東京スペシャルナイト 下 5
- 2016年03月06日
- 小説, 東京スペシャルナイト
宇宙がすべてを話し終わると、外はもう夜明けだった。
あれからずっとダンボールの小屋の中でこれまでの状況を丸君とてっちゃんに話していた宇宙は、誰かに聞いてもらったことに安心したのか、ふーっと肩の力を抜いた。
遼一のことをこんなにしゃべったのは、初めてだった。
ずっと一人で背負ってきた重みを、話を聞いてくれた二人が少しだけ一緒に背負ってくれたような気がして、宇宙はとても嬉しかった。
「・・・そうか。そんなことがあったのか。それは大変だったな」
不精髭がよく似合っているてっちゃんが、しみじみと言う。
「でもさ、その遼一っていう恋人だけど、よく逆らう気になったよな?だって相手はヤクザだぜ?それもそこらのチンピラじゃなくて、竜胴組の恭也っていったら、残忍非道でここらでも有名な極道だろ。俺だったら絶対逆らわねーな。尻尾を丸めて降参する」
宇宙の話を聞いた丸君が、驚いたように両目を見開いて言う。
まだ二十代前半の丸君の言っていることは、正論だと宇宙は思った。
本当にヤクザを相手に喧嘩を売るっていうんだから、尋常じゃない。
しかも遼一を囲っているのが大物政治家で有名な大江原権蔵だというんだから、丸君は脅えるのも当然だった。
宇宙もこのまま逃げ出してしまいたい。
今すぐに一人で東京を離れて、教師も辞めて、ヤツら目の届かないどこか田舎でひっそりと暮らすこともできる。
だが宇宙には、そんな考えはまったくなかった。
愛してる遼一を、自分を庇って撃たれた遼一を、このままにしておくことはできなかった。
自分自身はどうなってもいい。
殴られ、拳銃で撃たれた遼一だけは助けたいと本気で思っていた。
そのためだったら、相手がヤクザだろうがなんだろうが、ぶつかっていくしかない。
「・・・それで、宇宙はこれからどうするんだ?」
ずっと黙って話を聞いていたてっちゃんが、寒そうに両手を擦り合わせながら聞いてきた。
トレーナーの上にどこからか拾ってきたボロボロの茶色いコートを羽織っている宇宙は、膝を抱えて座ったまま、しばらく考えた。
季節はもう十一月。
ダンボールの中も外も、朝方はかなり冷え込んでいた。
「・・・分からないんです、どうしたらいいのか・・・。遼一を助けたい。ううん、助けなくちゃいけないことは分かっているんです。でも僕一人でどうしたらいいのか・・・全然・・・分からないんです」
宇宙は項垂れてそう答えた。
「そりゃそーだ。相手はあの恭也だしな」
すかさず、トレーナーの上に皺が寄った黒いオーバーを着ている丸君が大きく頷きながら言う。
宇宙はその言葉に、もっと深く頭を垂れてしまった。
助け出すという意気込みはあっても、その手段も術も準備も、いっさいなかった。
それに連れ去られた遼一の安否さえ分からないのだ。
今どこにいて、どうなっているのか。
生きているのか、死んでいるのか。
「・・・何も分からないんじゃ、しょうがない」
ボソッとてっちゃんが言う。
宇宙は少しだけ顔を上げた。
「遼一って人の安否も分からないんじゃ、思いきって相手の懐に飛び込むしかない」
「あ、相手の懐に飛び込む?それって・・・わざと捕まれってこと?」
宇宙が何かを言う前に、丸君が驚いたように口を挟んだ。
「そんなことしたらシャブ漬けにされて外国に売り飛ばされちゃうかもしれねーよ、てっちゃん。こいつ綺麗な顔をしてるから殺されることはないと思うけど、絶対そうなるって。日本人の美青年って結構いい値で取引されるって噂で聞いたことあるし。でもわざと捕まれっていうのは。まずいんじゃないのぉ?」
丸君が、てっちゃんに詰め寄りながら言う。
狭いダンボールの小屋の中は、三人の男でいっぱいいっぱいだった。
「だがそうでもしなきゃ、遼一って男の居場所はわからないよ」
