに駆け寄ろうとする。

 

だがすぐに、恭也の腕に捕まってしまった。

 

「おっと・・・。感動の再会はここまでにしてもらおうか。亨様がお前に用があると言って、こちらに向かっている」

 

と、恭也は言って宇宙の顎を捕らえる。

 

宇宙は涙で潤んでいる瞳で、遼一を撃った恭也をキッと睨みあげた。

 

「・・・よくも遼一をこんな目に・・・。これじゃ刑務所にいるのと同じじゃない。足枷を解いて自由にしてやって。足首から・・・血が出ててかわいそうじゃない・・・」

 

身体は震えていたが、決して恭也を恐れてのものではなかった。

 

宇宙の身体が震えているのは、遼一に再会できた喜びからのほうが強かった。

 

恭也は、そんな宇宙の秘められた強さと健気さが、胸の奥が痛くなるほど心地よかった。

 

自分のことよりもまず遼一の安否を心配する宇宙の心の優しさが、憎らしいほど可愛く感じた。

 

遼一に抱かれて喘いでいる宇宙を見たときのあの感覚を、恭也は思い出す。

 

ぞわわっと全身に血が騒ぐのが分かる。

 

そのときだった。

 

宇宙が入ってきたばかりのドアから、亨が入ってきたのだ。

 

「お前が噂の宇宙か・・・。なるほど、着ているものはボロボロだが、遼一が惚れそうな実に綺麗な顔をしているじゃないか。男にしておくにはもったいないな・・・」

 

初めて見る亨は、高価なブランドもののスーツに身を包み、髪は短くワイルドな感じだったが、どこからどう見てもエリートの青年実業家に見えた。

 

だが、宇宙を品定めするように見つめる、ねっとりとした瞳には上辺の青年実業家という顔とは違い、裏の極道の世界と繋がっている非情さが見え隠れしていた。

 

そして冷酷な威圧感も、亨から感じられた。

 

宇宙は一瞬、ゾクっと背筋を震わせた。

 

少なくとも、宇宙の知り合いにこんな冷酷な瞳を持つ人間はいなかった。

 

「遼一は、俺が十年近くも囲っている。それは知ってるな?」

 

恭也に捕らわれている宇宙に近づき、顎を捕らえてグイッと上を向かせる。

 

力強い指に抵抗することができず、宇宙はされるがままだった。

 

「人の物にちょっかいを出すとどういうことになるか、知ってるか?んん?」

 

享が、真っすぐに自分を見ている薄茶色の瞳を食い入るように見つめて言う。

 

宇宙は何も言わず、知らないと目で訴えた。

 

こんな脅しには決して屈しないという強い意志を見せなければ、この手の人間には勝てない。

 

力で屈服させることは無理なのだと、相手に分からせなければならない。

 

それは、てっちゃんが別れ際に言ってくれた言葉だった。

 

だから宇宙は決して目を逸らさなかった。

 

亨の今にも食らいついてきそうな視線からも、目を逸らさなかった。

 

そして・・・・・。

 

「り、遼一は・・・あなたのものじゃありません。遼一の自由を束縛する権利は・・・あなたにはありません・・・」

 

と、言う。

 

その言葉を聞いた亨は、思わず目を丸くした。

 

信じられなかったのだ。

 

数人のヤクザに囲まれ、監禁されている僚一を目の前にしても、自分に対してこんな生意気を利く小僧がいることが、信じられなかった。

 

普通なら許してくださいと涙ながらに訴えるか、泣き叫ぶかのどちらかだ。

 

これはなんとも、いじめがいのある小僧ではないか。

 

遼一の心を奪ったばかりでなく、眠っていた修羅の心を呼び覚まし、この俺にまで逆らうとは。

 

見た目とは違い、いい根性をしているじゃないか。

 

亨は、心の中でメラメラと燃える嫉妬のようなものを感じていた。

 

このままにはしておかない。

 

一気に殺してしまうのはもったいない。

 

二人は自分の手の内にいるのだ。

 

遼一の前で、じわりじわりと嬲り殺しにしてくれよう。

 

大物政治家を父に持つ、この大江原亨に逆らったらどうなるのか、たっぷりと味わわせてやる。

 

亨は、恭也に向かって言った。

 

「お前、こいつをどうしたい?」

 

亨の突然の問いにも、恭也は少しも臆することなく答えた。

 

「以前は煮るなり焼くなり好きにしろと、そうおっしゃいました」

 

「そうだったな・・・。では・・・そうしてやれ。この俺に対して二度と生意気な口が利けないように、たっぷりと仕置きをしてから・・・殺してやれ」

 

その言葉を聞いていた遼一の目が、大きく見開く。

 

「待てっ!宇宙は関係ないっ!私が勝手に宇宙に惚れたんだっ!宇宙にはなんの関係もない」

 

だがいくらそう叫んでも、亨は聞かなかった。

 

たとえそうであったとしても、宇宙の態度をどうしても許すことはできなかった。

 

可愛い顔をして、ただの教師でありながら、どうしてこうも冷静でいられるのだ?

 

泣き叫び、許しを請う宇宙を想像していたのに。

 

そんな宇宙の前で遼一に口で奉仕させ、遼一はどうあがいても今の状況から逃げ出すことはできないのだと思い知らせ、たっぷりと優越感に浸ろうと思っていたのに。

 

この落ち着きようはなんなのだっ!?

 

亨は、どうしようもなく苛立っていた。

 

「恭也っ、さっそく仕置きを始めろ。俺は忙しいんだ」

 

「はい、喜んで」

 

恭也はそう返事をすると、数人のヤクザたちに仕置きのための道具を持ってくるように命令した。

 

その様子をベッドから転げ落ちた状態で見ていた遼一は、思わず床を拳で叩いた。

 

「よせっ。やめてくれっ。宇宙に仕置きをするのはやめてくれっ。頼むっ」

 

亨が言った仕置きというものがどういうものか、遼一はよく知っていた。

 

ソープランドを逃げ出した女や男娼を懲らしめ、見せしめのために行われる仕置きは、とても口では言い表せないほど淫靡な行為だった。

 

客の要求にはなんでも応えられるように、ソープランドの女や男娼を教育する。

 

そういうときも、仕置きは行われた。

 

「持ってきました」

 

道具が入った黒い鞄を持った一人のヤクザが、病室に入ってくる。

 

鞄は海外旅行用のスーツケースほどもあり、強靭な肉体のヤクザでさえ一人で持ち運ぶのはとても大変そうだった。

 

「やめろっ、頼むから・・・仕置きだけはやめてくれ・・・」

 

遼一が、懇願するように亨に向かって言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京スペシャルナイト 下 10

てっちゃんは、普段はあまり使わない携帯電話をボロボロのショルダーバッグの中から取り出した。

 

「てっちゃん、本当に宇宙を助けるんつもりなんだ」

 

その様子を驚いたように見ていた丸君は、地面にしゃがみ込んだまま煙草を吸っていた。

 

「人助けはしない主義だったんじゃなかったっけ?」

 

丸君が、そう付け足す。

 

ボロボロの衣服を身にまとい、見るからにホームレスという出で立ちのてっちゃんは、不精髭を手で撫でながら携帯のダイヤルを押した。

 

すぐに相手が出る。

 

「相模鉄男です」

 

てっちゃんは、自分の名前をフルネームで言った。

 

ホームレスのてっちゃんがすでに捨てたはずの自分の名前を言う相手は、この世でただ一人だった。

 

携帯の相手は、日本の裏の世界に君臨している藤堂組四代目、藤堂弘也だった。

 

「四代目、お久しぶりです」

 

てっちゃんはどこか懐かしそうにそう言った。

 

「四代目がお捜しの紅林組の跡取り息子ですが、どうやら見つかりそうです。ですがトラブルに巻き込まれているようで・・・この一件、私に一任していただけますか?」

 

てっちゃんがそう言うと、丸君はちょっと呆れたような顔をして両手を広げた。

 

てっちゃんの悪い癖が出た、そんな素振りだった。

 

「はい。実は紅林組の跡目の一件には裏があるような気がするのです。紅林組の動きも気になりますし・・・」

 

と、てっちゃんが公園の隅のベンチで話している間、丸君は空き缶を蹴って遊んでいた。

 

「分かりました。では・・・また連絡します」

 

てっちゃんはしばらく話をしてから携帯を切った。

 

そしてまた、ボロボロのショルダーバッグの中にしまい込んでしまう。

 

そのショルダーバッグをコートの上から斜め掛けにすると、空き缶で遊んでいる丸君を呼んだ。

 

「丸君、仲間に召集をかけて情報を集めさせてくれないか?もちろん、礼はする」

 

と、ダンボールの小屋を片付けながらてっちゃんが言うと、黒いジャンパーと穴空きだらけのジーパン姿の丸君は『OK』というように親指と人差し指でサインを出した。

 

「それにしてもさ、まさかホームレスのてっちゃんが、日本の裏社会のドンである藤堂四代目の情報屋とは誰も思わないよなー。それもただの情報屋じゃないっていうんだから、驚いちゃうよなー。あの四代目と直通の携帯持ってるなんて、日本広しといえども幹部以外ではてっちゃんだけなんじゃないの?」

