東京ハードナイト 8
ずっと一人で閉じ込められていたせいか、最近では人恋しくてしょうがなかった。
それに、まんまとここから逃げ出せたとしても、そこから先はどうなるのだ?
どこに逃げたらいいんだろう?
家はないし、家族もいないし、フラワーショップの白樺にだって行けない。
それに逃げたりしたら、きっと堂本は怒りまくって追いかけてくる。
地の果てまでも追いかけてくるに違いないのだ。
「あ、あの・・・。食べ終わるまでここにいてもらえませんか?」
由一は、部屋を出て行こうとするヤクザたちに向かってそう言った。
不審そうな顔をして、派手なスーツ姿のヤクザたちが振り返る。
「何か・・・企んでるな?」
「そ、そんなことないですっ。ただ・・・話したいだけです。誰でもいいから・・・」
と、由一は切なげな瞳を向けて言った。
それほど、由一は人恋しかった。
人は、無人島では生きていけないのだ。
食糧や衣服、住居があっても、話し相手がいなければやがて気が変になってしまう。
そんな本を読んだことがあったが、由一はそれは本当だと考えるようになっていた。
誰でもいいから、人と接していたいのだ。
たとえ相手が怖いヤクザでもいいから、言葉を交わしたいのだ。
「あの・・・このフランス料理とっても美味しいです」
「・・・・・」
「このサラダなんて、今まで食べたことがないくらい美味しいです。新鮮だし、何よりもドレッシングがいいです」
「・・・・・」
由一が何か話しかけてきても、ヤクザたちは何も言わない。
必要以上に由一と接触することを、堂本から禁じられていたのだ。
だが由一は、このままずっと一人で閉じ込められる生活をあとたった一日でも続けていたら、発狂してしまいそうだった。
生活するには困らない、何もかも揃っている贅沢で豪勢な部屋。
だが由一が今欲しいのものは、話し相手だった。
由一が一生懸命に前菜を食べていると、玄関の辺りが急に騒がしくなった。
「・・・どうだ、様子は?」
その、迫力のある声の持ち主は、堂本だった。
「はい。とてもおとなしいです」
「そうか・・・」
一ヶ月ぶりに見る堂本は、相変わらず顔の右側にひどい傷跡があったが、見たとたん由一の胸の奥がドキンと高鳴った。
唯一、由一をこの状況から救い出すことができる堂本は、由一にとって神様のような存在になっていた。そんな堂本が、やっと来てくれた。
自分に会いに来てくれた。
一人で過ごした一ヶ月の間、もう忘れられてしまったのかもしれないと何度も思っていた。
だが、こうして来てくれた。
それが何よりも嬉しかった。
堂本は、以前出会った時よりもさらに高価そうな紺のダブルスーツを着ていた。
Yシャツとネクタイは、品のいいピンク色で統一している。
洒落たデザインの革靴は、イタリア製だった。
「少しは反省したようだな?それとも、自分の立場がようやく分かったか?ん?」
堂本は、食事をしている由一の側に近寄り、まだ口の中に食べ物が入っていてモグモグとやっている顎をグイッと上に向かせた。
そしてそのまま、チュッと唇に軽くキスをする。
由一は、両手をフォークとナイフで塞がれていたために、以前のように爪で引っ掻くことができなかった。
ナイフを持ったまま暴れたら、さすがに冗談では済まされなくなる。
それに、両手が塞がっていなくても由一はきっと抵抗しなかっただろう。
人との繋がりをまったく絶たれたような生活には、もう少しも耐えられなかったからだ。
もしかしたら、誰もいない離れ小島にでも連れて行かれるかもしれないのだ。由一は、借金の形に売られた自分の運命をすべて受け入れたわけではなかったが、離れ小島に行くこともこれ以上このマンションに一人ぼっちで放っておかれるのも、嫌だった。
