東京スペシャルナイト 上 39【最終回】
- 2016年02月27日
- 小説, 東京スペシャルナイト
「・・・お、お願い・・・遼一に・・・ひどいことしないで・・・」
ポロポロッと大粒の涙を流しながら、宇宙が恭也に訴えた。
恭也は頬を流れる涙をじっと見つめたまま、顎を掴んでいた。
「お前・・・。遼一のことより、自分の心配をしたほうがいいんじゃないのか?」
頬を流れる涙を、恭也が舌でペロリと舐め上げる。
「うっ・・・くぅ・・・」
恭也なんかに舐められたくないと、顔を背けようとする。
だが、どうしても恭也の手から逃れられなかった。
自分がこんなにも非力だったなんて。
遼一を守ってあげるどころか、自分の身すら守れないなんて。
悔しくて口惜しくて悲しくて、泣けてくる。
このままじゃだめ。
なんとかしなきゃ。
遼一が、亨って人のところに連れていかれちゃうっ!
宇宙はそう思うと、自由になる足で思いきり恭也の臑を蹴り上げた。
「ぅ・・・」
その蹴りは見事にヒットして、恭也の顔が苦痛に歪む。
その一瞬の隙に、宇宙は恭也の手から逃れて血を流して床に押さえられている遼一に覆いかぶさった。
「遼一?遼一?大丈夫?」
「宇宙、逃げろっ。このまま逃げるんだっ」
瞼の上を切り鮮血を流している遼一が、チンピラたちを渾身の力ではねのけながら叫ぶ。
宇宙は、首を振って嫌だと言う。
だが遼一はチンピラたちを殴り倒し、蹴り飛ばしながら宇宙をドアに突き飛ばした。
「逃げろっ!私は殺されないっ。痛めつけられても殺されることはないんだ。だがお前は・・・」
そう言った遼一の背中に一人掛け用のソファが飛んでくる。
バキッとものすごい音がして、ホテルに設置してあるソファが壊れた。
その勢いで、遼一の身体が床に倒れる。
「り、遼一っ!」
宇宙は、遼一のそばに駆け寄ろうとした。
だが遼一はキッと顔を上げ、口端から血を流しながら宇宙に言い放った。
「逃げろっ!」
「でも・・・」
「私に構うなっ!逃げろっ」
そう叫んだ遼一の身体をチンピラたちがガツガツと蹴っていく。
見る見るうちに遼一が着ていた白いバスローブは、血で汚れていった。
恭也は、無言のまま二人の様子を見ていた。
すっかり変貌した桜井遼一。
そして遼一を短時間のうちにここまで変えてしまった宇宙という男。
恭也は、ドアの前で立ったまま裸で震えている宇宙の前に来ると、煙草をスーツから取り出し、ライターで火を点けた。
やはりあのとき、殺しておくべきだったのかもしれない。
恭也は、遼一が亨の父親に金で買われた夜のことを思い出しながら心の中でそう思った。
眠っていた遼一の、修羅の心が目覚めたのだ。
やはりあのとき・・・・・・。
フーッと深く吸い込んだ恭也が、宇宙の顔に向かって煙を吐く。
宇宙はもう、逃げることもそこから動くこともできなくなっていた。
チンピラたちのリンチに遭っている遼一。
このままじゃ、本当に死んじゃうっ!
「お前は俺と来いっ」
煙草を吸っている恭也が、遼一には見向きもしないで宇宙の腕を掴む。
宇宙は、嫌だと首を振る。
それが今の宇宙にできる精いっぱいの抵抗だった。
脚が震えてしまって、ガクガクといっている。
恭也の目の前で、今にも崩れてしまいそうなのを必死にこらえていた。
「遼一が・・・遼一が・・・」
恭也がドアを開け、宇宙を連れ出そうとする。
その間も、チンピラたちは床に倒れている遼一の身体を殴ったり蹴ったりしている。
「遼一っ!」
と、ドアから出た宇宙が懸命に叫ぶ。
するとその声に反応した遼一が、ゆらりと立ち上がった。
もう気絶してもおかしくないのに、遼一の全身からは凄まじい覇気がゆらゆらとのぼっていた。
それを見ていたチンピラたちの背筋が、ゾクッと震える。
「こいつ・・・おかしいんじゃねーのか?」
この状況でなぜ立てるのか、チンピラたちには分からなかった。
宇宙の泣き叫ぶ声が遼一のぎりぎりの精神力を支えていることなど、考えもしなかった。
「・・・・・逃げろ・・・」
「遼一っ!」
「てめーっ、桜井っ!」
まさか遼一が立って追いかけてくるとは思っていなかった恭也が、バタンと床に倒れる。
その上に覆いかぶさった遼一は、腫れた顔で宇宙を見た。
「逃げろ・・・。とにかく・・・今は・・・逃げるんだ」
「・・・・・・・・」
宇宙はもう迷わなかった。
今は逃げるしかないと思った。
遼一を見捨てるとかそんなことじゃなくて、今は逃げて自由になることのほうが肝心なんだと悟ったのだ。
そしてそれは、遼一が身を挺して教えてくれたことだった。
「遼一っ・・・きっと助けに来るから・・・。絶対助けに来るから、待ってて・・・。待っててっ」
そう言って宇宙が裸のままホテルの細い廊下を走っていく。
そのとき、後ろのほうで聞きなれない機械音がした。
テレビの刑事ものでもよく聞く、拳銃の音に似ていた。
まさか・・・と、宇宙が恐る恐る廊下の端で振り返る。
だがそこで宇宙が目にした光景は、とても信じられないものだった。
拳銃を握っている恭也。
そして、その先で胸から大量の血を流して壁に寄りかかっている遼一の姿。
ぐったりして、全然動かない遼一。
白いバスローブが真っ赤に染まっていく。
「い、いやだぁぁーーーーーーー!」
宇宙が泣き叫ぶ。
『逃げろ、宇宙』
最後に遼一が叫んだ言葉が、宇宙の頭の中で何度も繰り返される。
遼一を助けなきゃ。
ううん、逃げなきゃ。
でも、でも、脚が動かない。
ホテルの外は、どしゃぶりの雨だった。
拳銃の音を聞いた他の客たちが、何事かと部屋から出てくる。
遼一・・・・・。
唖然とした顔で壁に寄りかかっている遼一の姿を見ていた宇宙は、逃げ惑う客の波に押されるようにホテルの外に出た。
どしゃぶりの雨の中、裸の宇宙はすぐに細くて暗い路地に入る。
その先は、ホームレスが集まっている場所だった。
「お前、裸じゃねーか?どーしたんだ?」
真っ青な顔をして震えている宇宙を見た中年の男性が、自分の着ていたボロボロの上着を宇宙の肩に羽織らせながら言う。
宇宙は言葉を忘れてしまったように、ただ呆然とその場に立ちすくんでいた。
これは普通じゃないと察した男が、ダンボールで作った小さな我が家に宇宙を連れていく。
「何か事情があるんだな?」
男が宇宙にボロい衣服をあてがいながら、事情を聞く。
だが宇宙は、今見たことが頭にこびりついて何もしゃべれなかった。
ただ黙って、しゃがみこんだままだった。
髭面の男は、もう何も言わなかった。
震えが止まらない宇宙は、遼一の最後の言葉を何度も頭の中で繰り返していた。
『今は逃げるんだ』
拳銃に撃たれた遼一の姿が、目にこびりついて離れない。
外は、まるで遼一の鮮血を洗い流すような雨が降っていた。
宇宙はどうすることもできず、ただ震えていた。
To be continued.