 

と、丸君が感心したように言うと、てっちゃんは厳しい目つきで丸君を睨んだ。

 

「丸、それ以上言うとお前でも許さんぞ」

 

そう言ったてっちゃんは、さっきまでの人情味に溢れた優しいてっちゃんではなかった。

 

凄みのある目つきは、恭也と同じ側の人間であることを教えていた。

 

世間を捨ててホームレスになる以前のてっちゃんを知っている丸君は、思わず首を横に振る。

 

「言わない、言わない。もう言いません」

 

「だったらさっさと駆けずり回って、夜までに情報を集めてこい。俺はY桟橋の下で待ってるからな。報酬は望むがままだと言うんだ。いいな?」

 

「はーい。分かりました。行ってきまーす」

 

丸君はそう言うなり、ものすごい勢いで公園を走っていく。

 

ダンボールの小屋をすっかり片付けたてっちゃんは、ショルダーバッグ以外はすべて他のホームレスに譲ってやった。

 

ボロボロだが、衣服や毛布をもらったホームレスたちは、公園を去っていくてっちゃんに向かって手を振った。

 

ホームレスのてっちゃんがここに戻ってくることはもうないだろう。

 

「さてと、宇宙はうまく遼一に会えたかな?」

 

そう呟いたてっちゃんは、賑やかな新宿の街中に消えていった。

 

 

 

東京スペシャルナイト 下 9

宇宙は、数人の派手なスーツ姿のチンピラたちに捕らえられ、黒い日本車の後部座席に乗せられていた。

 

捕らえられたというよりは、宇宙自身から捕らわれたと言ったほうが正解だった。

 

だが、宇宙を捕らえたチンピラたちはそのことには気づいていなかった。

 

これでやっと恭也の機嫌もよくなると、チンピラたちは内心ホッとしていた。

 

「ここだ。ここで恭也さんの手下に渡すことになっている」

 

車は高速を降りた空き地で止まり、そこでは白いベンツが宇宙が連れてこられるのを待っていた。

 

「あ、あの・・・謝礼のほうは?」

 

チンピラの一人が、宇宙を黒いスーツ姿のヤクザに渡し、頭を下げながら遠慮がちに聞く。

 

ロープで後ろ手に縛られている宇宙をベンツの後部座席に乗せた黒いサングラスを掛けているヤクザが、札束をチンピラに手渡した。

 

「あ、あ、ありがとうございますっ」

 

札束を見たチンピラたちは一斉に頭を下げる。

 

渡したヤクザは、無言のまま後部座席に乗り込み、宇宙の隣に座り宇宙の顔を品定めするように見回した。

 

必ず無傷で連れてこいという、恭也の命令だった。

 

顔に擦り傷の一つでもついていたら大変なことである。

 

幸い、宇宙はどこにも傷を付けていなかった。

 

「よし、行けっ」

 

ヤクザが命令すると、宇宙を乗せた黒いベンツは恭也と亨が待っている私立病院に向かって走っていった。

 

その車中で、じっとおとなしくしている宇宙は、ホームレスのてっちゃんが言った言葉を思い出していた。

 

『どんな犠牲を払ってでも、恋人を助けたいと思う気持ちが本当にあるのなら手を貸す』

 

てっちゃんの重みのある言葉に、宇宙は即座に頷いて答えた。

 

『あります』

 

するとてっちゃんは、宇宙の純粋な薄茶色の瞳をずっと見つめて言葉を続けた。

 

『二人でこのまま逃げてもなんの解決にもならないんだ。ヤクザってヤツは逃げれば逃げるほど追いかけてくるんだ。そういう性分なんだろうか、たとえ地の果てに逃げても一生追いかけてくる。そんな脅えた生活は嫌だろう?』

 

てっちゃんの言葉に、宇宙はまた頷く。

 

どういうわけか、ホームレスであるてっちゃんの言葉にはズシンと胸の奥に重く響く何かがあった。

 

『じゃあ、どうしたらいいんですか?』

 

と宇宙が尋ねると、てっちゃんは不精髭の顔でにこっと笑ってこう言った。

 

『逃げられないんなら、正面から対決するしかないだろう?』

 

『た、対決して勝てますか?相手はヤクザですよ?』

 

宇宙の真剣な問いに、てっちゃんは言いきった。

 

『お前さんに死ぬ覚悟があるなら勝てるよ。それには少しばかり苦痛を伴うかもしれないが、仕方ないだろうな。どうだ、やるか?』

 

てっちゃんはそう言って、宇宙の肩を叩く。

 

宇宙はその手に押されるように、大きく頷いた。

 

そんな宇宙を見て、てっちゃんがにこっと笑う。

 

てっちゃんのあのときの大らかな笑みを思い出しながら、宇宙はじっと黙って後部座席に座っていた。

 

ヤクザと対決するときは街のごろつきやチンピラではなく、ヤクザの組長と話をつけること。

 

それが肝心だとてっちゃんは最後に言ってくれた。

 

遼一の自由を束縛している亨という人に会い、直接自由にしてほしいと談判する。

 

どんなに断られ罵られひどい仕打ちをされても、自分の意思を曲げてはいけない。

 

自分の意思を最後まで貫き通すこと。

 

遼一を愛しているその気持ちを、貫き通すこと。

 

それが大事なのだとてっちゃんは教えてくれた。

 

そして敵の本拠地に乗り込む決心がついたとき、宇宙はわざと人目につくように繁華街をうろついてみせた。

 

「おとなしいな?これからどこに連れて行かれるのか気にならないのか?」

 

チンピラに札束を手渡したヤクザが、さっきからずっと黙ったまま目を瞑っている宇宙に向かってそう言った。

 

街で徘徊しているようなチンピラと違い、威圧感があるヤクザはそう言って宇宙を見据えた。

 

宇宙はうっすらと目を開け、真っすぐ前を見つめたまま「別に」とだけ答えた。

 

ヤクザがふふっと笑う。

 

「強がりを言っていられるのも今のうちだ。恭也さんがお前をお望みなんだからな」

 

恭也という名前を聞いても、もうビビらなくなっていた。

 

てっちゃんの言葉を聞いているうちに、肝が据わったのだ。

 

宇宙は、拳銃で撃たれ血まみれ状態だった遼一のことをヤクザに聞いた。

 

「遼一は・・・無事なんですか?」

 

宇宙の言葉にヤクザは少し驚いたような顔をした。

 

自分の身の安全よりも、他人のことを心配していることに驚いたのだ。

 

「桜井遼一なら病院にいる。今からそこにお前を連れていく」

 

「じゃあ、無事だったですね。怪我も大したことなかったんですね?」

 

「あの恭也さんが致命傷を与えるような撃ち方をするはずがないだろう?ちゃんと計算して撃ったんだ」

 

ヤクザの言葉を聞いた宇宙が、思わず肩の力を抜く。

 

「・・・よかった」

 

宇宙は心底ホッとしたようにそう言って、大きく息を吐いた。

 

遼一の安否を案じ、ずっと張り詰めていた緊張がやっと解けた、そんな感じだった。

 

本当によかった。

 

遼一が無事なら、なんとかなるかもしれない。

 

宇宙は本当は、おしっこをチビってしまいそうなほど怖かった。

 

だがそんな中で、ほんのわずかな希望を抱いていた。

 

もうすぐ遼一に会える。

 

冷静を装っている宇宙の胸は、その想いで張り裂けてしまいそうだった。

 

宇宙を乗せたベンツは、真っすぐ遼一が捕らえられている医院へと向かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京スペシャルナイト 下 8

亨の容赦のない言葉に紐を緩める遼一の手が震えてしまう。

 

亨が遼一を抱くのはこれが初めてだった。

 

今まで、亨が遼一の身体を求めたことはない。

 

亨が求めるものは、遼一の口技と手のマッサージだけだった。

 

何が亨の欲望を変えさせたのか。

 

それはまぎれもなく宇宙への嫉妬心と遼一への征服心だった。

 

ベッドの上でガウンを脱ぎ、裸になる遼一の姿を、亨は満足そうにじっと見つめていた。

 

ヌラヌラと赤く光っている巨根が、遼一の裸体を見てもっと大きくなる。

 

「よし・・・。そのまま尻をこっちに向けろ」

 

四つん這いになった遼一に、冷たい言葉が浴びせられる。

 

遼一は自制心と戦いながら、わなわなと震える下半身を亨に向けた。

 

そしてすべてが見えるように卑猥な格好をして、くやしそうにギュッとシーツを掴む。

 

「いい眺めだな、遼一。お前のこういう格好も悪くない。俺は男を抱く趣味はないが、お前は別だ。俺に対して反抗心を剥き出しにすればするほど、犯したいと思ってしまう。なぜだろうな?」

 

くくっと卑猥な笑い声を上げながら、亨が言う。

 

遼一はただ、歯を食いしばってこの状況に耐えるしかなかった。

 

こんな屈辱なことはなかった。

 

口でフェラチオをするより、手で性感マッサージをしてイカせることより、ずっと耐え難い屈辱を味わっていた。

 

