東京ハードナイト 21

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それから数日後、いろいろと悩んだ由一は堂本マンションに戻ることを決意した。

 

明日はこのアクアを出て、堂本のところに戻るのだ。

 

そしてヤクザの情夫としての自分の運命を受け入れるのだ。

 

「堂本さんのところに戻って、本当に大丈夫なの?ちゃんと理解したの?自分で納得したの?」

 

真琴は、少し緊張している由一に向かって、心配そうな顔でそう聞いた。

 

真琴は、正直とても心配だったのだ。

 

由一が本当の堂本を知ったうえで受け入れてくれればいい。

 

そして、自分の運命を受け止めてくれればそれに越したことはない。

 

確かにそう思って堂本をアクアの予約に入れたのだが、それで本当によかったのだろうかとちょっとだけ不安になっていた。

 

だが由一は、そんな真琴の不安を吹き消すように笑顔を見せつけて、自信満々に頷く。

 

「はいっ。大丈夫です、真琴様」

 

今夜は最後の夜だからと、真琴が特別に食事に連れてきてくれたのだ。

 

場所は銀座のイタリアンレストランだった。

 

ここは、牛肉のカルパッチョが美味しくて、とても有名な店だった。

 

真琴のお気に入りで、時間ができるたびに藤堂と一緒に食事に来る、大切なレストランの一つだった。

 

そんな店に連れてきてくれた真琴の気持ちを嬉しく思いながら、由一は次々と運ばれてくる美味しい料理に舌鼓を打っていた。

 

「それに、ちゃんとヤクザの情夫という運命を受け入れるって決めましたから。頑張って生きていきますから」

 

と、由一は『蟹肉入りのスパゲッティ・トマトソース味』を食べながら、大きく頷く。

 

ここのイタリアンレストランの料理は本当に美味しくて、ついつい食べすぎてしまっていた。

 

「・・・いや、そういうことじゃなくて・・・私が言いたいのは・・・。まぁ、いいかな。そのうちに分かってもらえば・・・」

 

と、真琴は由一の言葉に少し不満そうな顔で何かを言いかけたが、口を噤んでしまう。

 

由一は真琴が何を言いかけたのか気になって何度も聞いたが、真琴は『そのうちに分かるでしょう』と言うだけで、何も教えてはくれなかった。

 

「それに、今の由一君に話しても、きっと理解してもらえないと思うから。もう少し時間が経って、もう少し大人になったら分かるかな?」

 

「大人・・・ですか?」

 

「そう。大人にならないと分からないことってとても多いからね。実際、大人になっても分からない人の方が多いけど・・・」

 

「はぁ・・・」

 

由一はますます分からなくなってしまう。

 

「それより、堂本さんのところに戻っても、たまにはアクアに来なさいね。堂本さんはきっと反対はしないはずだから」

 

「はい」

 

「それと、なんでもいいから困ったことがあったら相談して。いつでも、私にできることなら相談に乗るから、ね?」

 

「はいっ」

 

由一は嬉しそうに返事をして、最後にステーキを食べていく。

 

真琴はとても美味しそうに食べている由一を見て、自分まで幸せになってきた。

 

この調子なら、きっと大丈夫だろう。

 

さまざまな難題が降りかかってきても、きっと乗り越えていける。

 

真琴は、すっかり元気を取り戻した由一を、内心願うような気持ちで見つめていた。

 

「真琴様、そろそろお時間です」

 

真琴にそっと耳打ちしたのは、ボディガードの一人だった。

 

恋人である藤堂がヤクザの四代目であるために、真琴にもその火の粉が降りかかり、何度か危険な目に遭遇している。

 

そんな真琴の命と身体を守るために、藤堂は特別にボディガードを何人かつけていた。

 

今日も、黒いサングラスを掛けたとても強そうな二人のボディガードたちが、貸し切りの店内で目を光らせている。

 

「・・・由一君。私はそろそろ店の方に行くから。特別なお客様の予約が入っていて、抜け出せないんだ。藤堂さんの知り合いだし、ごめんね」

 

と、ナプキンをテーブルに置き、席を立った真琴が申し訳なさそうに言う。

 

由一は慌てて席を立つと、真琴に向かって深々と頭を下げた。

 

これでもう、しばらくは真琴にも会えないのだ。

 

あの時、偶然にも真琴に出会っていなかったら、きっと今の自分は存在しなかっただろうと由一は思った。

 

その辺の路地でのたれ死んでいるか、夜の街中に立って身体を売っているか、とにかくまともな仕事はできなかったはずである。

 

身寄りのない由一の話を聞いただけで温かく迎え入れてくれた真琴には、一生かかっても返せないくらいの恩ができた。

 

