東京スペシャルナイト 下 23
- 2016年05月17日
- 小説, 東京スペシャルナイト
相手がすべての事情を知っていることに驚いた亨は、苦痛で顔を歪めながらてっちゃんと丸君を見つめた。
「・・・くぅ・・・お前たちは誰だ?どうして遼一の出生の秘密を知っている?」
するとてっちゃんが、床に転がっているサイレンサー付きの銃を拾い上げ、指先でくるくるっと回す。
「俺たちのことより、自分の身の上を心配しろ。お前にはもう父親の保護はないからな」
てっちゃんの言葉に、亨の顔色がサーッと青くなった。
父親の保護がないとはどういうことなのか?
「本人に直接聞け」
と、てっちゃんが言うと、開け放たれたドアから側近に囲まれた大江原権蔵が入ってきた。
杖をつき、ゆっくりとした足取りで病室の中に入り、惨状を目の当たりにするなり権蔵は顔を曇らせた。
「・・・ここまで無能者だとは思わなかった・・・。お前を私の後継者として次期参議員に推薦するのはやめにしよう」
権蔵は汚らわしいものでも見るように亨を見て、そう言った。
腕を撃たれている亨は、父親の言葉に驚愕する。
「と、父さんっ!これにはわけが・・・ 」
「わけなどどうでもいい。大事なのは結果だ。私はお前にそう教えてきたはずだ。そうだろう?」
そう言った権蔵が呆れ果てたように息子を見つめる。
権蔵の側近たちは、傷ついているヤクザたちを立ち上がらせ、病室から連れ出していく。
「紅林組の組長より正式に通告があった。息子を返してほしいという内容のものだ。私がお前に遼一を預けたのは、こういう結果を望んでのものではない。もう少し父親の心中を察しているかと思ったが・・・」
権蔵は首を振りながらそう言って、亨に背中を向けた。
「でもまだ負けたわけでは・・・。遼一を人質にして要求を出してみては・・・」
「馬鹿者っ!勝敗以前の問題だということにまだ気づかぬのかっ!この愚か者めがっ!」
振り返り、権蔵が怒鳴りつける。
その声に身体を縮ませてしまった亨は、身体の痛みも忘れたようにガックリと床に崩れた。
そんな亨に追い打ちをかけるように、権蔵が言う。
「お前の息子が言っていた。『僕の先生をいじめたら承知しない、一生父さんを恨んでやる』と、『父さんに伝えておいてくれ』と。あれは勘のよい子だ。お前が国の担任の先生に何をしようとしているのか勘づいているようだ」
「国の・・・担任?まさか・・・宇宙が?でもそんな報告は・・・」
「だから愚か者だと言うのだ。自分の息子の担任ぐらい覚えておけ、この馬鹿者がっ!」
権蔵の言葉に、亨は愕然としてしまった。
自分の息子である国が、いつもとても好きだと言っていた担任の教師が、宇宙だったとは!
遼一のことだけに気を取られ、宇宙の身辺を探ることを怠っていた。
「それともう一つ。この一件からはすべて手を引かなければならない理由がある。あの藤堂四代目が紅林組の跡取りの一件を陰で調べているという噂が耳に入った。藤堂四代目が動き出したとなると、手を引かざるを得ない。そうだろう?」
父親の言葉に、亨はぐうの音も出なかった。
日本の裏社会を牛耳っているという藤堂四代目がこの一件にかかわっているとなると、もはやどうすることもできなかった。
宇宙と遼一を、自由にしてやるしかない。
「今後いっさい、二人には構うな。いいな?」
権蔵は最後にそう言い残し、病室を出ていく。
病室の外には、あの気弱そうな医師が立っていた。
権蔵はその医師に向かって言う。
「亨に、この病院から手を引かせる」
その一言を聞いた医師が、びっくりして目を白黒させる。
「あ、あの・・・では・・・借金のほうは?」
「藤堂四代目の代理の者から預かった。お前はもう自由だ」
「代理の者?」
医師はそう呟いてから、いきなり目の前に現れた相模鉄男の存在を思い出した。
ではあの男が?