だが言うとおりにしなければ、亨はまたあの女を呼びつけ、今度こそ使いものにならなくなるまで犯し続けるだろう。

 

ヤクザたちに命じて、媚薬を塗り込めた花園や蕾を死ぬまで犯し続けるに違いない。

 

自分のために他人を犠牲にすることだけは、避けたかった。

 

きっと愛する宇宙も、心優しい宇宙も自分と同じことをするだろう。

 

恥辱にまみれながら、遼一は一瞬そう思った。

 

そして宇宙の可愛い顔を思い出す。

 

宇宙、すまない。約束を守れそうにない。

 

遼一は、心の中で宇宙に詫びた。

 

「とうとう観念したようだな?最初からおとなしくしていれば、あの女もあんなひどい目に遭わなくて良かったものを・・・」

 

そう言った亨の手が、遼一の尻に触れる。

 

まだ誰にも見せたことがない秘密の部分は、初めての恐怖に縮こまっているようだった。

 

「男のここを・・・こうしてまじまじと見るのは初めてだが、女とは別の意味でそそられるな」

 

と言った亨が手を伸ばし、遼一の蕾に触れようとする。

 

そのとき、許しもなくいきなりドアが開いた。

 

「亨様っ、宇宙を捕まえましたっ」

 

いきなりそう言って特別室に飛び込んできたのは、恭也だった。

 

亨は絶好のチャンスを逃したくやしさと、宇宙を捕らえたという嬉しい報告が重なり、なんとも微妙な表情をして恭也を睨みつける。

 

「・・・申し訳ありません、お邪魔だったようで・・・」

 

恭也が、言葉とは裏腹にまったく悪びれる様子もなく頭を下げる。

 

仕方なく手を引っ込めてガウンを遼一の下半身に掛けた亨は、すぐに恭也に向き直った。

 

「で、その宇宙は今どこにいるんだ?」

 

「はい、事務所のほうに監禁しています」

 

「そうか。ではここに連れてこい。遼一の目の前でシャブ漬けにし、ヤクザたちに死ぬほど犯させてやる」

 

亨の言葉を聞いた遼一が上体を起こし「やめろ!」と叫ぶ。

 

「宇宙には手を出すなっ。宇宙は関係ないっ」

 

「関係ないだと?お前を俺に楯突くように変えた小僧を、関係ないだと?」

 

「宇宙は一般人だ。あなたや恭也がいるような裏の世界とは無関係だろう?許してやってくれ、頼むっ」

 

遼一は、足枷をガシャガシャと音を立てながら亨に懇願した。

 

足首からは血が流れている。

 

だがそんなことなど構わず、遼一は言葉を続けた。

 

「その裏の世界に引きずり込んだのは誰だ?お前じゃないのか、遼一?」

 

亨の言葉は、遼一の身体を硬直させた。

 

一番触れてほしくない部分に亨が触れる。

 

深手を負った傷口に塩を塗られているような気分だった。

 

「すべてはお前が招いたことだ。土下座をして謝るならまだしも、あれだけの大口を叩いた代償はきっちりと払ってもらうからなっ。恭也、早く宇宙という男を連れてこいっ」

 

亨の声に、恭也は携帯を取り出す。

 

そして組事務所の若い者に宇宙を急いで連れてくるように命じた。

 

「あと、三十分ほどで到着します」

 

「そうか・・・。では宇宙がここに来る三十分の間に、自分の犯した罪の深さをよくよく思い知るんだな」

 

亨は上機嫌でそう言って、高笑いをする。

 

遼一は拳を握りしめ、唇を噛みしめたまま何も言い返せないでいた。

 

宇宙がとうとう捕まってしまった。

 

その事実が、遼一から覇気や抵抗心をなくさせていた。

 

「宇宙という男の未来は決まったな?いいところ、エロじじいの玩具だ」

 

「やめろっ!」

 

「だが、こうなることを初めから分かっていただろう?亨様を敵に回すということがどういうことか十分に分かっていたはずだ。だがそれでもお前は逆らった。それは宇宙との愛を貫き通すと決めたからだ。そうだろう?」

 

「・・・・・・・」

 

遼一は俯いたまま、何も答えなかった。

 

自由を奪われている今の状況では、どうすることもできない。

 

宇宙のために何もしてあげられないのだ。

 

それが何よりもつらく苦しかった。

 

「もう、諦めるのか?何もしないでこのまま亨様の言いなりか?」

 

恭也は、目を細めて淡々とした口調で言った。

 

遼一がゆっくりと顔を上げる。

 

そして恭也が何を言おうとしているのか、探った。

 

「ヤクザたちに犯される宇宙を、ただ見ているだけか?お前の宇宙への愛情はそんな程度のものなのか?」

 

まるで、遼一の闘志を再び燃え上がらせるような恭也の言い方に、遼一は素直に疑問を抱いた。

 

だが確かにその通りだった。

 

こうなることは最初から分かっていて宇宙を愛したのだ。

 

危険を覚悟で、自由を奪い束縛していた亨に対して自由にしてほしいと訴えていたのだ。

 

ここで頭を垂れてはいけないのだ。

 

亨に屈してはいけないのだ。

 

今ここで奮起しなければ、また元の生活に逆戻りである。

 

宇宙が自分のために命をかけてくれている。

 

その気持ちに答えなければっ。

 

「まぁ、結局はそんな程度のものだったということか。お前と宇宙の愛情は」

 

恭也は最後にそう言って、病室を出ていく。

 

一人ベッドの上に残された遼一は、握り拳でベッドのパイプを殴った。

 

鈍い音が病室に響く。

 

「宇宙はどんなことをしてでも守ってみせる。宇宙だけは・・・亨の食い物にはさせないっ」

 

遼一の決意の言葉を廊下で聞いていた恭也は、思いどおりの遼一の反応にニヤッと顔を綻ばせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京スペシャルナイト 下 7

「おい、女を一人連れてこいっ」

 

ベッドの上できつい表情で亨を睨みつけていた遼一は、怒りの矛先が宇宙に向いてしまったことに内心慌てていた。

 

だが顔には出さない。

 

顔に出してしまったら、弱みを見せることになってしまうからだ。

 

病室を出ていった恭也が、真っ赤なカクテルドレスを着た女を連れてドアから入ってきた。

 

女は官僚や政治家を相手にしている、高級コールガールというものだった。

 

亨の裏の商売の一つである。

 

「口を開けっ」

 

胸の谷間を惜しげもなく見せている髪の長い女は、女優のように美しく艶やかだった。

 

「・・・はい」

 

命令されるがままに女は床に膝をつき、遼一の目の前で亨のファスナーを下げていく。

 

いつもは遼一がやっている行為だったが、腹の虫が収まらない亨は、女の口を代用品にしようとしていた。

 

ファスナーが下がると、太くて見事に反り返った亨自身が現れた。

 

今まで何千回となくしゃぶらされ、そして手でマッサージを施してきた亨自身は、怒りのためかいつもよりずっと太く感じた。

 

「何をしている、早くしろっ」

 

女の髪を掴み、グイッと巨根に顔を近づける。

 

女は慌てて口を大きく開き、亨自身を喉の奥深くにのみ込んでいった。

 

「んぐぅ・・・ぐぅ・・・・・」

 

真っ赤な唇から嗚咽のような声が漏れる。

 

亨の分身が喉深くまで到達しているために、息も満足にできなかった。

 

「んんっ・・・ぐぅぅ・・・・・」

 

唇が引きちぎられるほど大きく開き、女はもがき苦しみながらも必死に顔を振って享自身を愛撫した。

 

どんなにつらく苦しくても、相手を満足させなければこの行為から逃れられないことを女は身に染みて知っていた。

 

しかも相手は大物政治家を父親に持つ実業家、大江原亨である。

 

少しでも機嫌を損ねてしまったら、どんな目に遭わされるか分かったものではない。

 

実際、高級コールガールの中でも亨を怒らせた女は、どんなに上客がついていようと容赦なくソープランドに売り飛ばされる。

 

高級コールガールは相手が官僚や政治家だけあって、収入がよかった。

 

客と寝ている以外は自由な時間もあり、ヒモのような男もいない。

 

亨の言いつけどおりに客と寝ていれば、多少の贅沢も楽しめるのだ。

 

「もっと奥までのみ込めっ、それでもコールガールか?」

 

亨はイライラしたように女に向かって叫んだ。

 

女は、今にも意識を失いそうなくらい喉の奥まで巨根をのみ込んでいる。

 

いつもなら十分に満足するフェラチオなのだが、今日の亨は、遼一の一件でものすごく不機嫌だった。

 

不機嫌というよりも、怒り爆発という感じである。

 

「・・・もっとだ・・・もっと深く・・・」

 

亨はその怒りを表すかのような鋭い眼差しで、ベッドの上の遼一をじっと見つめていた。

 

遼一の顔を見ていると、遼一にフェラをされているかのような気分になってくる。

 

遼一の舌技は絶妙で、コールガールなど束でかかっても敵わないような快感を亨に与えてくれるのだ。

 

そして遼一の手が繰り出すウルトラスペシャルマッサージは、この世のものとは思えないような、女とのセックスでは決して味わえないような快感を味わうことができる。

 