「だいぶ、素直になったな?」
堂本は、キスしても抵抗を示さなくなった由一に満足して、ふふっと笑う。
そして今日は余程機嫌がいいのか、由一の髪を指で弄りながら穏やかな表情で言葉を続けた。
「食事を済ませてシャワーを浴びろ。俺が選んだ服を着て、決して逆らわないと約束できるなら、外に連れ出してやってもいいが・・・どうする?」
それは、神様の声のように由一には聞こえた。
由一はフォークとナイフをテーブルに置き、縋るような目つきで堂本を見上げた。
「ほ、本当に?」
「俺の言うことを全部聞けたらの話だ。それと、決して逃げ出さないと誓え」
堂本は、由一の顎を掴んだまま低い声で言う。
由一は、考える間もなく『はいっ、誓いますっ』と答えていた。
あまりにも素直な答えに、堂本が不審そうに左目を細めて眉間に皺を寄せる。
「あっ、あの・・・本当ですっ。絶対に逃げませんっ。言うことも聞きます。食事も食べるしシャワーも浴びるし、服だって堂本さんの好みのものを着ます。だからお願いしますっ。この部屋から連れ出してください。もう一カ月以上も一人きりで、誰とも話をしていないんです。寂しくて寂しくて・・・このままだったら、発狂して死んでしまいますっ」
由一は、必死の形相で堂本の上着の端を掴んで訴えた。
上着の端を掴んだ由一の手が、ブルブルと震えている。
余程このマンションに一人で閉じ込められていたことがつらかったのだろう、茶色い瞳もすっかり潤んでいる。
このまま少しでも突き放したら、今にも大声で泣き出しそうである。
堂本は、一カ月前の気の強い由一とは別人のように素直になったことに、内心とても満足していた。
由一が素直で言うことを聞いていれば、堂本は気分がいいのだ。
この調子なら、今夜のうちに由一を抱ける、と堂本は思った。
堂本は、凶暴な猫のような爪を立てて抵抗する由一を無理に抱いても、愛と優しさに飢えている自分の心が満たされないのはよく分かっていた。
だから堂本は一カ月前のあの時も、せっかく手に入れた由一を抱かなかったのだ。
堂本が欲しているのは由一の身体だけではなく、心も、そして由一の愛情も、すべて手に入れたかったのだ。
由一を初めて見たのは二カ月前。
花束をとても嬉しそうに作る由一の美しさに、堂本は瞬時に心を奪われていた。
心の美しさと純粋さが伝わってくる、由一の優しい笑顔を一目見て、堂本は自分一人だけのものにしたいと思ったのだ。
由一なら、きっと荒んだ心を癒してくれるに違いない。
あの時から、堂本は由一が欲しくて堪らなかったのに、ずっと我慢していたのだ。
それは、今までなんでも自分の思いのままにしてきた堂本にしてみれば、拷問に近かった。
だが、この調子なら今夜中に素直な由一が抱ける。
そう思うと、自然と声も優しくなっていた。
「・・・・・いいだろう。さっさと食事をして、シャワーを浴びて服を着るんだ」
「は、はいっ」
由一は嬉しそうに返事をすると、急いでステーキを口に運んだ。
そして広いバスルームに走り、シャワーブースで勢いよく身体を洗い、堂本が用意してくれた衣服に袖を通していく。白い高価なYシャツと、黒いコットンのスラックス。
ベルトには、グッチのロゴが入っていた。
最後に黒い革のスニーカーを履き、急いでソファに座っている堂本の前に走っていく。
「あ、あのっ。できましたっ。これでいいですか?」
由一は、一カ月ぶりに外の空気が吸えることが嬉しくてしょうがなかった。
堂本の情夫とか、借金の形とかそんなことよりも、この鳥籠のようなマンションから出してもらえる喜びの方が強かったのだ。
もう、嬉しくてしょうがない。
「・・・よく似合っている」
堂本は、用意したオートクチュールの服を着た由一を見て、左目を細めて言った。