「これは十六年前、私と母がこの白樺を出るときに、佐川さんからもらったメモです。いつでも、困ったことがあったら電話しろよ、ここに来いよと言って、渡してくれたんです」
由一の言葉を聞き、佐川が昔の記憶を呼び起こす。
十六年前・・・・・そういえば・・・・・まだ小学生くらいの子供と路頭に迷っていた母親を、この白樺の二階に三日間だけ泊めたことがあった。
どうしても一人で頑張りたいと言ってここを出て行く時に、確かにノートを破ってそれを手渡した。
『困ったことがあったら、いつでも来いよ』
と、小学生の可愛い子供の頭を撫でると、その子はニッコリと天使のような笑みを見せて笑ったのだ。
あの時の紙切れを、どうして由一が持っているんだ?
まだか・・・・・まさか・・・・・。
「あの時、佐川さんはわたしの名前を聞かなかったでしょう?」
「じゃあ・・・やっぱりあの時の・・・?」
またビックリ仰天した佐川は、思わず近くにあったパイプ椅子にガクンッと腰を下ろしてしまった。
あの時の小学生が、由一?
「この電話番号の書いてある紙切れはどうしても捨てることができませんでした。ずっと大切に持っていました。つらいことがあった時も、母が亡くなった時も、ずっと持っていました。私にも帰れる場所があるって・・・自分にそう言い聞かせて・・・・・」
「由一・・・お前・・・。じゃあ・・・ここに来て花屋を手伝ってくれたのは・・・?」
「はい。あの時のせめてもの恩返しにと思ったんです。私にできることは、お花屋さんで一生懸命働くことしかなかったから・・・」
「ゆ、由一っ」
佐川は、また涙を溢れさせた。
だが今度の涙は先程までの涙と違い、なぜかとても温かく感じた。
涙を流せば流すほど心が洗われるというか、幼少の頃の純真で素朴な心に返る、そんな感じなのだ。佐川は、由一から手渡されたボロボロの紙切れを受け取ると、両手でギュッと握り締めて胸に押し当てた。
佐川の身体が、ブルブルと震えているのが分かる。
由一は、そんな佐川に向かって深々と頭を下げると、そのまま白樺に背を向けた。
佐川は、ボロボロのメモを握ったまま、声を殺して泣いていた。
由一が去っても、後を追うこともできず、声をかけることもできず、ただじっとパイプ椅子にうずくまるように座っていた。
由一はそんな佐川に、心の中でさよならを告げながら、車が待っている大通りまで歩いていった。
「・・・・・用は済んだのか?」
ブリリアントシルバーのメルセデスベンツS600Lの後部座席では、堂本が優雅に足を組んで待っていた。
「・・・はい」
隣に乗り込んだ由一が、小さい声で答える。
由一の瞳は、涙でちょっと潤んでいた。
「そういう由一も、堪らなく愛しいな・・・」
由一の肩を抱き寄せ、堂本が低い声で囁く。
由一は、涙で潤んだ瞳を上げ、堂本の顔を見つめてた。
「だったら、今ここで抱く?」
由一は、運転手には聞こえないぐらいの小さな声でそう言って、甘えるように腕を首に絡める。
堂本は、ふふっと笑って由一の身体をシートの上に押し倒した。
「いいのか、そんな生意気なことを言って・・・。後で泣くことになっても知らんぞ?」
と堂本が由一のライトブルーのシャツのボタンを外しながら、言う。
だが、ありとあらゆる方法で堂本に抱かれている由一は、余裕の笑みを見せていた。
「泣くって?どうして私が泣くの?いつも私の身体に満足して、喜びの涙を流しているのは、堂本さんの方でしょう?」
いつの間にこんなに憎たらしくて挑発的な言葉を覚えたのか。
堂本に毎日のように抱かれ続け、由一はどんどん成長し、堂本の好みの身体に変貌していく。
どう言えば堂本が喜び、どう言えば堂本が怒るのか、今では誰よりも知りつくしている。
「・・・・・その強がりがいつまで持つか、楽しみだな。由一?」
「あんっ・・・堂本さん・・・そこはピアスをつけたばかりだから、ちょっと痛い」
右側の乳首を剥き出しにされ、いきなり吸われた由一は、苦痛ともとれる喘ぎ声を上げて訴えた。だがそんなことでは、堂本は動じない。
由一が痛いと言えば言うほど、そこを執拗に責めるのだ。
昨夜、乳首につけてもらったばかりのリングピアスを口に銜え、強く引っ張りながらも下半身を露出させていく。
「あぁぁ・・・堂本さんっ。だめぇぇぇ・・・・・切れちゃうぅぅ・・・・・」
と、由一が大声で叫ぶ。
もちろんその破廉恥な声は運転手や助手席にいるヤクザたちに筒抜けだったが、そんなことには構ってなどいられなかった。