「そ、それはそうだけど・・・さ・・・」
丸君が、頭をボリボリと掻きながら言う。
まるで自分のことのように一生懸命悩んでくれている丸君が、宇宙はとても好きになった。
今日初めて会ったのに、初めて会ったような気がしないのだ。
年齢も同じくらいだし、きっとどこかで会ったことがあるのかもしれない。
それにてっちゃんに対しても、宇宙は言葉では言いつくせないほど感謝していた。
裸で逃げ回っていた得体の知れない男をこうして匿ってくれて、衣服はボロボロで食べ物は賞味期限切れの拾い物だけど、ちゃんと調達してくれて。
わけを聞いてもじゃけんにするわけでもなく、追い払うわけでもなく、こうして親身になってくれる。
昔からの友人だって、ヤクザに追われていることを知ったら、きっとそっぽを向くのに。
まるで兄弟のように心配してくれる。
宇宙は、ここで二人に出会えた偶然を心の底から嬉しく思い、神様に感謝したい気持ちでいっぱいだった。
人間、見た目でその人を判断してはいけない。
宇宙は今さらながら、そんなことを思った。
てっちゃんと丸君がいてくれる・・・・・・そう思うと、不思議と勇気も湧いてきた。
宇宙は少しの間考えていたが、てっちゃんの言うとおり、今の状況では相手の懐に飛び込むしかないと決断した。
わざと捕まって、相手の出方を見る。
恭也ってヤクザに何をされるか分からないけど、遼一の安否や居場所を知るにはそれしかないのだ。
「でもさ、捕まった後はどうするんだよ、てっちゃん。捕まる以上、逃げ道も考えておかなきゃまずいよ」
丸君の心配そうな問いに、不思議と落ち着いているてっちゃんは宇宙を見つめながら言った。
「逃げる方法は考えてやる。宇宙は遼一の居場所を捜して、絶対一緒にいられるようにするんだ。どんなことがあっても遼一と一緒にいられるようにするんだ。二人一緒なら隙を見つけて逃げ出すこともできるだろう?」
「・・・でも方法っていっても・・・どうしたらいいのか・・・」
不安そうにてっちゃんを見つめ返して、宇宙が言う。
てっちゃんは、そんな宇宙の薄茶色の瞳を両目を細めるようにして見つめると、安心させるかのようにニッコリと笑った。
「大丈夫だ・・・と今ははっきりとは言いきれないが、死んでも遼一を助けたいという想いがあれば、どんな危機も乗り越えられる。どんな試練にも耐えられるはずだ。そうだろう?」
「はいっ。それは・・・」
宇宙は大きく頷いて、てっちゃんを見つめる。
真っすぐ見つめる宇宙の瞳は、澄んでいてとても美しかった。
嘘偽りのない、純粋な瞳だった。
その瞳に見つめられたてっちゃんは、何かを確信したように大きく頷いた。
「では、どうやって逃げ出すか考えよう。その手筈も早急に整えなければならないな・・・」
てっちゃんはそう言って、ダンボールの小屋から外の公園に出た。
早朝の公園には、犬の散歩をしている人が数人歩いているだけだった。
地面はいつの間にかすっかり乾いている。
「とは言ったものの・・・相手が恭也となれば・・・迂闊には動けないな」
不精髭を生やしている薄汚いてっちゃんは、そう呟いて太陽の下で大きく身体を伸ばした。
ダンボールの小屋から出てきた宇宙は、その姿はどう見ても普通のホームレスなのだが、何かが違うと直感していた。
身なりは汚くてダンボール小屋暮らしのてっちゃんだが、宇宙はてっちゃんの言葉の中に威厳のようなものを感じていた。
ただのホームレスのおじさんなのに。
どういうわけだか、ただのおじさんには思えない。
宇宙は思いきって聞いてみた。
「あの、てっちゃんは・・・どういう人なんですか?ただのホームレスには見えないんですけど?」
てっちゃんは、宇宙の問いに背中を向けたまま答える。
「俺はただのホームレスだよ」
と、てっちゃんが答えると、宇宙の横に立っていた丸君が、その答えを知っているかのようにニヤッと笑った。