東京スペシャルナイト 下 22
- 2016年05月07日
- 小説, 東京スペシャルナイト
自分がヤクザの組長の息子だから。
たったそれだけのことで、母や養父母を殺すように命じた本妻、そして手を下した者たち。
そして大江原や亨、恭也まで、かかわっている者すべてが憎いと思った。
そして、そんな自分を捜しているという父親である紅林組の組長が、一番憎いと思った。
「お前を利用して紅林組を乗っ取ろうと考えていたが、その計画は変更したほうがよさそうだ。そうでしょう、亨様?」
と、床に落ちている拳銃を拾った恭也が言うと、逃げようとしていた亨は立場が逆転したことに喜びながら「そうだな」と答えた。
そして自分も拳銃を拾い、余裕の顔で遼一と宇宙の前に近づいていく。
「お前がおとなしくマッサージ師のまま囲われていればこんなことにならなかったのに、残念だな。腕のいいマッサージ師を失うのは痛手だが、仕方ないだろう」
力なく床に崩れている遼一に向かって亨が言う。
「あのとき、言われたとおりに殺しておくべきだったんですよ。十年前に・・・養父母と一緒に・・・」
ゆっくりと近づいてきた恭也も言う。
二人は並ぶと、揃って銃口を遼一に向けた。
宇宙は二人の話の内容に愕然としながらも、身に迫った危機をどのように回避したらいいのか考えていた。
だがいくら考えてもこの状況を一変させられる答えが出てこない。
さっきまで仁王様のようだった遼一は、二人の話の内容にすっかり毒気を抜かれてしまっていた。
母親の死と養父母の死が、すべて仕組まれたものだったとは・・・。それも自分の出生の秘密に原因があったなんて知らされたら、誰でもショックを受けるのは当たり前である。
「・・・遼一、大丈夫?」
宇宙は遼一に抱きつきながら、静かな声でそう聞いた。
「宇宙・・・私は・・・・・」
遼一はまだショックから立ち直っていない。
見た者が思わず身体を震わせてしまうほどのあの威圧感が、どこかにいってしまっていた。
「遼一、お願い、しっかりして・・・」
宇宙は、薄ら笑いを浮かべている亨と恭也を見上げながら、遼一の腕を揺すった。
遼一はじっと何かを考えている。
「遼一、遼一。ショックなのは分かるけど、でもお願いだから立ち直って。でないと本当に殺されてしまうっ」
宇宙が泣きながら言うと、遼一の肩がピクッと動いた。
そして宇宙を見つめる。
遼一の瞳は、涙で濡れていた。
「宇宙、私は二人を許すことができない。どうしてもできないんだ」
遼一が言った。
遼一の瞳には、何かを決心したきらめきがあった。
「うるさいぞっ、何をゴチャゴチャと言っているんだっ。今から二人揃って殺してやるからありがたく思えっ」
恭也が、銃口を遼一に押しつけて言う。
そのときだった。
恭也の腕に、宇宙が思い切り噛みついた。
「いたっ・・・痛い・・・っ」
とっさのことで、恭也が拳銃を落としてしまう。
その隙に、遼一は血を流している脚で亨の身体を思いきり蹴飛ばした。
バキバキッと鈍い音がして、亨の身体が床にうつ伏せになる。
あばら骨が何本か折れたような音だった。
「うあっ・・・ぐあっ・・・・・」
亨が苦しそうに胸のあたりを押さえてヤクザたちと一緒に床を転がる。
恭也も、亨と同じように遼一に蹴られ、そして顔を数発殴られた。
恭也の意識が遠のいていく。
あっという間に形勢が逆転し、ヤクザたちと亨、恭也が床に転がっている。
そして銃口を恭也と亨に向けて引き金を引こうとする。
「遼一!?」
「私はこの二人だけは許すことができないんだ。母ばかりでなく、あの優しかった養父母までも殺したこの二人だけは・・・」
「お、おいっ、殺したのは俺たちじゃない」
「同じことだっ。殺すように命令したヤクザの本妻もその命令を受けたヤクザもお前たちも、一緒だっ。みんな畜生だっ!」
そう叫んだ遼一の瞳からは涙が溢れていた。
宇宙はそんな遼一の胸に抱きつくと、同じように涙を流して訴えた。
