東京スペシャルナイト 下 3
- 2016年03月03日
- 小説, 東京スペシャルナイト
ポチャッと、雨が床に落ちる音がして遼一は目を覚ました。
「あうっ・・・」
動こうとしたが、左胸が焼けるようにひどく痛む。
それに全身のいたるところが苦痛を訴えている。
ここは、どこだ?
遼一は、腫れていてよく目が開かないのを承知で、自分が置かれている周りの状況を見た。
両手を頭の上で一つにされ、縛られた状態でベッドに仰向けに寝ている。
消毒液の鼻をつく臭いと白いカーテン。
ここは病院?
遼一がそう思うと、誰かがドアを開けて入ってきた。
遼一はまだ意識のないふりをして目を閉じた。
「・・・・・で、胸の傷はどうなんだ?」
恭也の声だとすぐに分かった。
「は、はい・・・。弾は抜きましたので・・・大丈夫だと・・・思います」
恭也を恐れているのか、医者らしき男の声が震えているのが分かる。
遼一は、目を瞑ったまま二人の話に耳を傾けていた。
「いつ頃、目が覚めるんだ?」
「あと、三十分ほどかと・・・」
「三十分か・・・」
恭也は何やら考えるようにそう呟き、遼一の顔を覗き込んだ。
チンピラたちに殴られ、ひどく腫れている目の上からは出血していた。
意識のない間に手当てされ、ガーゼや絆創膏を貼られた遼一の顔は、元の男らしく整っている顔からは想像できないほどひどかった。
「せっかくの男前も台なしだな。ふふっ・・・」
息がかかるくらい近くでそう呟いて、恭也は笑った。
その笑いが不気味で、遼一は背筋を震わせた。
この男はいつもそうなのだ。
何を考えているのか分からないところがある。
「この男を一週間以内にちゃんと綺麗に、見られるようなナリにするんだ。いいな?」
「い、一週間ですか?顔の腫れや全身の打撲はなんとかなりますが、胸の傷は一週間では・・・どうしようも・・・」
と、まだ若い医者が声を震わせながら言う。
すると恭也は、バンッと激しくドアを蹴り上げた。
ガラスが入っていた部分が、その衝撃で割れてしまう。
「ひぃっ・・・」
「俺が一週間で治せと言ったら治せばいいんだ。分かったな?」
「は、はいぃ・・・・・」
医者はすっかり脅えてしまって、悲鳴に近い声を上げて答えていた。
意識のないふりをしている遼一は、胸に受けた銃弾の痛みに耐えながらじっとしていた。
「一週間後、また来る。その時は亨様もご一緒だからな。いいな、必ず見られるように治しておけよ。そうでなければ、今度はお前がこういうことになるかもしれないぞ?」
恭也の脅しは、まだ若い医師を心底から震え上がらせていた。
「は、は、はい。必ず・・・」
何か弱みでも握られているのだろう、ヤクザやチンピラたちの怪我を専門に診るこの医者は、必死に返事をしてベッドに寝ている遼一を見下ろした。
「見張りを残していく。あとは頼んだぞ」
煙草に火を点けた恭也がそう言って、白い病室から出ていく。
遼一の治療をしている病院は都内にあり、賭け事でつくった莫大な借金の代わりに、こうして拳銃でできたような、表沙汰にできないような怪我を内密で診療していた。
「顔はなんとかなるが・・・胸の拳銃の傷は癒えない・・・。くそっ、どうしたらいいんだ?」
医師は恭也がいなくなると吐き捨てるようにそう言って、壁を足で蹴った。
ずっと意識のないふりをしていた遼一は、医師と二人きりになるとそっと目を開いた。
「・・・先生?」
遼一に突然呼ばれた医師は、ビクッとしてベッドの上を見る。
両手を頭の上で一つにされ、ロープでベッドのパイプに縛られている遼一が、片目で医師を見つめていた。
「き、気がついたのか?」
「もうずっと、気づいていました」
点滴の器具を見上げて、遼一が言う。
すると、メタルフレームの眼鏡を掛けた見るからに気の弱そうな医師は、不自由そうな遼一をなんとかしてあげようと思ってロープに手を伸ばした。
だが慌てて、その手を引っ込める。
「す、すまない・・・。不自由だろうがそのまま我慢してくれ。意識が戻っていたんなら分かるだろう?私は恭也に逆らえないんだ。賭け事で借金をして・・・小さいが親から譲り受けたこの病院も抵当に入ってる。せっかく医者の免許を取得したっていうのに、賭け事さえしなければこんなビクビクした生活をしなくてもすんだのに・・・」
やせ細っている医師はそう言って何度も壁を蹴り、自分の愚かだった行いを悔やんだ。
だがいくら悔やんでも起こってしまったことはどうしようもないのだ。
それは遼一自身、身に染みてよく分かっている。
遼一は、胸の痛みに顔を歪めながら静かな口調で医師に言った。
「今さら悔やんでも仕方がない。それより、今の状況から少しでも早く抜け出すことを考えたほうがいい」