亨は、遼一に対して特別な感情は持っていなかったが、遼一の口と手だけは愛しいと思っていた。

 

その遼一が亨の目を盗み、他の男と愛し合い、自分だけの楽しみであったウルトラスペシャルマッサージまでしたという。

 

亨は、自分ではどうしようもないくらい、頭に血が上っていた。

 

そのどうしようもない怒りが、女へと向けられる。

 

「・・・遼一・・・。見ているがいい。お前の前で宇宙という男の大事な部分を切り取ってやる」

 

女の髪を掴み上げ、激しく前後に揺すりながら亨は言った。

 

ビクッと、遼一の身体が震える。

 

その反応を見ていた亨が、追い打ちをかけるように言葉を続けた。

 

「だがその前に・・・宇宙を恭也やヤクザたちに犯させ、ヒーヒーと泣き叫んでいる姿をビデオに撮ってやろう。きっと面白いビデオが撮れるぞ」

 

遼一の上半身がわなわなと震え、眉尻が吊り上がる。

 

唇はキュッときつく、横一文字に結んだままだった。

 

遼一が動揺しているさまが小気味よくて、亨は次々とひどい言葉を投げつけた。

 

「そのビデオを売ってもいい。デジカメで撮って、ネットで流して儲けるという手もあるな。『現役の教師の実情』という題名で売り出すんだ。どうだ?いい案だろう?」

 

亨のその言葉に、さすがの遼一も切れてしまった。

 

ベッドから飛び降りて、亨に飛びかかろうとする。

 

だが足枷が、遼一の行く手を遮った。

 

ドタンッと、右足だけをベッドの上に残し床に倒れこんでしまう。

 

「宇宙に手を出したら、許さないっ!お前を・・・絶対許さないっ。必ずお前を後悔させてやる」

 

床にうつ伏せで倒れている遼一が、足枷を外そうとしてもがきながら亨に向かって言う。

 

格好はなんとも情けなかったが、遼一の目はその言葉が嘘でないことを告げていた。

 

それは、今まで向けられたことのない血なまぐさい修羅の目だった。

 

髪を掴んで揺らしていた亨の手が、一瞬止まってしまう。

 

こんな状況でありながらも、全身から立ちのぼるような覇気と気迫はいったいなんなのだろうか?

 

屈することをあくまでも拒否し続ける、遼一の目。

 

足枷がなければ本当に亨に飛びかかってきそうな、殺気だった目。

 

それはまぎれもなく、紅林組組長の息子だと立証するような目だった。

 

紅林組は今、組長の命令でやっきになって愛人の子供である遼一の存在を確かめている。

 

死んだとされている遼一を、懸命に捜している。

 

もし紅林組の者たちが、次期組長である遼一が十年というもの男の囲われ者として生きてきた事実を知ったらどうするだろうか?

 

手を貸している恭也の竜胴組との全面戦争は避けられないだろう。

 

だがそれでも、亨は遼一を手放す気にはならなかった。

 

亨の中に、初めて嫉妬が湧き上がってくる。

 

僚一に対して、嫉妬心を抱いたのは初めてだった。

 

「もういいっ。立って向こうを向いて脚を広げろ」

 

ベッドの上に女の上半身をうつ伏せにして、腰を突き出させる。

 

女は次に何をされるか承知をしていて、素直にドレスの裾を持ち上げ、両脚を広げた。

 

女は最初から下着はつけていなかった。

 

女の濡れそぼっている花園が、亨の目の前に広がっている。

 

亨は乱暴に分身を花園にあてがい、一気に突き刺した。

 

「あぁぁぁ・・・・・」

 

女が悲鳴のような声を上げて、ベッドのシーツをきつく掴む。

 

ちょうど、下からその様子を見上げるような格好になった遼一は、亨の巨根に貫かれ悲鳴を上げている花園を目の当たりにした。

 

「さ、裂けちゃう!」

 

女がたまらず腰を引いて叫ぶ。

 

だが亨は女の長い髪を乱暴に引っ張って、もっと強く巨根を打ちつけた。

 

「あっ・・・ひぃぃーーーーーーっ!」

 

女が絶叫する。

 

それほど、亨の分身は硬くて太かった。

 

女の手首ほどもありそうである。

 

グチャグチャと淫らな音を立てながら、僚一の上で腰を揺すり女を犯していく。

 

女の花園からはいつの間にか鮮血が垂れていた。

 

「もう、やめるんだ。これ以上やったら・・・・・」

 

泣き叫んでいる女を見ていられなくなった遼一が、たまらず言う。

 

だが亨は、構わずもっと乱暴に花園を壊すような勢いで腰を動かしてた。

 

「ひぃぃぃーーーーーっ」

 

「ここで男をくわえ込むことが商売なんだ、こんなことで音を上げてどうする?」

 

と、言った亨が、女のもう一つの穴に中指を挿入していく。

 

「あっ・・・ひっ・・・あぁぁぁっ・・・・・」

 

巨根と中指を根元まで突っ込まれた女は、ヒーヒー泣きよがりながら許しを求めた。

 

だが亨はまだ、解放してやる気にはならなかった。

 

「もう、やめろと言ってるんだっ!」

 

そう叫んだ遼一が、床を這うようにして亨の足元にしがみつく。

 

なんとか亨の行きすぎた行為をやめさせようとする。

 

だがそれでも亨は、女を犯す行為をやめようとはしなかった。

 

「お前が変わってくれるのか?」

 

激しく腰を前後に揺らしながら、亨は遼一を見つめて言った。

 

人間の温かみなどまったく感じられない亨の言葉を受け、遼一は一瞬言葉を詰まらせた。

 

「お前が代わるというまで、女は犯し続ける。女がこのまま狂おうが死んでしまおうが・・・俺の知ったことではない。すべての責任はお前にあるんだからな、遼一」

 

亨はそう言って、女のもう一つの穴に挿入している指を二本に増やす。

 

そしてうっすらと血が滲んでいる蕾に、二本の指を一気に挿入した。

 

女の花園には、亨の巨根が根元まで埋め込まれている。

 

「ひっ・・・あぐっ・・・うぅぅ・・・・・」

 

上下から同時に刺し貫かれた女は、くぐもったような呻き声を上げて目を白黒させた。

 

だらしなく開いた口端からは、唾液が滴っている。

 

「ゆ、許して・・・くださ・・・・・・」

 

女が泣きながら許しを請う。

 

だが亨の動きは激しさを増すばかりで一向に止まらない。

 

「指二本では不服か?ではもう一本増やしてやろう」

 

亨は面白そうにそう言うと、血が付着している二本の指を引き抜き三本に増やした。

 

そして逃げようとする女の腰を片手で押さえながら、三本の指を蕾に挿入していく。

 

「ぎゃっ・・・・・」

 

さすがにきつくて、強引に挿入しようとしてもなかなか入らなかった。

 

女は商売柄、アナルセックスには慣れていたが、それはローションを使ったり十分に解したりした上での行為であった。

 

まだなんの準備もされていない蕾を、こんなに強引に犯されたことなどない女の蕾は、とたんに悲鳴を上げていた。

 

「おっと・・・。裂けたか?」

 

鮮血が指を伝ったのを見て、亨がニヤッと笑って言う。

 

その様子を見ていた遼一はもう限界とばかりに亨に言った。

 

関係もない女がセックスというリンチに遭うことに我慢ができなかった。

 

こんなひどいやり方をして、このままでは本当に殺されてしまうかもしれない。

 

「待てっ!分かったから・・・待て・・・」

 

遼一が苦しそうに言う。

 

「何が分かったんだ?」

 

亨が女の花園をわざと壊すように搔き回しながら、遼一を見る。

 

遼一は苦虫を噛み潰したような顔をしながら、項垂れた。

 

「・・・あなたの言うとおりにする。だからその女を解放してやってくれ」

 

と、遼一がやっとの思いで言うと、亨は満足そうに両目を細めた。

 

「言い方が気に入らない。ちゃんといつものように言ってみろ」

 

亨が遼一の髪を掴み上げ、すっかり腫れの引いた顔をじっと見つめながら言う。

 

遼一は心の中では決して屈しないと思いながらも、見ず知らずの女を犠牲にしたくはないと口を開いた。

 

「・・・あなたの言うとおりにします。だから・・・その女を解放してください」

 

そう言った遼一が、くやしそうに唇を血が出るほど嚙みしめる。

 

そんな遼一を見てやっと心の中のもやもやが晴れた亨は、女の尻を蹴飛ばすようにして床に転がした。

 

「さっさと行けっ。もうお前に用はない」

 

亨の言葉を受けた女は、白い内股に鮮血を流しながら、ヨロヨロと立ち上がってドアから出ていく。

 

病室の外には見張りのヤクザが数人立っていたが、こういう状況に慣れているのか、女の悲惨な姿に顔色を曇らせる者はいなかった。

 

バタンとドアが閉まり、病室の中には遼一とヌラヌラと真っ赤に光っている巨根を見せびらかしている亨がいるだけだった。

 