やっと痛みが和らいできたというのに、そこを責めるなんてっ。
左側の乳首だったら全然痛くないし、今では責められれば責められるほど、快感を感じることができるのに。
ああーん、ひどい。堂本さんったら。
由一は、心の中でそう叫びながら苦痛に耐えていた。
堂本は口でまだ血の味がする乳首を愛撫しながら、剥き出しにした由一の分身をクチャクチャと弄り出す。
由一の分身の根元には二つのリングピアスが嵌められていて、亀頭の部分もダイヤが埋め込まれた高価なプラチナのリングピアスが嵌まっていた。
この三つのピアスは、由一が堂本の情夫になったばかりの時に嵌められたものだった。
由一が自分から、堂本に嵌めてほしいと哀願したのだ。
「あんっ・・・ああっ・・・」
堂本が手を上下に揺らすと、根元のピアス同士がかち合って、かチャッと音を立てる。
その音が由一にはとても淫靡に聞こえて、勝手に興奮してしまうのだ。
「お前のここはいやらしいな・・・。露が溢れているぞ・・・」
堂本はそう言って、亀頭の先端に嵌められているピアスを引っ張る。
「ひぃ・・・」
由一は、短い悲鳴を上げて下半身を震わせたが、すぐにもっと弄ってほしいと腰を突き出した。
「あぁぁぁ・・・・・もっと・・・・・」
「もっと?そんな言い方じゃ、だめだ。もっと、俺の気をそそるようなことを言ってみろ」
堂本は、乳首のピアスを再び引っ張りながら言う。
由一は苦痛に顔を歪めながら、腰を揺すって言った。
「・・・もっと・・・もっと・・・弄ってください。私のおち◯んちんを、弄ってください」
由一は、いつも教えられている通りに言う。
どう言えば堂本が一番喜ぶか、由一は知り尽くしていた。
だが今日の堂本は、こんな言葉だけでは満足しなかった。
昔の思い出に浸り、健気な表情で涙を流していた由一を見たせいで、欲望が最高潮に達していた。
「だめだ。もっとそそることを言え。腰を振って・・・娼婦のように誘ってみろ」
由一は『白樺』に向かって一人で歩いていた。
早いもので、あれから一年が経過していた。
もしかしたらもう、フラワーショップ白樺はないかもしれない。
堂本に白樺のことを聞いても、何も答えてくれないのだ。
『自分の目で見て確かめてみるといい』
堂本のその一言がきっかけだった。
由一は、どうしても佐川に会っておきたかった。
「・・・・・・・ゆ、由一?」
フラワーショップ白樺で、せっせと切り花の手入れをしていた佐川は、由一の姿を見てビックリ仰天して言った。
今にもその場で、卒倒してしまいそうなくらい響いている。
ブランドもののスマートなスーツに身を包んでいる凛々しい姿は、以前の由一とは輝きが違っていた。
自信に満ちた瞳と堂々とした身のこなしの由一は、きちんと頭を下げて挨拶をした。
「ど、ど、どうして?」
「堂本さんから許可が下りたので」
「ど、堂本さんって・・・。今度、木城組の組長になった堂本さん?」
「はい、そうです」
ニッコリと、穏やかな笑顔を見せて由一が答える。
だがその答えを聞いて、佐川は後ろにひっくり返りそうなくらい驚いた。
フラワーショップ白樺は、あれからなんとか営業しているようだった。
だが、他の店員は誰もいない。
佐川が一人で切り盛りしているのだ。
白樺は、以前のような活気はなかったが、なんとか暮らしていけるだけの客は確保している。そんな感じだった。
「お店、なかったらどうしようってずっと気になってて・・・。でも佐川さん、お元気そうでよかったです。あれからもう賭けマージャンはやめたんですか?」
と、由一が優しい声で言うと、襟首が伸びている古ぼけたTシャツに短パン姿の佐川は、あの時のことを思い出したのか、感極まってわっと泣き崩れてしまった。
黒縁の眼鏡が、床に落ちる。
「す、すまん、由一っ!あの時は・・・ああするより他になくて・・・・・。だが俺も、あれからずっと気になってて・・・。何度も店を閉めてここから逃げ出そうと思ったができなかった。由一にすべての責任を押し付けてしまったみたいで・・・本当に済まないっ。由一っ。!」
佐川は身体を震わせて泣きながら、由一に向かって深々と頭を下げている。
由一は、たった一年間の間にずいぶんと痩せて老け込んでしまった佐川を見て、なんだかとても切なくなってしまった。
佐川を責めるつもりで来たのではない。
堂本の情夫になったことへの恨みを言うために来たわけでもない。
現に由一は、堂本の情夫になってとても幸せだったし、佐川を一度でも恨みに思ったことなどなかった。