「そんなこと、そんなことは分かっているっ!だけど・・・借金が膨れ上がってもう自分ではどうすることもできないんだっ。あの男の言いなりになっているしか・・・うぅっ・・・」
三十前の青白い顔をした医師はくやしそうにそう言って、涙を流した。
頬を伝う涙を拭う手が、震えている。
遼一は自分自身を落ち着かせるように、大きく息を吐いた。
そしてしばらくの沈黙の後、口を開く。
「・・・胸の傷の具合はどうなのかな?」
医師は涙を拭きながら、その問いに答える。
「弾は抜いたけど、二週間の安静は必要だ。傷口が完全に塞がるには三週間かかる」
「そう・・・か・・・」
「だけど、あなたは運がいい。あと少しずれていたら心臓を撃ち抜いていた」
少し気持ちが落ち着いたのか、医師が少し笑いながら言う。
それを見た遼一は、腫れた顔を緩めた。
笑うと、やっぱり痛い。
「運がいいか・・・。だけど私もあなたと同じで、過去の過ちをいつも後悔している。あのとき、どうして・・・ってね」
と、遼一が話すと、医師は興味を持ったのか顔を覗き込んだ。
「あなたも・・・恭也に弱みを握られているんだ」
「いや、私が弱みを握られているのは恭也のボスなんだ。ボスは、一週間後にここに来る」
「と、亨様に?」
亨を知っているのか、医師は亨の名前を聞いたとたんに震えだした。
表の顔と裏の顔を持つ亨の性格をよく知っているようだった。
「・・・かわいそうに・・・。一生抜けられないよ・・・」
医師は同情するように遼一を見下ろす。
だが遼一は、そんな同情を大胆不敵そうな笑いで消し去った。
「いや、抜けてみせる。私はなんとしても、今までの状況から抜け出してみせる。宇宙にそう誓ったんだ」
遼一の綺麗な瞳を垣間見た医師が、驚いたように後ずさる。
こんなにひどい目に遭っているのに、自分の意思を決して曲げない遼一に驚愕した様子だった。
「宇宙って・・・あなたの恋人?」
点滴をもう一本追加しながら、医師が聞く。
遼一は管を通り針に落ちていく点滴を見つめたまま「そうだ」と答えた。
「宇宙のためだったら、私は死んでもいいと思っている。宇宙を守るためだったら、このまま野垂れ死んでもいい。だが、今はそんなことは言ってられない。ここを抜け出して宇宙を見つけなければ・・・・・」
と、言った遼一が突然ロープで縛られている腕を動かす。
なんとか、ロープを解こうとしたのだ。
だが、しっかりと固定されているロープは、体力をすっかり消耗した遼一が暴れたぐらいではビクともしなかった。
「だめだよ、点滴が外れてしまうっ」
「先生お願いしましすっ。ロープを外してください。私は宇宙を探さなければいけないんですっ」
遼一が片目で懇願する。
だが医師はその縋るような瞳から顔を逸らすと、もっときつくロープを固定した。
「あなたを逃したら、私がこういう目に遭うって脅されたんだ。残念だが、逃げ出すのは諦めてくれ」
「先生っ!」
医師が遼一を一人ベッドに残し、病室を出ていってしまう。
ドアの外には、恭也が残していったチンピラが二人、面白くないような顔で立っていた。
「おい、先生っ!何話してんだよ?」
「別に・・・何も・・・」
「先生は治療だけしてればいいんだって。余計なことしゃべるんじゃねーぞ?いいな?」
「・・・分かった・・・」
チンピラたちが廊下を歩いていく医師の背中に向かって叫ぶ。
その声は、部屋の中の遼一の耳にも届いていた。
「見張りは二人か・・・。くそ・・・胸を怪我してなければこんなロープすぐ外せるのに・・・うっ・・・」
無理にロープを外そうとして上体を揺すると、手術をしたばかりの傷口がものすごく痛む。
やはり今は無理か・・・。
うまくロープを外せたとしても、この怪我では二人のチンピラたちの目を盗むことも倒すこともできない。
「仕方がない。今は治療に専念するしかない・・・」
遼一は逃げ出すことをいったん諦めると、一時も早く怪我が治ることを祈った。
そして白い天井を見上げ、ラブホテルで別れた宇宙のことを思う。
「無事でいてくれればいいが・・・」
遼一は、必死に自分の名前を呼ぶ宇宙の姿を思い描いていた。
宇宙はあのとき、裸だった。
裸のまま、ホテル街からうまく逃げおおせただろうか。
それとも、恭也の手の者たちに捕らえられてしまったのではないだろうか。
いや、宇宙はまだ捕まっていないはずだ。
もし宇宙が捕まったとしたら、あの恭也のことだ、無理にでも自分を叩き起こしてその事実を告げるだろう。
きっとそうだ。
大丈夫、まだ宇宙は捕まっていない。
「大丈夫だ。宇宙はまだ捕まっていない。きっと・・・どこかにいる」
遼一は確信を持った声でそう言うと、痛み止めの薬に誘われるように眠りに落ちていった。
夢の中に出てきた宇宙は、純粋な瞳をキラキラと輝かせて微笑んでいた。