見ず知らずの自分に、食べ物ばかりではなく、住む所や働く所までも世話をしてくれたのだ。

 

「あのっ、また会えますよね?」

 

ボディガードに囲まれて店を出て行く真琴に向かって、由一は叫んだ。

 

真琴は少しだけ振り返って、大きく頷いた。

 

「由一がそう願っていれば、いつかきっとまた会えるから・・・。それと、これから堂本さんの情夫となればいろいろなことがあると思うけど、どんなことがあっても決して下を向いちゃだめだよ。いつでも上を向いて凛としていること。そうすればきっと道は開けるから。いいね?」

 

真琴の最後の言葉を胸に刻み込みながら、由一はもう一度頭を下げた。

 

真琴の姿が完全に見えなくなり、誰一人として客のいない広々としたイタリアンレストランには、由一と真琴が特別に用意してくれた運転手がいるだけとなった。

 

由一は、あれからずっとアクアの近くにあるビジネスホテルで寝泊まりをしていた。

 

今夜であのビジネスホテルで寝るのも最後だと思いながら、なぜかとても寂しく感じていた。

 

堂本のところに戻ることに不安はない。

 

だが、真琴と離れることがとてもつらかった。

 

「・・・・・それにしても、真琴様はあの時、何が言いたかったのかな?大人にならないと分からないって言っていた、真琴様と年齢は一緒ぐらいなんだけど・・・・・」

 

由一は呟くようにそう言って、店を出た。

 

店の外は、少し歩くと人通りが激しくなり、とても賑やかだった。

 

請求書は、アクアに届けられるようになっている。

 

「ありがとうございました」

 

店のオーナーは、シェフたちと総出で由一を送り出してくれた。

 

「このままホテルに向かいますか?」

 

年老いた運転手が、由一に尋ねる。

 

由一は『ホテルに行ってください』と、運転手に答えた。

 

運転手は、少し離れた駐車場に停めてある、シルバーメタリックのBMWに向かって足早に歩いていく。

 

その場に残された由一は、一人で銀座の夜の街を堪能した。

 

こんなふうに、気ままに夜の銀座を一人で歩くのもきっと今夜が最後かもしれない。

 

明日からは、堂本の情夫としての特別な生活が待っているのだ。

 

真琴のように特別に派手で優雅な生活ではないだろうが、堂本も次期組長として名が挙がっているのだ。それなりのデメリットも覚悟しなければならない。

 

真琴がいつか話してくれたことがあった。

 

ヤクザの情夫は豪勢で華やかな生活を送っているので、人から羨ましがられることがある。

 

だがその反面、妬まれたり憎まれることも覚悟しなければいけないと。

 

自分がまったく知らないところで、命を狙われることもあるのだと。

 

そのデメリットだけは、覚悟しなさいと。

 

「本当に私にできるんだろうか。ヤクザの情夫なんて・・・。花が好きで、花のこと以外何も知らないのに・・・」

 

由一には、これから自分の運命がどうなるのかまったく分からず、未知の世界だった。

 

だが今はあの高層マンションに帰って、堂本と一緒に生活すると決めたのだ。

 

だからもう、いろいろ悩んでも仕方がないのだ。

 

「よしっ。頑張るぞっ」

 

由一は、歩道で意気込んでそう言うと、運転手が取りにいった車を待っていた。

 

と、そんな由一の前に一台の黒い国産の最高級車が停車する。

 

あれ?この車じゃないよね?

 

由一は、助手席や後部座席からドカドカと降りてきた人相の悪そうな男たちを見て、違うと思った。

 

だが、由一がそう思った時にはもう、男たちによって捕らえられ、車の後部座席へと押し込められていた。

 

「あっ・・・やめてっ・・・誰かっ!」

 

叫ぶ間もなくなく、由一はあっという間に連れ去られてしまう。

 

そこに居合わせた通行人はしばらく無言のままその光景を見つめていたが、車が走り去ると何事もなかったように歩き始める。

 

「・・・あれ、由一さんの姿が見えないが・・・」

 

それからすぐに、BMWを運転して戻ってきた運転手は、由一の姿を捜していた。街灯の明かりの下、どんなに捜しても由一の姿がない。

 

運転手は、車から降りて何度も由一の名を呼びながら、はっとした。

 

これはもしかしたら、とんでもないことになってしまったのでないだろうか。

 

運転手は慌てて車の中に戻り、携帯を取り出す。

 

そしてアクアの店の番号をプッシュした。

 

「あ、あの・・・由一さんが・・・いなくなりましたっ。さっきまで一緒だったのですが、行方不明ですっ」

 

ホストから携帯を受けた真琴は、運転手が叫んでいる言葉をゆっくりと頭の中で整理し、考えていた。