だが、そういう立場に追い込んでしまった者の方は、ずっとその罪の意識が心の痼りとなって残り、いつまでも苦しみ続けていたのだ。
由一は、そのことに初めて気づいた。
こんなことならもっと早くに訪ねてきて、自分は大丈夫だと言ってあげればよかった。
こんなに老けてしまって・・・。
由一の胸が、キュンと痛む。
「もう、もう気にしていませんからっ。堂本さんもとても優しくしてくれるし、全然、佐川さんのこと、ひどいだなんて思っていないですから。本当です」
由一は、コンクリートの上にしゃがみこんで、みっともない格好で泣いている佐川の肩にそっと手を置いて言った。
するとその言葉に救われたのか、佐川は顔をグチャグチャにして泣く。
由一は、中年の男がこんな所で我を忘れて泣くなんてみっともない、とは思わなかった。
やっぱり佐川さんは心の優しい男性なのだと、嬉しく思っていた。
十六年前のあの日。
ずっと田舎で暮らしていた小学生になったばかりの由一と母親は、父親の酒乱と暴力から逃れるように東京にやって来た。
大都会の東京に行けば、子連れでもなんとかなる、そう思っていたのだ。
だが、田舎から来た子連れの病弱な母親には、まともな職などなかった。
それどころか、保証人がいないために小さなアパートさえ借りることができなかった。
家を飛び出した時に持ってきたわずかなお金もすぐに尽きてしまい、小学生だった由一と母親は路頭に迷ってしまっていた。
今さら、田舎の家に帰ることはできなかった。
帰れば、酒癖の悪い父親のひどい暴力が待っているだけなのだ。
そんなことならいっそのこと、このまま死んでしまおうか・・・そう思っていた時、偶然にも佐川に出会ったのだ。
『どうしたんだい?』
東京に来て二週間。
たった一言、その言葉を掛けてくれたのは、佐川だけだった。
今にも倒れそうな母親が泣き泣き事情を話すと、可哀想に思った佐川は何度も小さく頷きなから言った。
『じゃあ、ずっと野宿してたのか?こんな小さな子供と一緒に?そりゃあ大変だっただろう。よし、まずは飯を食わせてやるから俺の家に来いよ。っていっても、御馳走なんてねーけどな』
都会の花屋にしては少し古臭くて小さかったが、由一はそんなことは全然気にしなかった。
花屋の二階の一室で食べた食事は、温かいお茶漬けだった。
おしんこと梅干しがご飯の上にのっかっているだけの、質素なお茶漬けだったが、丸一日何も食べていなかった由一にはものすごい御馳走に見えた。
『さぁ、食えよ。遠慮なんかすんなよ。飯だけはいっぱいあるからな?』
佐川は照れくさそうにそう言って、母親と由一に食べるようにすすめた。
由一と母親は、無我夢中でお茶漬けを食べた。
温かくて美味しくて、由一も母親も泣きながらお茶漬けを食べたのを覚えている。
あれから住み込みの職をやっと見つけた母親と由一は、三日後に白樺を出ていった。
『もっといてもいいんだぜ?』
と、佐川は言ってくれたが、そこまでは甘えられないと母親は断った。
それから三年後、母親は病気で他界し、由一は施設に預けられた。
父親はいたのだが、引き取るのを拒否したのだ。
だが由一はそんな現実にも少しもめげず、あの時助けてくれたお花屋さんの気持ちに少しでも報いたいと一生懸命勉強した。
そしていつか、佐川さんに恩返しをしたいといつも思っていた。
あれから十年以上の時が過ぎ、成人した由一はフラワーアレンジメントの技術を習得して、白樺に行った。
あの時、母親と幼かった自分を救ってくれた恩を返すために。
借金の形に、無理やり堂本の情夫にされたりしたけれど、今でもあの感謝の気持ちは変わっていないのだ。
「・・・・・今日、私がここに来たのは、あの時にお預かりしていたものをお返しするためです」
由一はひとしきり泣いた佐川にそう言って、手に持っていたものを差し出した。
佐川は床に落ちていた眼鏡を拾うと立ち上がり、由一が差し出したものを見つめる。
それは、四方の端が破れてボロボロになっている、とても古い紙切れだった。
紙切れには、何やらボールペンで書いてある。
「これに、見覚えはありませんか?」
由一に言われ、佐川は顔を近づけてじっと紙切れを見つめる。
茶色い染みがついている紙切れには、電話番号と住所が書いてあった。
驚いたことに、その住所はこの白樺のものだった。
電話番号も、ここのものである。
「こ、これは・・・?」
不思議そうな顔をして、佐川は由一の顔を見上げた。
由一は優しい顔でふふっと笑って、口を開いた。