東京スペシャルナイト 下 4
- 2016年03月04日
- 小説, 東京スペシャルナイト
恭也は、車の後部座席で考えていた。
初めて遼一を見たのは、十年前だった。
恭也は二十五歳になったばかりの、まだ使いっ走りのヤクザの一人だった。
だが亨の父親である『大江原権蔵』はそんな恭也になぜか目をかけてくれた。
『その冷酷な目と狡猾さが気に入った』と、大物政治家の大江原は言った。
そしてそんなある日、重要な任務を任される。
それは、上京してきたばかりの青年を罠にはめ、自由を束縛するという役目だった。
なぜ田舎の青年の自由を束縛する必要があるんだ?
恭也は、最初そんな疑問を抱いた。
だが大江原の機嫌を損ねたくなくて、恭也は言われるがまま命令に従った。
青年が入った店はごく普通のスナック喫茶だった。
決してヤクザが絡んでいるような、高値を要求するぼったくりの店ではない。
だからこそ恭也はそのママに脅しをかけ、青年に高値を要求させた。
案の定、青年はそんな大金を持ち合わせていなかった。
そこでいよいよ、恭也の登場となった。
仲間のヤクザたちと青年を拉致すると、そのまま晴海埠頭の倉庫に監禁した。
何も与えず、真っ暗で汚い倉庫に監禁されていた青年は、すっかり脅えていた。
柄の悪いヤクザたちが芝居をして、大江原権蔵に青年を売り飛ばす。
そして売り飛ばされた青年はその日から自由を失い、監禁と欲望の毎日を送ることとなった。
あのとき、大江原ほどの大物政治家が、なぜ田舎出の青年にそこまでこだわるのか分からなかった。
確かに顔は整っていて、人目を引く。
だが、大江原がヤクザたちに、金を払ってまで青年を捕らえた理由は他にあるように思っていた。
そしてその理由を知ったのは、大江原である亨に青年が譲られたときだった。
ヤクザの世界に入り、裏のルートで大江原亨と知り合ってからというもの、恭也は亨を特別の存在として意識するようになっていた。
恭也はこの頃から、亨を密かに愛するようになっていた。
そして罠にはめた青年が、あるヤクザの組長の隠し子であることを知ったのもこの頃だった。
日本全土を統合している藤堂組。
その傘下に与している巨大組織、紅林組組長の隠し子。
紅林組は、恭也が世話になっている竜胴組と肩を並べるほどの暴力団組織だった。
その事実は、恭也を大いに驚かせた。
あんな世間知らずのただの男に、紅林組組長の血が流れているとは。
「あのとき、うちの組長は紅林組の姐さんから隠し子を密かに殺すように頼まれていた。だが大江原先生はその隠し子に利用価値があると考えて、うちの組長を説得し、その隠し子は殺したことにして手元に置いた。いつか必ず利用するときが来ると察していたんだ。それにしても、大江原先生の千里眼には脱帽だな・・・」
恭也は後部座席に一人で座ったまま思い出したように、確認するように独り言を言っていた。
あのとき、殺しておけばよかったという後悔と生かしておいて正解だったという思いが、交錯する。
「その隠し子というのがあの遼一だ。愛人だった母親は幼い頃に他界し、養父母たちはごく普通のサラリーマン家庭。俺たちの世界とはまったく関係のない家庭環境で育っているはずなのだ。だが遼一のあのときの目・・・。宇宙の前に立ち塞がったときの目は、確かに俺たちと同じ極道のものだった。あれは・・・修羅の目だった」
恭也は思わず一歩引いてしまった自分を叱咤するようにそう言ってから、煙草を口に銜え、ライターで火を点けた。
深く一服し、遼一の眠っていた本性が現れた瞬間を思い出す。
「まったくっ。血は争えねーってことか」
吐き捨てるようにそう言って、恭也は逃がしてしまった宇宙のことに頭を切り替えた。
遼一を捕らえることに成功しても、宇宙を逃してしまったのは恭也の失態だった。
大江原亨は、遼一さえ取り戻せば、宇宙を逃がしてしまったことはたいして問題にしないだろう。
だが恭也自身、納得できないところがあった。
発砲し、遼一を気絶させてから警察が来るまでの間、チンピラたちに宇宙の後を追わせた。
外はどしゃぶりの雨。
一糸まとわぬ姿の宇宙を探すことなどたやすいと高を括っていたのに、チンピラたちは最後まで宇宙を見つけることができなかった。
「あいつ、いったいどこに逃げ込んだのか・・・。ホテルというホテルを虱潰しに捜したというのに、どこにもいなかった。裸じゃ街中を逃げるわけにもいかねーだろうに・・・」
恭也は憎らしそうにそう言って、携帯のリダイヤルを押した。
すぐに携帯に出たのは、ホテル街に残してきたチンピラの一人だった。
「まだ見つからないのか?いったいどこを捜してるんだ!」
言い訳を繰り返すチンピラに激怒した恭也が、後部座席で怒鳴り散らす。
「いいか!宇宙を見つけるまで帰ってくるなっ!組の事務所へも出入りを禁じるからなっ」
恭也はそう言って携帯を切り、黒い革のシートに放り投げてしまう。
そして、それから両腕を組んで考え込んだ。
「・・・とにかく一週間後。遼一を見た亨様がどういう反応をするかだな・・・」
拳銃で遼一に怪我を負わせるつもりなど毛頭なかった恭也は、つい撃ってしまったあのときの自分を叱咤した。
多少身体を痛めつけても、亨は遼一の顔や身体に跡が残るような行為は決してしなかった。
亨は今、ロサンゼルスに行っている。
帰国するのが一週間後。
それまでに遼一の傷がどこまで回復しているかが問題だった。
恭也は、頭痛がしてきた頭を抱えるように、後部座席に深く身を沈めていった。