「今言った言葉が本当かどうか、確かめてやる。お前にはめたいと思ったのは初めてだが、俺を裏切った罪の重さを味わうにはちょうどいいだろう。ベッドの上で四つん這いになれ。女のように、尻を突き出すんだ」

 

亨はそう言って、遼一の髪を引っ張った。

 

戸惑い、どうしようかと迷った遼一だったが、女のことを思い出してベッドの上に上がった。

 

そして言われたとおりの格好をする。

 

「ガウンを脱げ。全裸になるんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京スペシャルナイト 下 6

「・・・起きろ」

 

遼一は、聞き慣れた声に起こされて目を開けた。

 

目の前には、高価なスーツに身を包んだ亨がものすごい形相で立っていた。

 

そして亨の横には、恭也と数人のヤクザが並んでいた。

 

「と、亨様?」

 

遼一は、ベッドの上で飛び起きた。

 

遼一の両手の自由を奪っていたロープは、三日前に解かれていた。

 

だがその代わり、右足に足枷のようなものを嵌められ、ベッドから逃げられないようになっていた。

 

点滴の処置は昨日で終わっていた。

 

今は痛み止めと化膿止めの飲み薬を、食後に飲むだけとなっていた。

 

遼一の回復力は驚異的なものだった。

 

気の弱そうな医師も、遼一の銃弾の跡が日ごとに治っていくさまを見て驚いていた。

 

「胸を恭也に撃たれたそうだな?傷の具合はどうなんだ?」

 

亨は今までにないくらい怒っている様子だった。

 

ドアの入り口で小さく縮こまっていた医師が、震える声で病状を説明する。

 

その説明を最後まで聞かないうちに、すっかり腫れの引いた遼一の顔を近くで見るために、顎を掴んだ。

 

目の周りの腫れは引いたが、眉の上を切った部分が、赤くなっていた。

 

「顔は殴るなと言ってあるはずだ・・・」

 

亨は、そう言うなり横に立っていた恭也を厳しい表情で睨んだ。

 

だが恭也は、冷静な顔を崩そうとはしなかった。

 

「少々抵抗しましたので、仕方なく」

 

「仕方なくだと?なんのためにお前を雇ってると思ってるんだ?ええっ!?」

 

遼一の顎から離れた手が、恭也の襟元を締め上げる。

 

黒いスーツ姿の恭也はまったく抵抗せず、苦しげに整っている眉を歪めた。

 

「申し訳ございません・・・」

 

「申し訳ないで事がすめば、警察はいらないんだっ!」

 

亨の怒鳴り声が個室の病室に響く。

 

気の弱い医師は、その声にビクッと身体を震わせた。

 

白いガウンを着ている遼一も、一瞬背筋を凍らせる。

 

こういうときの亨の恐ろしさは、身に染みて知っている。

 

一度、見知らぬチンピラたちと喧嘩をして顔にひどい怪我をしたとき、亨は怒って僚一の身体に拷問を加えたことがあった。

 

亨は遼一の顔とスペシャルマッサージをする手を気にっているのであって、身体はどうでもいいのだから、拷問によって身体に多少の傷がついてもいいと思っていた。

 

遼一と喧嘩したチンピラたちはその後、恭也たちによって半殺しの目に遭わされたことは言うまでもなかった。

 

亨は、異常なほど遼一の顔と手に執着していた。

 

「手は・・・無事なんだな?」

 

キリキリと恭也の襟元を絞め上げながら、亨が聞く。

 

すると恭也は、苦しそうになんとか言葉を発した。

 

「は・・・ぐう・・・はい・・・」

 

その返事を聞いて、亨が手を緩めてやる。

 

そしてもう一度、ベッドの上で上体を起こしている遼一の顔をまじまじと見つめた。

 

「顔の傷が治ったら知らせろ。そして何がなんでも春日宇宙を探し出せっ。顔の傷が治るまでに宇宙とかいうガキを捜せなかったらどうなるか、分かってるな?」

 

亨は、そう言って恭也の顎をきつく掴む。

 

顎を掴まれた恭也は、一瞬ビクッと身体を震わせた。

 

こんなふうに亨が恭也に触れたことは初めてだった。

 

たとえ怒りの表れであったとしても、密かに亨を愛している恭也には大きな喜びだった。

 

「は、はい。承知しています」

 

目が自然と潤んでしまう。

 

「それと、そこの医者!顔の傷が完璧に治るのはいつだ?」

 

「は、は、はい・・・その・・・三日後には・・・」

 

「三日後だな?では三日後にまた来る。そのときは・・・不埒なことを考えた罪深さを詫びるつもりで一生懸命に口と手で仕えるんだぞ。顎が外れるまでしゃぶり続けろ。いいな遼一?」

 

と、亨が遼一に向かって言う。

 

いつもなら「はい」と心ならずも返事をする遼一だったが、宇宙との真実の愛に目覚めてしまった遼一は、今までの遼一とは違っていた。

 

帰ろうとしていた亨の背中に向かって「嫌です」とはっきりと言い放つ。

 

その言葉を聞いたとたん亨の足が止まり、ゆっくりと遼一のすぐ近くまで歩み寄った。

 

怒りが渦巻く黒い瞳は、少し細められていた。

 

「なんだと?今、なんて言ったんだ遼一?もう一度言ってみろ」

 

遼一の顎を掴み、亨が低い声で聞く。

 

遼一は顎をきつく掴まれたまま、しつかりと亨の瞳を睨みつけた。

 

「嫌だと言ったんです。私はもう、あなたの所有物じゃない」

 

遼一の瞳が、キラリと光る。

 

亨はおもむろに眉間に皺を寄せた。

 

「私に対していつからそんな口を利くようになったんだ、遼一?お前の出方次第では今回のことは水に流してやってもいいと思っていたのに。それがどうだ、ええ?チンピラにシャブ漬けにされて海外に売り飛ばされるところを救ってやった恩も忘れて、よく言うぜ」

 

亨は吐き捨てるようにそう言って、空いている手で遼一の左腕を掴み上げた。

 

「あうっ・・・」

 

とたんに、引き攣るような痛みが遼一を襲う。

 

左腕を無理やり引き上げられた遼一は、銃で撃たれた左胸の傷口が開きそうな声を上げた。

 

傷口は塞がってはいるが、今無理に動かしたら傷口が開いてしまう。

 

だが亨は、それを承知の上で遼一の左腕を強引に引っ張った。

 

「いっ・・・あうっ・・・・・」

 

「痛いか?だが、自分の立場を思い出すにはいい痛みだろう?ん?」

 

ギリギリッと腕を締め上げながら、遼一の耳元で亨が囁く。

 

意識を保つのも困難なその痛みは、決して屈しないと誓った遼一の精神に多大な負担をかけていた。

 

いつもなら、ここで屈している。

 

だが、負けるわけにはいかないのだ。

 

こんな自分のために命をかけて誓ってくれた宇宙のためにも、ここで屈するわけにはいかない。

 

「離してください。今の私にはどんな拷問も無意味です。私はもう・・・何があっても・・・どんなことをされても・・・あなたには屈しないと誓った。借金があろうがなかろうが、そんなことは関係ないっ」

 

亨に反抗するのも初めてだが、こんな乱暴な口を利くのも初めてだった。

 

腕を掴み上げていた亨が、自分のいいなりにならない遼一を目の前にして、ギリリッと奥歯を噛みしめる。

 

こいつ、いったいどうしてくれようかと考えあぐねいている歯軋りだった。

 

「この私に向かって、いい度胸だな?だが生憎とどんなに凄もうと抵抗しようと、私はお前を手放すつもりなど毛頭ない。両脚を切断してでも私の手元に置いてやる。そして一生、お前は私に仕えるんだ。その口と手を使ってな・・・」

 

「嫌だ!離せっ、腕を離せっ」

 

遼一は亨のいやらしい言葉を聞いたとたん、身体の中で何かが弾けてメラメラと燃え上がったのを感じた。

 

今まで感じたことのない、怒り、憎悪、そして修羅の心が次第に目覚めていく。

 

今までは、どんな拷問を受けても決してこんなふうに身体中に火が点いたように熱くはならなかった。

 

こんなふうに心の奥底から闘志や勇気が湧き上がってきたことなどなかった。

 

遼一は、まだ力の入らない身体で懸命に亨の束縛を逃れ、ベッドから降りようとした。

 

だが足に手錠のような枷が嵌められていて、ベッドを降りることができない。

 

足を引っ張ると、ガシャガシャッとスチールの鎖が擦れ合う音がする。

 

「足枷を外せっ。外せっ」

 

遼一は眉尻を吊り上がらせ、亨に向かって叫んだ。

 

だが亨が、足枷を外すはずがない。

 

遼一は、もっと激しくガシャガシャッと足枷を揺らした。

 

いつの間にか足首の皮膚が切れ、血が滴っている。

 

その光景を見ていた亨は、遼一が完全に以前とは違うことを知った。

 

亨の知っている遼一は、凄めばすぐにおとなしくなり、柔順な僕だったはずだ。

 

闘志と敵意と反抗心を剥き出しにした遼一を目の前に、亨は腹の底から怒りが込み上げるのを感じた。

 

遼一の自我を目覚めさせ、こんなふうに変えてしまった宇宙という男。

 

その男の存在が、遼一のずっと奥底に眠っていた修羅の心を呼び起こしてしまったというのか。

 

遼一の出生の秘密を知っている亨は、一瞬恐怖のような感情を抱いた。

 

遼一に対して恐怖を感じるなど、どうかしている。

 

だがあの目は、死んでも言うことを聞かないと訴えている目は、確かに修羅のものだった。

 

最愛の息子を失った紅林組の姐御から、今は亡き愛人の子供を抹殺してほしいと依頼があったあのとき、殺してしまったほうがよかったのかもしれない。

 

そんな考えが、一瞬亨の頭をよぎる。

 

あのとき父親である大江原権蔵は、利用価値があると言って、遼一を殺さず手元で飼うことを選んだ。

 

そしてそれを引き継いだ亨だったが、いつしか本気で遼一の手や口の妙技に溺れていた。

 

だが、今の牙を剥いた遼一では話は別だった。

 

いったん目覚めてしまった修羅の魂を心の奥底にしまい込むことはもうできないのだ。

 

やはりあのとき、殺しておくべきだったのではないだろうか?

