東京ハードナイト 29
由一が意識を取り戻したのは、次の日の朝だった。
白くて真っさらなシーツの上で目が覚めた由一は薄めを開けて、辺りを見回してみる。
ここは、借金の形で情夫となってしまった由一が、一人きりで監禁されていた時に使っていたあのベッドだった。
シーツの香りと感触が、裸の肌にとても気持ちいい。
あまりの心地よさに、再び目を閉じた由一が足をシーツに擦りつける。
すると何かが足に当たり、なんだろうと重い瞼を開けた。
意識は戻っていたのだが、どういうわけか身体中が重くてしょうがない。
振り返るようにしてすぐに横に堂本が寝ていることに気がついた由一は、はっとして上体を起こした。
その勢いでダブルサイズベッドは多少揺れたが、堂本は眠ったままだった。
「・・・・・堂本さん?」
そっと遠慮がちに声を掛けたが、堂本は疲れたのか、美麗な顔を上に向けて眠っている。
無造作に伸ばした手は由一の腰に回っていて、由一は堂本の胸の中で寝ていたことが分かる。
肩から胸にかけては色の入った刺青と、よく見ると小さな傷が身体の至るところにあった。
きっと、喧嘩か何かでつけた傷なのだろう。
由一はベッドから起き上がろうかどうしようか迷ったが、堂本が目を覚まさないように気をつけながら、もそもそと居心地のいい堂本の腕枕に戻った。
そして、息がかかるくらい近くで堂本の顔を見つめた。
ひどい傷の方は、枕に当たっていて見えない。
もし頬に傷がなかったら、きっとものすごい男前だったのにと、由一は心の中で思った。
どうしてあんなひどい傷が頬についてしまったのか、由一は気になっていたがずっと聞けずにいた。
そこには触れてはいけないような気がしたのだ。
だが、堂本ほどの男が頬に傷をつけるようなへまをするとも思えない。
そんなことを考えると、ふと堂本が左目を開けた。
黒くて冷たい瞳に見つめられ、由一はドキッとしてしまう。
「起きていたのか?」
「はい・・・」
と、由一が恥じらいながら答えると、堂本は由一の身体を引き寄せて唇にキスをした。
優しくて、心がしっとりとするようなキスだった。
「・・・・・顔の傷のことを考えていたな?そうだろう?」
キスが終わると、堂本はすぐにそう言って上体を起こした。
由一はどうして分かってしまったのだろうと思いながら、返答に困ってしまった。
すると堂本が、ふふっと意味ありげに笑う。
「・・・由一の考えていることぐらい、お見通しだ。それより・・・聞きたいだろう?どうして頬にこんな酷い傷を残すようなことになったのか・・・」
堂本の問いに、由一は迷いながらも『はい』と答えた。
それを知ったからどうなのだとも思ったが、なぜか由一はそのことに興味があった。
もしかしたら、堂本という男の本質が見えてくるかもしれない。
「この傷は・・・昔一緒に暮らしていたある女に刺されそうになった時にできた傷だ。その女は、俺が初めて心底惚れた女だった。女も俺を愛してくれていた・・・と思っていた。俺は幹部に昇進したばかりで、浮かれていた。だがある日、その女が寝ている俺の前で包丁を振りかざし俺を殺そうとしたんだ。俺は切りつけられた頬から滴る血を見て、なぜだと問いかけた。女は・・・俺と敵対する幹部の囲われた女だと告げた。俺を殺すために潜り込んだんだと。俺は、この女にだったら刺されてもいいと思い覚悟を決めた。だが女は刺さなかった。俺の血の滴る顔を見て、悲鳴を上げて逃げていった。俺は後を追った。女が誰の女だろうと関係なかったんだ。俺は女を愛していたからな。だが・・・・・」
堂本はそこまで喋ると、つらい過去を思い出すかのようにベッドから立ち上がった。
堂本の刺青の入った裸体は、とても筋肉質で逞しかった。
「だが、女は逃げる時に非常階段で足を踏み外して、そのまま転落して死んだ。その後、女が妊娠してたことが分かった。もちろん俺の子だ。女は俺と、もう一人の男の間に挟まれ、苦しみもがいていたんだろう。その時から、俺はもう二度と人を愛さないと心に誓った」
ブラインドを上げ、朝の光の中、高層マンションの窓から東京の街を見下ろしながら、堂本は言葉を続けた。
由一は堂本の話を聞きながら、胸がギューッと締め付けられて痛くなるのを感じていた。
堂本の気持ちや切なさが、とてもよく分かるのだ。
きっと本気でその女性を愛していたんだ、堂本さんは。
それなのに裏切られたと知って、しかも死んだ後に妊娠していたことを知るなんて。
そんなの、あまりにもひどすぎるっ。
由一は、初めて見た時のような勇ましさが感じられない背中の刺青を見て、何か言葉をかけなければと思っていたが、何も言えなかった。
しばらくの沈黙の後、堂本が言葉を続けた。
「・・・・・・・女の死から十年。俺は誓い通りに誰も愛さなかった。付き合った女には、肉体関係だけを強制した。だがあの日・・・由一を花屋で初めて見かけた俺は、誓いが脆くも崩れるのを感じた。由一、お前を見て運命の相手だと俺は思った」
堂本は、そう言うと振り返るようにしてベッドの中の由一を見つめる。
由一は、眩しい朝の光を背中に受けて立っている堂本を見て、ドキンッと胸を高鳴らせた。
「・・・・・・・でも、今でもその女性を愛しているんでしょう?」
由一の口からやっと出た言葉だった。
どうしてそんなことを聞いてしまったのか、分からなかった。
もっと別のことで、気の利いたことを言えないのかと自分でも腹立たしく思っていたが、それが由一が今最も聞きたいことだった。
もしかしたら、堂本はまだその女性を愛しているのかもしれないのだ。
そう思うと、嫉妬が込み上げてきて、胸の奥が堪らなく痛んだ。
死んでしまった人に嫉妬するなんて。
だが、由一はもう堂本を愛してしまっていた。
愛が存在する以上、嫉妬も自然と存在する。
愛すれば愛するほど、相手を独占したくなる。
嫉妬も深くなっていく。
それはとても醜いかもしれないけど、恋愛とはそういうものなのだ。
「・・・・・可愛いことを言う」
堂本は、余裕の笑みでふふっと笑った。
その笑みを見て由一はやっぱりと心の中では思ったが、なんだかちょっと悔しくてそれを顔には出さないようにした。
だが、堂本にはすべてお見通しである。
「言っただろう?俺の心の誓いを破らせたのはお前だと。だからお前が欲しかったんだ。どんなことをしても、どんなに卑怯な手を使っても、俺は由一を手に入れると決心した。そしてもう二度と、同じ過ちは繰り返さないと・・・」
堂本が由一の身体を押し倒し、ベッドの上に乗ってくる。
由一は、堂本の顔をじっと見つめたままされるがままになっていた。