東京スペシャルナイト 上 32
- 2016年02月13日
- 小説, 東京スペシャルナイト
桜井と宇宙が入ったのは、場末の安いラブホテルだった。
どこでもいい。
とにかく今は二人だけになりたかった。
話したいことがたくさんある。
だけど、時間がない。
それは桜井だけでなく、宇宙も直感で感じ取っていた。
小さな部屋にダブルサイズのベッドが一つ。
そして小さな冷蔵庫と小さなテレビ。
そしてユニットバスとトイレがあるだけの部屋だったが、今の二人にはそれだけでも十分だった。
「何から話したらいいのだろうか」
ベッドに腰を下ろした桜井は、隣に宇宙を座らせてそう言った。
先ほど、ヤクザのような男に啖呵をきっていたときの桜井とは全く別人のように、優しい声だった。
自分を見つめる眼差しも、優しさと慈愛に満ちている。
とても同じ人物のようには見えなかったが、目の前にいる桜井こそが本当の桜井だと宇宙は信じていた。
桜井があのとき、あのヤクザのような男に挑んでいなかったら、きっと自分は攫われていた。
いや、自分だけじゃない。
桜井だって捕らえられていたかもしれないのだ。
黒いスーツ姿のヤクザ風の男には見覚えはなかったが、この前のチンピラたちと繋がっていることは一目瞭然だった。
なぜ桜井さんは縛られているのだろうか?
あんなヤクザのような男たちに。
それにあの男が言っていた、亨様っていったい誰なんだろうか?
宇宙は、桜井に安物のスーツを脱がされながら、ずっとそんなことを考えていた。
「最初から・・・全部話して。僕は何を聞いても驚かないから。もう・・・あなたから離れないって決めたから」
宇宙は上半身裸にされると、桜井の首に抱きつきながら言った。
桜井が、そんな宇宙をそっとベッドの白いシーツの上に押し倒す。
「宇宙が想像している私とは、全然違うんです。私は宇宙が思っているような人間じゃない」
そう言った桜井の顔は、悲しみとせつなさが入り交じったような表情をしていた。
十年間というもの不当な扱いを受け、それに耐え忍んできた苦悶の表情だった。
だが宇宙には分からない。
なぜ桜井が、そんな苦汁を飲まされたような表情をしているのか。
宇宙は、そっと桜井の前髪に指を絡めた。
「あの恭也という人は、どういう人なの?桜井さんの過去にいったい何があったというの?」
宇宙が、同じようにせつなそうな顔をして聞く。
すると桜井は、宇宙の薄茶色の瞳をじっと見下ろしながら顔にかかる髪を指で弄った。
「私の話を聞いたら、私を嫌いになってしまうかもしれない」
唇にそっとキスをして、桜井が不安げな声で言う。
宇宙はすぐに首を振って、その言葉を否定した。
「ううん、そんなことは絶対にないから。僕はどんな話を聞いても桜井さんを嫌いになったりしないから。桜井さんを命をかけて愛するって決めたんだから。だからお願い話して。ねっ?」
いつになく、不安げな桜井の声。
そして細められた瞳。
いつもの自信に満ちていて優しく穏やかな桜井からは想像もできない姿だった。
きっと、とんでもない不幸が桜井の過去にあったのだ。
今まで気づかなかったけど、考えてみれば桜井ほどの男がただのマッサージ師でいることも不思議だった。
エリートサラリーマンとか、青年実業家とか、桜井が望めば思いのままのはずなのに。
どうしてマッサージ師という職業に縛られているのだろうか。
もしかしたら、スペシャルマッサージとかウルトラスペシャルマッサージも、その辺に関係があるのかもしれない。
宇宙は、何を聞いても決して自分の気持ちは変わらないという固い決心を抱いて、桜井の話に耳を傾けた。
「話は、約十年前に遡ります・・・」