東京ハードナイト 12
その頃由一は、六本木辺りをうろついていた。
大学生からもらったダブダブのシャツの裾で、堂本が用意してくれたコットンパンツを隠すように身を屈めて歩いている由一は、生きた心地がしなかった。
洒落た革のスニーカーを履いたままではバレてしまうのでは?と思ったが、さすがに靴の替えまではなかった。
シャツを借り、酔っぱらいのふりをして大学生たちに抱えられるようにトイレを出た由一は、無事に東京ドームから脱出できたことを奇跡のように感じていた。
なんの事情も知らないで、由一の言った通りにしてくれたあの親切な大学生たちのことを心配しながらも、由一は華やかな街頭が灯っている夜の六本木の街中を、一人でさ迷っていた。
小学校の時に母親が病死してからというもの、施設で育った由一には、帰る家などなかった。
由一は、いくらでもいいからお金がないかとポケットを探ってみる。
だが案の定、一円も入っていなかった。
由一が連れ去られた時に持っていた荷物はすべて、あのマンションに入った時に処分されてしまったのだ。
お金もないし、帰るところもない。
おまけに今はヤクザたちに追われていて、もうどうしていいのか分からなかった。
「どうしたらいいんだろう・・・」
由一は力なく呟きながら、賑やかな表通りから少し奥に入った暗い路地裏でしゃがみこんでしまった。今頃、きっと堂本は烈火の如く怒り狂っているに違いない。
そう考えると、どうして逃げ出してしまったのかと今さらながらに後悔した。だがもう、逃げ出してしまったのだからどうしようもない。
由一は、絶望感に苛まれながら、しばらく呆然としたまま表通りを見つめていた。
華やかな六本木の街頭の中でも、ひときわ目立つブルーのイルミネーションが目についた。
巨大ビルの地下に続いているその店の入り口は、一見高級ブティックのような豪華な店構えをしていた。
入り口の壁には『アクア』とだけ書かれている。
会員制の特別な高級クラブなのか、ドアマンらしき身なりのきちんとした男たちが、引き締まった顔で左右に立っていた。
そんなひときわ人目を引くアクアの前に、見たこともない一台の高級車が横付けされ、後部座席から一人の男性が降りてきた。
由一は半分放心状態で見つめていたが、降りて来た男性を見たとたん、パーッと頭の中の不安が吹き飛んでしまった。
白いスーツを上品に着こなしていて、まるで英国紳士のような高貴さを漂わせている美しい青年だったのだ。
由一は、思わず息をのんで自分とは大して歳も違わないその青年の姿をジッと見つめた。高貴なだけじゃない。純粋さや可憐さも全身の雰囲気から溢れている。
しかも、目が青い?
由一は堪らずに路地裏から出て、青年がドアマンと話している場所までフラフラと近寄っていった。
すると、どこからか数人の黒いスーツ姿の男たちがやってきて、由一の前に立ち塞がった。
「誰だ、お前は?」
男は、堂本ところで見たヤクザと同じような、怖い雰囲気を漂わせていた。
まさか、この人って・・・・・。
「あ、あの・・・」
「真琴様に何か用か?」
夜だというのにサングラス掛けている男は、強い口調でそう言って由一に詰め寄る。
由一の裾をだらしなく出している格好は夜の六本木に相応しくなかった。
どこかの浮浪者と間違えられたのだ。
「私は・・・その・・・」
由一が口ごもっていると、真琴と呼ばれた青年が怖い男たちの後ろから声をかけてくれた。
「私に、何か用ですか?」
「いえ・・・用っていうか・・・ その・・・つい・・・・・」
由一は何から話していいのか、自分が何を言っているのか全く分からなくなってしまっていた。
いろいろありすぎて、頭の中が混乱していて、どう整理していいのか分からないのだ。
「私・・・どうしていいのか分からなくて・・・。もう・・・もう・・・ううっ・・・」
由一は、ついに泣き出してしまった。
ずっと堪えていた涙が、真琴の神々しい姿を見たとたん一気に噴き出してしまった。そんな感じだった。
サングラスを掛けた真琴のボディガードたちは、そんな由一を見て敵意がないと察したのか、ゆっくりと遠ざかった。
代わりに、真琴が由一の側に近づく。
「何か訳があるんですね?よかったら私に話してみませんか?」
真琴の凜としていて穏やかで優しい声は、天使の囁きのように聞こえた。
由一は真琴が差し出した手に縋り付くように、手を伸ばす。
「ここは私の店なんです。中で話を聞きましょう」
由一は真琴に言われるままに、アクアの中に入っていく。
どうして由一が真琴と出会ったのか、これも運命の一つだと知るのに、そう時間はかからなかった。