東京ハードナイト 2
由一がフラワーショップ『白樺』で働くようになってからというもの今にもつぶれそうだった白樺は、みるみるうちに経営が上向いていった。
溜まっていた金融業者への借金も少しずつ返済に回り、白樺の経営は順調だった。
一時はつぶれるのを覚悟で、どうしてもここで働きたいと言ってきた由一を、半ばやけくそで雇った佐川だったが、こうなると由一は神様のような存在である。
由一の姿は神様というよりは天使様に近かったが、心まで天使様だったことに驚いていた。
センスがいいだけじゃなくて、つらい仕事を押し付けても文句一つ言わないで、一生懸命働いてくれるのだ。
そんな由一の評判を聞きつけて、白樺は毎日さまざまな客層で溢れていた。
「ありがとうございましたっ」
由一が最後のお客を見送ると、佐川はふーっと大きくため息を吐いて、パイプ椅子にドカッと腰を下ろした。
「やっと終わったか・・・。今日も忙しかったな」
「はいっ。仕入れたお花がほとんどなくなってしまいましたね」
と、由一が箒で床に散らばっている葉っぱをテキパキと掃除しながら嬉しそうに言う。
紺色のエプロンに白いトレーナー。それに黒いジーパンと安物のスニーカーを履いている由一を見て、佐川はずっと心の中で思っていた疑問を口にした。
「・・・由一くらいの容姿があったら、普通はもっといい服を着てもっといい靴を履いて・・・稼ごうと思えばいくらでも稼げるのに、どうして花屋なんだ?」
唐突な質問だった。
だが由一は、ちり取りの中にゴミを箒で掃き入れながら少し笑って答える。
「お花屋さんが好きだからですよ。決まってるじゃないですか」
「だけどな・・・。それだったら別にうちの花屋じゃなくてもいいだろう?他の花屋から引き抜きがきてるのは知ってるし、高給取りになれるのを断ってまでどうしてこんなボロい花屋で時給九百円のバイト代で働いているのか、ちっとも分からないんだよなー。何か特別な理由でもあるのか?いや、俺はとっても助かってるんだ。由一のおかげで借金もだいぶ減ってきたし、この店も売らなくて済んだんだから。だけどな、どーしても分からないんだ。なんでうちなんだ?」
佐川の言っていることはもっともだった。
由一のように素晴らしい技術と教養と美が共存している青年は、滅多にいるものじゃない。
いや、探そうと思っても無理である。
そんな青年がどうして?
「このお花屋さんが好きなんです。理由は、それだけです」
由一はどこかで昔を懐かしむような顔でそう言って、店の奥に行ってしまう。
「ここにある菊、水切りしてから帰りますから」
と、由一が奥の水場から言う。
佐川は『ああ、頼む』と返事をして、由一が答えてくれた言葉の意味を考えていた。
この花屋が好きって、よく分からんなー?
佐川は少し考え込んでいたが、答えが見つからなかったのか、諦めたように椅子から立ち上がると帰り支度を始めた。
「じゃあ、俺は飲みに行くから。由一も早く帰れよ」
「はーい。お疲れさまでしたっ」
「お疲れー」
佐川は、一週間分の売り上げの入った鞄を脇に抱えるようにして、店を出て行く。
これから行きつけの小料理屋で一杯やるつもりなのだ。
酒と賭け事が好きな佐川は、親から引き継いだ花屋をそのために傾かせてしまったのだが、最近は由一のおかげで懐が暖かい。
借金で首がまわらなかった時のことなど、もう頭の中にはなかった。
まったく。どういう理由でうちの花屋にいるのか知らないが、由一のおかげで毎晩酒は飲めるし、負けが祟ってずっと断っていたマージャンだって始められるようになったんだから、感謝しなくちゃな。
佐川は内心そんなことを思いながら、大金が入っている鞄を大切そうに撫でて、行きつけの店の暖簾を潜っていく。
「いらっしゃい」
「あっ。ビール、ビール。それとつまみは適当にね」
「佐川さんっ、最近は景気がいいらしいね。あの由一君のおかげかい?」
「ああ、そうだよ。まったく、由一様、様だ」
佐川は大声で笑いながら、上機嫌でカウンターの席にドカッと座った。