 

紅林組の姐御には用意した別の焼死体を見せ、納得させた。

 

組長は納得していない様子だったが、いつか紅林組を動かすときに利用できると思ったのだ。

 

十年という歳月の中で、飼いならしたと思っていたのに。

 

このまま猫のように逆らわずおとなしくしていたら、一生飼ってやろうと思っていたのに。

 

あの宇宙とかいう男のせいで、遼一が変わってしまった。

 

あの宇宙という教師のせいでっ。

 

「恭也!宇宙を草の根分けても探し出せっ!金を積んで人を雇え。どんな代償を払っても、宇宙を探し出すんだっ。いいな!」

 

「はい」

 

恭也は、わなわなと身体を震わせて怒っている亨の言葉に、短く答えて手で合図する。

 

合図を受けた数人の渋いスーツ姿のヤクザたちは、次々と病室を出ていく。

 

「抵抗したら、手脚を引きちぎってでも構わん。必ず生きたまま俺の元に連れてこいっ。いいな?」

 

病室を出ていく恭也の後ろ姿に向かって、亨が怒鳴り散らす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京スペシャルナイト 下 5

宇宙がすべてを話し終わると、外はもう夜明けだった。

 

あれからずっとダンボールの小屋の中でこれまでの状況を丸君とてっちゃんに話していた宇宙は、誰かに聞いてもらったことに安心したのか、ふーっと肩の力を抜いた。

 

遼一のことをこんなにしゃべったのは、初めてだった。

 

ずっと一人で背負ってきた重みを、話を聞いてくれた二人が少しだけ一緒に背負ってくれたような気がして、宇宙はとても嬉しかった。

 

「・・・そうか。そんなことがあったのか。それは大変だったな」

 

不精髭がよく似合っているてっちゃんが、しみじみと言う。

 

「でもさ、その遼一っていう恋人だけど、よく逆らう気になったよな?だって相手はヤクザだぜ?それもそこらのチンピラじゃなくて、竜胴組の恭也っていったら、残忍非道でここらでも有名な極道だろ。俺だったら絶対逆らわねーな。尻尾を丸めて降参する」

 

宇宙の話を聞いた丸君が、驚いたように両目を見開いて言う。

 

まだ二十代前半の丸君の言っていることは、正論だと宇宙は思った。

 

本当にヤクザを相手に喧嘩を売るっていうんだから、尋常じゃない。

 

しかも遼一を囲っているのが大物政治家で有名な大江原権蔵だというんだから、丸君は脅えるのも当然だった。

 

宇宙もこのまま逃げ出してしまいたい。

 

今すぐに一人で東京を離れて、教師も辞めて、ヤツら目の届かないどこか田舎でひっそりと暮らすこともできる。

 

だが宇宙には、そんな考えはまったくなかった。

 

愛してる遼一を、自分を庇って撃たれた遼一を、このままにしておくことはできなかった。

 

自分自身はどうなってもいい。

 

殴られ、拳銃で撃たれた遼一だけは助けたいと本気で思っていた。

 

そのためだったら、相手がヤクザだろうがなんだろうが、ぶつかっていくしかない。

 

「・・・それで、宇宙はこれからどうするんだ?」

 

ずっと黙って話を聞いていたてっちゃんが、寒そうに両手を擦り合わせながら聞いてきた。

 

トレーナーの上にどこからか拾ってきたボロボロの茶色いコートを羽織っている宇宙は、膝を抱えて座ったまま、しばらく考えた。

 

季節はもう十一月。

 

ダンボールの中も外も、朝方はかなり冷え込んでいた。

 

「・・・分からないんです、どうしたらいいのか・・・。遼一を助けたい。ううん、助けなくちゃいけないことは分かっているんです。でも僕一人でどうしたらいいのか・・・全然・・・分からないんです」

 

宇宙は項垂れてそう答えた。

 

「そりゃそーだ。相手はあの恭也だしな」

 

すかさず、トレーナーの上に皺が寄った黒いオーバーを着ている丸君が大きく頷きながら言う。

 

宇宙はその言葉に、もっと深く頭を垂れてしまった。

 

助け出すという意気込みはあっても、その手段も術も準備も、いっさいなかった。

 

それに連れ去られた遼一の安否さえ分からないのだ。

 

今どこにいて、どうなっているのか。

 

生きているのか、死んでいるのか。

 

「・・・何も分からないんじゃ、しょうがない」

 

ボソッとてっちゃんが言う。

 

宇宙は少しだけ顔を上げた。

 

「遼一って人の安否も分からないんじゃ、思いきって相手の懐に飛び込むしかない」

 

「あ、相手の懐に飛び込む?それって・・・わざと捕まれってこと?」

 

宇宙が何かを言う前に、丸君が驚いたように口を挟んだ。

 

「そんなことしたらシャブ漬けにされて外国に売り飛ばされちゃうかもしれねーよ、てっちゃん。こいつ綺麗な顔をしてるから殺されることはないと思うけど、絶対そうなるって。日本人の美青年って結構いい値で取引されるって噂で聞いたことあるし。でもわざと捕まれっていうのは。まずいんじゃないのぉ?」

 

丸君が、てっちゃんに詰め寄りながら言う。

 

狭いダンボールの小屋の中は、三人の男でいっぱいいっぱいだった。

 

「だがそうでもしなきゃ、遼一って男の居場所はわからないよ」

 

「そ、それはそうだけど・・・さ・・・」

 

丸君が、頭をボリボリと掻きながら言う。

 

まるで自分のことのように一生懸命悩んでくれている丸君が、宇宙はとても好きになった。

 

今日初めて会ったのに、初めて会ったような気がしないのだ。

 

年齢も同じくらいだし、きっとどこかで会ったことがあるのかもしれない。

 

それにてっちゃんに対しても、宇宙は言葉では言いつくせないほど感謝していた。

 

裸で逃げ回っていた得体の知れない男をこうして匿ってくれて、衣服はボロボロで食べ物は賞味期限切れの拾い物だけど、ちゃんと調達してくれて。

 

わけを聞いてもじゃけんにするわけでもなく、追い払うわけでもなく、こうして親身になってくれる。

 

昔からの友人だって、ヤクザに追われていることを知ったら、きっとそっぽを向くのに。

 

まるで兄弟のように心配してくれる。

 

宇宙は、ここで二人に出会えた偶然を心の底から嬉しく思い、神様に感謝したい気持ちでいっぱいだった。

 

人間、見た目でその人を判断してはいけない。

 

宇宙は今さらながら、そんなことを思った。

 

てっちゃんと丸君がいてくれる・・・・・・そう思うと、不思議と勇気も湧いてきた。

 

宇宙は少しの間考えていたが、てっちゃんの言うとおり、今の状況では相手の懐に飛び込むしかないと決断した。

 

わざと捕まって、相手の出方を見る。

 

恭也ってヤクザに何をされるか分からないけど、遼一の安否や居場所を知るにはそれしかないのだ。

 

「でもさ、捕まった後はどうするんだよ、てっちゃん。捕まる以上、逃げ道も考えておかなきゃまずいよ」

 

丸君の心配そうな問いに、不思議と落ち着いているてっちゃんは宇宙を見つめながら言った。

 

「逃げる方法は考えてやる。宇宙は遼一の居場所を捜して、絶対一緒にいられるようにするんだ。どんなことがあっても遼一と一緒にいられるようにするんだ。二人一緒なら隙を見つけて逃げ出すこともできるだろう?」

 

「・・・でも方法っていっても・・・どうしたらいいのか・・・」

 

不安そうにてっちゃんを見つめ返して、宇宙が言う。

 

てっちゃんは、そんな宇宙の薄茶色の瞳を両目を細めるようにして見つめると、安心させるかのようにニッコリと笑った。

 

「大丈夫だ・・・と今ははっきりとは言いきれないが、死んでも遼一を助けたいという想いがあれば、どんな危機も乗り越えられる。どんな試練にも耐えられるはずだ。そうだろう?」

