東京スペシャルナイト 上 30
- 2016年02月08日
- 小説, 東京スペシャルナイト
できるならあのまま、海外にでも逃亡してくれれば手間が省けていいのだが。
恭也は、座り心地のよいベンツの後部座席に身を沈めながらそう思った。
煙草を口に銜えると、隣の手下の男がすかさずライターで火を点ける。
いや、それでは芸がなさすぎるか。
せっかく桜井が亨様に逆らうように仕向けたのだから。
桜井の目の届くところで宇宙を攫うように見せかけたのも、桜井の本心を聞き出すため。
まんまとその目論見は成功した。
桜井には今までいい思いを味わってきた分、苦い思いを味わわせてやらなければ。
まぁ、本人はいい思いを味わってきたとは思っていないようだが、傍から見てきた俺には十分にそう見えるのだからしょうがない。
十年近くも亨様の下半身のマッサージをしてきた罪が重いということを、十分に知らしめてやらなければ。
亨様は、愛人に飽きればすぐに変えてきたのに、桜井だけは手放さなかった。
それが恭也には気に入らなかった。
あんなマッサージぐらい、自分でもできるのに。
スペシャルマッサージだって、ウルトラスペシャルマッサージだって、恭也は熟知している。
いつ、亨から声がかかってもいいようにと、極秘にその道のプロに手ほどきを受けたのだ。
すべては桜井に代わって、亨に触れたいため。
亨の分身を弄って感じさせて、自分の手で絶頂を極めさせてあげたいため。
亨のすべてを愛したいため。
できることなら、桜井の手足の一本ももぎ取ってやりたいが、それにはもう少し色づけをしないといけないな。
煙草の煙をくねらせながらさまざまなことを考えていた恭也は携帯を取ると、リダイヤルを押した。
電話に出たのは、亨だった。
「桜井の相手の男を捕らえるのは失敗しました。ですが桜井の本心を知ることができました。桜井は亨様の束縛から逃れたいそうです」
『・・・・・・・・』
しばらく沈黙が流れる。
「亨様に縛られることなく、自分の人生を歩みたいそうです。あの宇宙という教師と一緒に」
最後の言葉が、電話を聞いていた亨の癇に障ったのを微妙に感じ取った恭也は、構わず言葉を続けた。
「二人は今一緒にいます。行き場所は見張りを一人残してきたのですぐに分かります。どうされますか亨様?二人一緒に捕らえますか?それとも別々に捕らえ、二度と会えないようにしてしまいますか?」
恭也の言葉には、ゲームを楽しんでいるような余裕があった。
『二人一緒に捕まえろ。桜井は私のところに。相手の男はお前に任せる』
亨はそれだけ言うと、電話を切った。
不機嫌極まりない亨の声を聞いた恭也からは、思わず笑みを漏らした。
座席の灰皿で、煙草をもみ消す。
これで、逃げようとしている桜井に亨が罰を与えることは確かだった。
相手の宇宙も、無事では済まない。
プライドの高い亨が、一度ばかりか二度までも自分のもとから逃れようとしている桜井を以前と同じように扱うとは思えなかった。
よくても海外に売り飛ばされるか。
悪ければ、警察の行方知れずリストに載ることもある。
恭也は、思わず声を上げて笑った。
「俺に任せるということは、煮るなり焼くなり好きにしろということだよな?」
そして独り言を言う。
そのとき、スーツに入れたばかりの携帯が鳴った。
二人の見張りに残してきた男からだった。
『桜井と男は・・・あのまま近くのラブホテルに入りました。今、ホテルの前にいますが、どうしますか?二人とも急いで捕まえますか?』
見張りの男が少し苛ついた口調で言う。
自分だけ見張りに取り残されたことが不満なのだ。
恭也はもう一本煙草を口に銜えた。
隣の男が、シュポッとライターの火を点ける。
「いや、二人を捕らえるのはもう少し時間が経ってからだ。二時間後に人数をそっちに回すから、捕り物はそれからだ。お前はそれまでそこでじっとしてろ」
『・・・分かりま・・・』
少し不満そうな男の声を最後まで聞くことなく、恭也は携帯を切った。
ちゃんと、既成事実というものをつくってしまわないといけないのだ。
あの二人はまだ本当の意味で結ばれていない。
恭也が見たところ、ウルトラスペシャルマッサージで宇宙を喜ばせただけの関係なのだ。
互いに愛し合っているのにまだ結ばれていないのはかわいそうだ。
そうだろう?
と、意地悪い自問自答を繰り返してからニヤッと笑った。
やはり愛し合っている者同士、冥土の土産に結ばせてやるのが人情ってもんだろう。
口には出さないが、恭也は内心そう思っていた。
本来の恭也の立場なら、二人が結ばれる前になんとしても捕らえ、亨の前に引き連れていくのが役目なのだが、恭也はあえてそれをしなかった。
桜井が宇宙を抱いてしまえば、他の男の分身をしゃぶったことが分かれば、プライドが高く自己中心的な亨のことだ、きっと桜井を切って捨てる。
そう踏んだのだ。
今二人を捕らえても、亨の怒りを誘うのにはまだ足りなかった。
やはり、二人が愛し合っているという既成事実がどうしても必要だった。
恭也の計画を成功させるためには。
「・・・これも宇宙とかいう世間知らずの教師のおかげだな。いいタイミングで桜井の前に現れてくれたよ。だが桜井がああいうタイプの男に弱いとは知らなかったな」
余裕が出てきたのか、恭也は煙草をうまそうに扱いながら背もたれに身体を預けた。
だがすべて計画どおりに事が運んで、桜井を亨の前から排除することができたとして、亨の父親にはなんと報告をしたらいいのだろうか?
ありのままを報告するわけにはいかない。
桜井の身辺に気を使っていなかったとして、自分までとばっちりが来ないとも限らないからだ。
大物政治家である亨の父親は、恭也の組と裏で繋がっている。
もともと、桜井を気に入って自分の下半身の世話をするように時間をかけてしつけたのは父親の方なのだ。
桜井を息子に譲ったとはいえ、まだ情があるのは、亨と同じと考えた方がいい。
恭也は真面目な顔でそんなことを考えながら、備え付けの灰皿で煙草を消した。
「先に、先生のお耳には入れておいたほうがよさそうだな」
恭也はそう呟くと、亨の父親に電話を入れるべく携帯を握った。