東京ハードナイト 11
「それにしても遅いな・・・」
「何やっているんだ、いったい?」
トイレの入り口辺りでずっと待っていた二人のヤクザたちは、イライラしながらトイレの中に入って来た。
男子トイレの中は、小さな子供の親子連れがいるだけでガランとして、他には誰もいない。
もう試合が始まっているせいか、観衆は球場の方に行っていた。
「・・・・・あいつどこだ?」
「いない!」
ヤクザたちは血相を変えて広いトイレの中を隅々まで捜し回る。
だが由一の姿はどこにも見当たらなかった。
「まさか・・・・・」
ヤクザたちは顔を見合わせ、とたんに顔を青くして引きつらせる。
「まさか・・・逃げたんじゃ・・・」
「だけどどうやって逃げるんだ?このトイレには窓もないし、出入り口は俺たちが見張っていたあそこだけだ。あいつが入ってから出て行ったのは、中年の男と酔っぱらいを抱えた数人の大学生だけだろう?」
と、ペイズリー柄のネクタイをしているヤクザが考え込みながら言うと、ゴミ箱をあさっていたもう一人があっと大声を上げた。
行ってみると、ゴミ箱の中には、さっきまで由一が着ていた白いコットンのシャツが丸めて捨ててあるのだ。
「服を脱いでどこへ行ったんだ?」
「あっ!まさかさっきの大学生の酔っ払い!?」
「そうだっ!抱えられて連れていかれたのがきっとそうだ。大学生から服を借りたんだ。そして酔っぱらいのふりをして俺たちの目を遣りすごしたっ」
「くっそぉぉ・・・!」
ヤクザたちはものすごい形相で叫ぶと、急いでトイレから飛び出し、通路を行き交う人たちを押しのけるようにして野球を観戦している堂本の元に走った。
話を聞いた堂本の顔が、見る見るうちに不機嫌になり、いつもは隠している凶暴性を剥き出しにしていく。
「・・・逃げただと?確かなのか?」
「はいっ!捜したんですが、どこにもいませんっ」
「すみませんっ!」
と二人のヤクザが頭を深々と下げるが、堂本の怒りは収まらなかった。
それどころか、一気に加速していく。
「おのれらーーーーっ!」
堂本は、頭を下げている二人の顔面を蹴り上げると、そのまま席を立った。
「・・・・・探せ、探し出せっ!まだこのドームの中にいるはずだっ。なんとしても捜し出せ、俺の前に引きずってこいって!」
「はっ」
堂本の命令を受けたヤクザたちが、一斉に散っていく。
ヤクザたちはそれぞれに携帯を手にすると、他のヤクザたちも応援を要請した。
「由一のヤツ・・・。俺を裏切ったな?」
堂本は、ものすごい形相で通路を歩きながら、ググッと拳を握り締めた。
あれほど逃げないと言っていたのに。
あの誓いはなんだったのだ!
俺から逃げ出すための、一つの手段にすぎなかったというのか?
「裏切ったな、由一」
堂本は奥歯を噛み締めるようにそう呟くと、すぐに近くにいた角刈りの頭の男に向かって叫んだ。
「滝沢っ、由一をここから連れ出したという大学生たちの身元を洗え」
「・・・はい」
「それと・・・・・邪魔したそいつらも俺の前に引きずってこい。いいな、生きたままだ」
堂本に命令された滝沢と呼ばれたヤクザは、堂本の側近の一人だった。
角刈り頭と黒い瞳。それにいつもはまったく無表情な滝沢は、堂本が抱えるヤクザたちの中でも最も冷酷な男だった。
「分かりました」
滝沢は目を細め、一瞬間を置いてから返事をした。
「それと、由一はなるべく傷をつけずに捕らえるんだ。いいな?」
堂本のその言葉に、由一に対する愛情の深さが表れていた。
こんな裏切りや屈辱を受けたら、いつもは問答無用で相手を拷問に掛けているはずなのに。
由一に対しての、この寛容さはどうだろうか。
滝沢はそんな堂本に少し驚いていたが、表情にはあえて出さなかった。
「分かっています」
滝沢はそう返事をすると、数人のヤクザたちを従えて去っていく。
「連絡が入ってます」
一人のヤクザが、そう言って堂本に携帯を渡す。
『試合も見ないでドームから出て行った大学生がいるようです。その中にまじって出たのではないかと・・・』
堂本は、ゲートからの報告を受け、怒りが頂点に達してしまった。
本気で逃げるつもりなのだ。由一は。
しかもまったく関係のない一般人まで巻き込んで。
「この逃亡の代償がどんなものか、たっぷりと教えてやる」
堂本は握り締めていた携帯を壁に打ちつけて粉々にすると、数人のヤクザたちを従えてそのまま駐車場まで歩いていく。
そしてメルセデスベンツに乗り込んだ堂本は、スーツの内ポケットから自分専用の携帯を取り出した。
「私だ。緊急に人を捜してほしい。金に糸目はつけない。ああ、そうだ。詳しいことは滝沢から聞いてくれ」
堂本はひと通り話すと、すぐに切った。
由一が見つかったという滝沢からの報告が来るかもしれないと思ったのだ。
だが堂本の願いとは裏腹に、由一のその後の行方の手掛かりになりそうな報告は、マンションに着くまでの間はまったくなかった。