 

「はいっ。それは・・・」

 

宇宙は大きく頷いて、てっちゃんを見つめる。

 

真っすぐ見つめる宇宙の瞳は、澄んでいてとても美しかった。

 

嘘偽りのない、純粋な瞳だった。

 

その瞳に見つめられたてっちゃんは、何かを確信したように大きく頷いた。

 

「では、どうやって逃げ出すか考えよう。その手筈も早急に整えなければならないな・・・」

 

てっちゃんはそう言って、ダンボールの小屋から外の公園に出た。

 

早朝の公園には、犬の散歩をしている人が数人歩いているだけだった。

 

地面はいつの間にかすっかり乾いている。

 

「とは言ったものの・・・相手が恭也となれば・・・迂闊には動けないな」

 

不精髭を生やしている薄汚いてっちゃんは、そう呟いて太陽の下で大きく身体を伸ばした。

 

ダンボールの小屋から出てきた宇宙は、その姿はどう見ても普通のホームレスなのだが、何かが違うと直感していた。

 

身なりは汚くてダンボール小屋暮らしのてっちゃんだが、宇宙はてっちゃんの言葉の中に威厳のようなものを感じていた。

 

ただのホームレスのおじさんなのに。

 

どういうわけだか、ただのおじさんには思えない。

 

宇宙は思いきって聞いてみた。

 

「あの、てっちゃんは・・・どういう人なんですか?ただのホームレスには見えないんですけど?」

 

てっちゃんは、宇宙の問いに背中を向けたまま答える。

 

「俺はただのホームレスだよ」

 

と、てっちゃんが答えると、宇宙の横に立っていた丸君が、その答えを知っているかのようにニヤッと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京スペシャルナイト 下 4

恭也は、車の後部座席で考えていた。

 

初めて遼一を見たのは、十年前だった。

 

恭也は二十五歳になったばかりの、まだ使いっ走りのヤクザの一人だった。

 

だが亨の父親である『大江原権蔵』はそんな恭也になぜか目をかけてくれた。

 

『その冷酷な目と狡猾さが気に入った』と、大物政治家の大江原は言った。

 

そしてそんなある日、重要な任務を任される。

 

それは、上京してきたばかりの青年を罠にはめ、自由を束縛するという役目だった。

 

なぜ田舎の青年の自由を束縛する必要があるんだ?

 

恭也は、最初そんな疑問を抱いた。

 

だが大江原の機嫌を損ねたくなくて、恭也は言われるがまま命令に従った。

 

青年が入った店はごく普通のスナック喫茶だった。

 

決してヤクザが絡んでいるような、高値を要求するぼったくりの店ではない。

 

だからこそ恭也はそのママに脅しをかけ、青年に高値を要求させた。

 

案の定、青年はそんな大金を持ち合わせていなかった。

 

そこでいよいよ、恭也の登場となった。

 

仲間のヤクザたちと青年を拉致すると、そのまま晴海埠頭の倉庫に監禁した。

 

何も与えず、真っ暗で汚い倉庫に監禁されていた青年は、すっかり脅えていた。

 

柄の悪いヤクザたちが芝居をして、大江原権蔵に青年を売り飛ばす。

 

そして売り飛ばされた青年はその日から自由を失い、監禁と欲望の毎日を送ることとなった。

 

あのとき、大江原ほどの大物政治家が、なぜ田舎出の青年にそこまでこだわるのか分からなかった。

 

確かに顔は整っていて、人目を引く。

 

だが、大江原がヤクザたちに、金を払ってまで青年を捕らえた理由は他にあるように思っていた。

 

そしてその理由を知ったのは、大江原である亨に青年が譲られたときだった。

 

ヤクザの世界に入り、裏のルートで大江原亨と知り合ってからというもの、恭也は亨を特別の存在として意識するようになっていた。

 

恭也はこの頃から、亨を密かに愛するようになっていた。

 

そして罠にはめた青年が、あるヤクザの組長の隠し子であることを知ったのもこの頃だった。

 

日本全土を統合している藤堂組。

 

その傘下に与している巨大組織、紅林組組長の隠し子。

 

紅林組は、恭也が世話になっている竜胴組と肩を並べるほどの暴力団組織だった。

 

その事実は、恭也を大いに驚かせた。

 

あんな世間知らずのただの男に、紅林組組長の血が流れているとは。

 

「あのとき、うちの組長は紅林組の姐さんから隠し子を密かに殺すように頼まれていた。だが大江原先生はその隠し子に利用価値があると考えて、うちの組長を説得し、その隠し子は殺したことにして手元に置いた。いつか必ず利用するときが来ると察していたんだ。それにしても、大江原先生の千里眼には脱帽だな・・・」

 

恭也は後部座席に一人で座ったまま思い出したように、確認するように独り言を言っていた。

 

あのとき、殺しておけばよかったという後悔と生かしておいて正解だったという思いが、交錯する。

 

「その隠し子というのがあの遼一だ。愛人だった母親は幼い頃に他界し、養父母たちはごく普通のサラリーマン家庭。俺たちの世界とはまったく関係のない家庭環境で育っているはずなのだ。だが遼一のあのときの目・・・。宇宙の前に立ち塞がったときの目は、確かに俺たちと同じ極道のものだった。あれは・・・修羅の目だった」

 

恭也は思わず一歩引いてしまった自分を叱咤するようにそう言ってから、煙草を口に銜え、ライターで火を点けた。

 

深く一服し、遼一の眠っていた本性が現れた瞬間を思い出す。

 

「まったくっ。血は争えねーってことか」

 

吐き捨てるようにそう言って、恭也は逃がしてしまった宇宙のことに頭を切り替えた。

 

遼一を捕らえることに成功しても、宇宙を逃してしまったのは恭也の失態だった。

 

大江原亨は、遼一さえ取り戻せば、宇宙を逃がしてしまったことはたいして問題にしないだろう。

 

だが恭也自身、納得できないところがあった。

 

発砲し、遼一を気絶させてから警察が来るまでの間、チンピラたちに宇宙の後を追わせた。

 

外はどしゃぶりの雨。

 

一糸まとわぬ姿の宇宙を探すことなどたやすいと高を括っていたのに、チンピラたちは最後まで宇宙を見つけることができなかった。

 

「あいつ、いったいどこに逃げ込んだのか・・・。ホテルというホテルを虱潰しに捜したというのに、どこにもいなかった。裸じゃ街中を逃げるわけにもいかねーだろうに・・・」

 

恭也は憎らしそうにそう言って、携帯のリダイヤルを押した。

 

すぐに携帯に出たのは、ホテル街に残してきたチンピラの一人だった。

 

「まだ見つからないのか?いったいどこを捜してるんだ!」

 

言い訳を繰り返すチンピラに激怒した恭也が、後部座席で怒鳴り散らす。

 

「いいか!宇宙を見つけるまで帰ってくるなっ!組の事務所へも出入りを禁じるからなっ」

 

恭也はそう言って携帯を切り、黒い革のシートに放り投げてしまう。

 

そして、それから両腕を組んで考え込んだ。

 

「・・・とにかく一週間後。遼一を見た亨様がどういう反応をするかだな・・・」

 

拳銃で遼一に怪我を負わせるつもりなど毛頭なかった恭也は、つい撃ってしまったあのときの自分を叱咤した。

 

多少身体を痛めつけても、亨は遼一の顔や身体に跡が残るような行為は決してしなかった。

 

亨は今、ロサンゼルスに行っている。

 

帰国するのが一週間後。

 

それまでに遼一の傷がどこまで回復しているかが問題だった。

 

恭也は、頭痛がしてきた頭を抱えるように、後部座席に深く身を沈めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京スペシャルナイト 下 3

ポチャッと、雨が床に落ちる音がして遼一は目を覚ました。

 

「あうっ・・・」

 

動こうとしたが、左胸が焼けるようにひどく痛む。

 

それに全身のいたるところが苦痛を訴えている。

 

ここは、どこだ?

 

遼一は、腫れていてよく目が開かないのを承知で、自分が置かれている周りの状況を見た。

 

両手を頭の上で一つにされ、縛られた状態でベッドに仰向けに寝ている。

 

消毒液の鼻をつく臭いと白いカーテン。

 

ここは病院?