「遼一、遼一、お願いだからもうやめて・・・。事実を知ってどんなにつらく悲しいかよく分かる。遼一が受けた仕打ちを考えれば殺したくなる気持ちもよく分かる。だけど・・・この二人を殺してはいけない。二人を憎しみの感情で殺してしまったら、遼一も二人と同じ人間になってしまう。二人と同じ最低の人間になってしまう。そうでしょう?」
宇宙の言葉は、胸にズンッと重くのしかかった。
遼一が、涙が零れている瞳で宇宙を見つめる。
宇宙の瞳にも涙が溢れていた。
宇宙は、自分が受けた痛みをそのまま感じ取り、受け止めてくれているのだ。
遼一は思わず拳銃を手放し、宇宙の身体を抱きしめた。
「宇宙・・・宇宙・・・お前って子は・・・。こんなひどい目に遭いながら・・・」
「遼一、僕がずっとそばにいるから。いつでも遼一のそばにいるから。だから憎しみや恨みを忘れて以前の遼一に戻って。お願い・・・ねっ、遼一?」
宇宙の必死の説得に、遼一の胸につかえていたものがするりと滑り落ちていった。
そして修羅の心が目覚めた仁王様のような遼一ではなく、宇宙と出会った頃の遼一に戻っていく。
「宇宙・・・お前がそばにいてくれてよかった。宇宙と巡り合ってよかった」
「遼一、それを言うのは僕のほうだよ。遼一に巡り合えて本当によかったと思っているんだから」
と宇宙が、遼一の胸に抱きついていく。
ひどい仕置きを受け、心も身体もボロボロの状態なのに、宇宙の純粋で清らかな心根はまったく変わっていなかった。
以前のままの、美しく聡明な宇宙である。
遼一は、そんな宇宙を愛しくてたまらないとばかりにもう一度深く抱きしめた。
だがそんな二人に、懲りていない亨が苦しそうにしながらも、もう一度銃口を向ける。
そして引き金を引く。
一瞬早く拳銃の引き金を引き、亨の腕を撃った男がいた。
それは、ダークな感じのスーツに身を固めている相模鉄男だった。
「うぐぐっ・・・うぅっ・・・」
腕を撃たれた亨は、二度と立ち上がれないほどの苦痛にもがき苦しんでいる。
そんな中に突然現れたてっちゃんを見て、宇宙は両目を目いっぱいに見開きながら驚いた。
「もしかして、てっちゃん!?」
驚きの声で宇宙が聞くと、不精髭を剃り身綺麗になったてっちゃんはふふっと笑った。
「こんな格好してると、やっぱり変か?」
てっちゃんが少し照れたように言う。
「ううん、全然変じゃない。格好いいというか・・・そのほうがずっと似合ってる」
宇宙は、呆然としててっちゃんを眺めながらそう言った。
「誰だ?」
と、遼一が耳元で聞く。
宇宙はにっこりと笑って、あのどしゃぶりの中で助けてくれたのがてっちゃんだと話して聞かせた。
だがどうしてそのてっちゃんが、格好いいスーツ姿でここにいるんだろうか?
てっちゃんはホームレスで、日々の食べ物にも困っていたはずなのに。
「俺も忘れてもらっちゃ困るよ、宇宙」
そう言ってドアから入ってきたのは、丸君だった。
丸君も紺色のスーツを着て、ボサボサだった髪は後ろで一つに結んでいる。
洒落た革靴まで履いている。
あのホームレスでボロボロの衣服を身にまとっていた二人の姿は、そこにはなかった。
「丸君?本当に丸君?いったい・・・どうしちゃったの?」
わけが分からないといった感じで、宇宙が目を白黒させる。
そんな宇宙と遼一の前を横切ったてっちゃんは、腕を撃たれてもがいている亨と意識が朦朧としている恭也の前に立った。
「もうその辺でやめておいたほうがいい。お前たちに勝ち目はない」
「な、なんだと?お前・・・俺を誰だと思っている?」
プライドの高い亨は、撃たれた腕を押さえながらてっちゃんを睨みあげた。
いきなり出てきたわけの分からない男にこんなことを言われる筋合いはない。
亨は、くやしそうにわなわなと唇を震わせながら声を張り上げた。
「俺にこんな真似をして、ただですむと思うなよ。宇宙も遼一もそうだが、しゃしゃり出てきたお前たちも必ず見つけ出して殺してやるっ」
亨はそう吠えると、奥歯をグギギっと噛みしめる。
だがそんな脅しにてっちゃんも丸君も、まったく怯まなかった。
「あんたがどこのどなた様か、よく知ってるよ。国会議員の大江原権蔵の息子だろう?父親の権勢を利用して長い間、紅林組の跡取り息子を拉致監禁してきた罪は重いぞー。分かってるのか?」
と、てっちゃんがしゃがんで言う。