「宇宙、怪我はない?」
病室の中では、丸君が宇宙に話しかけていた。
「ううん、大丈夫。ちょっといろいろされちゃったけど・・・でもこんなことは平気だから」
真っ赤な蝋がまだ残っている身体で、明るく宇宙に言う。
その健気な元気さと明るさに丸君とてっちゃんは思わず微笑んだ。
実はてっちゃんと丸君は、病室の中で行われたすべてのことを監視カメラで見ていたのだ。
蝋で責められ、バイブで嬲られても決して自分の意思を曲げなかった宇宙を見て、二人の愛が本物だと知った。
そして携帯から藤堂四代目に連絡を入れて紅林組を動かし、権蔵をここに導いたのだ。
権蔵は最初は知らぬ存ぜぬを通していたが、藤堂の名を聞いたとたん手のひらを返したようにすべてを打ち明けた。
権蔵ほどの大物政治家でも、藤堂四代目に睨まれることは避けたかったのだ。
「あなたが桜井遼一さんだね?」
ダンディな雰囲気を漂わせているてっちゃんに丁寧に尋ねられて、遼一は立ち上がって「はい」と返事をした。
てっちゃんが遼一の顔をじっと見つめて、満足したように頷く。
「あなたの本当の姿は見せてもらった。修羅の心を持ちながらもそれに流されることなく己自身と正義を貫き通したあなたの姿には感銘を受けた。紅林組もあなたのような跡継ぎがいれば安泰だろう」
てっちゃんの言葉に、遼一がゆっくりと首を振る。
「いいえ。私は桜井遼一です。紅林組など知りません」
「だがあなたはまぎれもなく、紅林組の跡継ぎだ。父親があなたの行方を血眼になって捜している。組を任せたいと思っているのだ」
てっちゃんが、慎重な口調で言う。
ガウン姿の遼一は、腕の中に宇宙を抱きしめたまま立ち上がり、その事実を拒絶するかのように首を横に振った。
「私の父が誰であるにしろ、私は私です。ヤクザの組長になるつもりはありません」
潔くきっぱりと言った遼一を見て、てっちゃんがニヤッと笑う。
「その心意気も気に入ったよ。今どき、あなたのような人は珍しい。事実を頭から否定しないで、一度、父親に会ってみたらどうだ?考えが変わるかもしれないぞ?」
てっちゃんの優しい言葉にも、遼一は頷かなかった。
傷ついた足首を引きずるようにして、宇宙と一緒に病室を出ていく。
「・・・父にお伝えください。私の心は変わらないと。私は宇宙と一緒に生きていくと」
それだけ言うと、遼一はめちゃくちゃになっている病室を後にした。
ガウンを着ている宇宙を抱きしめながら廊下に出ると、そこには手当をしてくれたあの医師がにこやかな表情で立っていた。
「なっ、聞いてくれっ。藤堂四代目のおかげで、もう脅される生活も終わりそうなんだ。この病院も借金のかたに取られなくて済んだ。これからも医者を続けられそうなんだ」
そう言った細面の医師の瞳には、涙が溢れていた。
ずっと脅えていた生活からやっと抜け出せた喜びが溢れていた。
遼一は、そんな医師の肩にポンッと手を置くと、今まで看病してくれた礼を言った。
「いろいろとありがとう」
「こ、こちらこそっ。救ってもらったのはこちらのほうだ。なんて礼を言ったらいいのか・・・」
「救ったのは私じゃない。中にいる人たちだ」
と、遼一が病室を指さして言う。
病室にまだてっちゃんと丸君が残っていた。
「いや、私の荒んだ心を救ってくれたのは間違いなくあなただ」
医師はそう言って右手を差し出す。
遼一は、ふっと軽く笑った。
そして医師と固く握手すると、宇宙の身体を抱き寄せるようにして廊下を歩いていった。
てっちゃんと丸君は、そんな遼一と宇宙の後ろ姿をただじっと見つめていた。