 

遼一がそう思うと、誰かがドアを開けて入ってきた。

 

遼一はまだ意識のないふりをして目を閉じた。

 

「・・・・・で、胸の傷はどうなんだ?」

 

恭也の声だとすぐに分かった。

 

「は、はい・・・。弾は抜きましたので・・・大丈夫だと・・・思います」

 

恭也を恐れているのか、医者らしき男の声が震えているのが分かる。

 

遼一は、目を瞑ったまま二人の話に耳を傾けていた。

 

「いつ頃、目が覚めるんだ?」

 

「あと、三十分ほどかと・・・」

 

「三十分か・・・」

 

恭也は何やら考えるようにそう呟き、遼一の顔を覗き込んだ。

 

チンピラたちに殴られ、ひどく腫れている目の上からは出血していた。

 

意識のない間に手当てされ、ガーゼや絆創膏を貼られた遼一の顔は、元の男らしく整っている顔からは想像できないほどひどかった。

 

「せっかくの男前も台なしだな。ふふっ・・・」

 

息がかかるくらい近くでそう呟いて、恭也は笑った。

 

その笑いが不気味で、遼一は背筋を震わせた。

 

この男はいつもそうなのだ。

 

何を考えているのか分からないところがある。

 

「この男を一週間以内にちゃんと綺麗に、見られるようなナリにするんだ。いいな?」

 

「い、一週間ですか?顔の腫れや全身の打撲はなんとかなりますが、胸の傷は一週間では・・・どうしようも・・・」

 

と、まだ若い医者が声を震わせながら言う。

 

すると恭也は、バンッと激しくドアを蹴り上げた。

 

ガラスが入っていた部分が、その衝撃で割れてしまう。

 

「ひぃっ・・・」

 

「俺が一週間で治せと言ったら治せばいいんだ。分かったな?」

 

「は、はいぃ・・・・・」

 

医者はすっかり脅えてしまって、悲鳴に近い声を上げて答えていた。

 

意識のないふりをしている遼一は、胸に受けた銃弾の痛みに耐えながらじっとしていた。

 

「一週間後、また来る。その時は亨様もご一緒だからな。いいな、必ず見られるように治しておけよ。そうでなければ、今度はお前がこういうことになるかもしれないぞ?」

 

恭也の脅しは、まだ若い医師を心底から震え上がらせていた。

 

「は、は、はい。必ず・・・」

 

何か弱みでも握られているのだろう、ヤクザやチンピラたちの怪我を専門に診るこの医者は、必死に返事をしてベッドに寝ている遼一を見下ろした。

 

「見張りを残していく。あとは頼んだぞ」

 

煙草に火を点けた恭也がそう言って、白い病室から出ていく。

 

遼一の治療をしている病院は都内にあり、賭け事でつくった莫大な借金の代わりに、こうして拳銃でできたような、表沙汰にできないような怪我を内密で診療していた。

 

「顔はなんとかなるが・・・胸の拳銃の傷は癒えない・・・。くそっ、どうしたらいいんだ?」

 

医師は恭也がいなくなると吐き捨てるようにそう言って、壁を足で蹴った。

 

ずっと意識のないふりをしていた遼一は、医師と二人きりになるとそっと目を開いた。

 

「・・・先生?」

 

遼一に突然呼ばれた医師は、ビクッとしてベッドの上を見る。

 

両手を頭の上で一つにされ、ロープでベッドのパイプに縛られている遼一が、片目で医師を見つめていた。

 

「き、気がついたのか?」

 

「もうずっと、気づいていました」

 

点滴の器具を見上げて、遼一が言う。

 

すると、メタルフレームの眼鏡を掛けた見るからに気の弱そうな医師は、不自由そうな遼一をなんとかしてあげようと思ってロープに手を伸ばした。

 

だが慌てて、その手を引っ込める。

 

「す、すまない・・・。不自由だろうがそのまま我慢してくれ。意識が戻っていたんなら分かるだろう?私は恭也に逆らえないんだ。賭け事で借金をして・・・小さいが親から譲り受けたこの病院も抵当に入ってる。せっかく医者の免許を取得したっていうのに、賭け事さえしなければこんなビクビクした生活をしなくてもすんだのに・・・」

 

やせ細っている医師はそう言って何度も壁を蹴り、自分の愚かだった行いを悔やんだ。

 

だがいくら悔やんでも起こってしまったことはどうしようもないのだ。

 

それは遼一自身、身に染みてよく分かっている。

 

遼一は、胸の痛みに顔を歪めながら静かな口調で医師に言った。

 

「今さら悔やんでも仕方がない。それより、今の状況から少しでも早く抜け出すことを考えたほうがいい」

 

「そんなこと、そんなことは分かっているっ!だけど・・・借金が膨れ上がってもう自分ではどうすることもできないんだっ。あの男の言いなりになっているしか・・・うぅっ・・・」

 

三十前の青白い顔をした医師はくやしそうにそう言って、涙を流した。

 

頬を伝う涙を拭う手が、震えている。

 

遼一は自分自身を落ち着かせるように、大きく息を吐いた。

 

そしてしばらくの沈黙の後、口を開く。

 

「・・・胸の傷の具合はどうなのかな?」

 

医師は涙を拭きながら、その問いに答える。

 

「弾は抜いたけど、二週間の安静は必要だ。傷口が完全に塞がるには三週間かかる」

 

「そう・・・か・・・」

 

「だけど、あなたは運がいい。あと少しずれていたら心臓を撃ち抜いていた」

 

少し気持ちが落ち着いたのか、医師が少し笑いながら言う。

 

それを見た遼一は、腫れた顔を緩めた。

 

笑うと、やっぱり痛い。

 

「運がいいか・・・。だけど私もあなたと同じで、過去の過ちをいつも後悔している。あのとき、どうして・・・ってね」

 

と、遼一が話すと、医師は興味を持ったのか顔を覗き込んだ。

 

「あなたも・・・恭也に弱みを握られているんだ」

 

「いや、私が弱みを握られているのは恭也のボスなんだ。ボスは、一週間後にここに来る」

 

「と、亨様に?」

 

亨を知っているのか、医師は亨の名前を聞いたとたんに震えだした。

 

表の顔と裏の顔を持つ亨の性格をよく知っているようだった。

 

「・・・かわいそうに・・・。一生抜けられないよ・・・」

 

医師は同情するように遼一を見下ろす。

 

だが遼一は、そんな同情を大胆不敵そうな笑いで消し去った。

 

「いや、抜けてみせる。私はなんとしても、今までの状況から抜け出してみせる。宇宙にそう誓ったんだ」

 

遼一の綺麗な瞳を垣間見た医師が、驚いたように後ずさる。

 

こんなにひどい目に遭っているのに、自分の意思を決して曲げない遼一に驚愕した様子だった。

 

「宇宙って・・・あなたの恋人?」

 

点滴をもう一本追加しながら、医師が聞く。

 

遼一は管を通り針に落ちていく点滴を見つめたまま「そうだ」と答えた。

 

「宇宙のためだったら、私は死んでもいいと思っている。宇宙を守るためだったら、このまま野垂れ死んでもいい。だが、今はそんなことは言ってられない。ここを抜け出して宇宙を見つけなければ・・・・・」

 

と、言った遼一が突然ロープで縛られている腕を動かす。

 

なんとか、ロープを解こうとしたのだ。

 

だが、しっかりと固定されているロープは、体力をすっかり消耗した遼一が暴れたぐらいではビクともしなかった。

 

「だめだよ、点滴が外れてしまうっ」

 

「先生お願いしましすっ。ロープを外してください。私は宇宙を探さなければいけないんですっ」

 

遼一が片目で懇願する。

 

だが医師はその縋るような瞳から顔を逸らすと、もっときつくロープを固定した。

 

「あなたを逃したら、私がこういう目に遭うって脅されたんだ。残念だが、逃げ出すのは諦めてくれ」

 

「先生っ!」

 

医師が遼一を一人ベッドに残し、病室を出ていってしまう。

 

ドアの外には、恭也が残していったチンピラが二人、面白くないような顔で立っていた。

 

「おい、先生っ!何話してんだよ?」

 

「別に・・・何も・・・」

 

「先生は治療だけしてればいいんだって。余計なことしゃべるんじゃねーぞ?いいな?」

 

「・・・分かった・・・」

 

チンピラたちが廊下を歩いていく医師の背中に向かって叫ぶ。

 

その声は、部屋の中の遼一の耳にも届いていた。

 

「見張りは二人か・・・。くそ・・・胸を怪我してなければこんなロープすぐ外せるのに・・・うっ・・・」

 

無理にロープを外そうとして上体を揺すると、手術をしたばかりの傷口がものすごく痛む。

 

やはり今は無理か・・・。

 

うまくロープを外せたとしても、この怪我では二人のチンピラたちの目を盗むことも倒すこともできない。

 

「仕方がない。今は治療に専念するしかない・・・」

 

遼一は逃げ出すことをいったん諦めると、一時も早く怪我が治ることを祈った。

 

そして白い天井を見上げ、ラブホテルで別れた宇宙のことを思う。

 

「無事でいてくれればいいが・・・」

 

遼一は、必死に自分の名前を呼ぶ宇宙の姿を思い描いていた。

 

宇宙はあのとき、裸だった。

 

裸のまま、ホテル街からうまく逃げおおせただろうか。

 

それとも、恭也の手の者たちに捕らえられてしまったのではないだろうか。

 

いや、宇宙はまだ捕まっていないはずだ。

 

もし宇宙が捕まったとしたら、あの恭也のことだ、無理にでも自分を叩き起こしてその事実を告げるだろう。

 

きっとそうだ。

 

大丈夫、まだ宇宙は捕まっていない。

 

「大丈夫だ。宇宙はまだ捕まっていない。きっと・・・どこかにいる」

 

遼一は確信を持った声でそう言うと、痛み止めの薬に誘われるように眠りに落ちていった。

 

夢の中に出てきた宇宙は、純粋な瞳をキラキラと輝かせて微笑んでいた。