東京ハードナイト 4

由一が目を覚ましたのは、ソファの上だった。

 

ふかふかのベージュのソファは、由一の身体をすっぽりと優しく包み込むような高級なものだった。

 

白い大理石のテーブルを挟んで向こう側にある大きなソファに、形の違ういくつものクッションが置かれている。

 

床はベージュを基調とした花柄の絨毯が敷き詰められ、天井を見るとクラシカルなシャンデリアが光っていた。

 

壁にはロココ調のブラケットがあり、日が差し込んでいる大きな窓にはクロスオーバースタイルのレースカーテンが揺らめいている。

 

大きな飾り棚の中の調度品も、見たことないものばかりで、高価そうな代物ばかりである。

 

広くてセンスの良い部屋は、まるで外国の高級ホテルの一室のようだった。

 

だが不思議なことに、誰もいない。

 

「・・・ここ、どこだろう?」

 

由一は、まだぼやけている頭を重そうにしながら、ソファから足を下ろした。

 

そしてそのまま立ち上がろうとしたが、薬から覚めたばかりの下半身には力が入らなかった。

 

ガタンッと、前につんのめるような格好になってしまった由一は、とっさにテーブルに手をついて転ぶのを防いだ。

 

重々しくて大きな楕円形をした大理石のテーブルは、そんな由一をしっかりと支えてくれた。

 

「・・・まだ、動かない方がいいぞ」

 

「・・・!?」

 

誰もいないと思っていた由一は、人の声に驚いて思わずまた転びそうになってしまった。

 

「あ、あの・・・?」

 

「あの薬はそんなに簡単には覚めない。もう少し・・・ソファで横になっていた方がいい」

 

その声は、隣接するサイドリビングルームから聞こえてくる。

 

由一は、ふらふらした足を引きずるようにして、ソファの端に掴まりながら、声の聞こえた方へ歩いていく。

 

隣のサイドリビングルームは、由一が寝ていた部屋よりもずっと広く、落ち着いた雰囲気で、暖炉まであった。

 

「寝ていろと、言っただろう?」

 

声の主は、その部屋にある一人掛けのソファにゆったりと座っていた。

 

「・・・・・・・」

 

由一が、目の前の男性の顔を見て思わず言葉を失ってしまう。

 

なぜなら、ソファに足を組んで座っている男性の顔の右側には、額から頬にかけてひどい切り傷の痕があったからだった。

 

額から口元に達するくらいの縦長の傷が目を塞いでしまっていて、右目がまったく開かない状態だった。

 

だが、醜い傷に反して、男性の左側の顔は驚くほど美麗だった。

 

くっきりとした切れ長の瞳と筆で描いたように整った眉。

 

すらりとした鼻筋と男らしい顎の線。

 

そして少し厚めの唇は、由一を見て少しだけ笑っているように見えた。

 

年齢は、三十歳を少し過ぎたぐらいだろうか?

 

「この顔に驚いたのか?」

 

「あっ・・・いいえ。そんなことは・・・」

 

由一は、自分がとても失礼な顔をして見ていたことに気づき、慌てて視線を外して顔を伏せた。

 

まるで、化け物でも見たような顔で見つめていたに違いない。

 

なんて失礼なことを・・・そう思い、自分を責めている由一を見て、男はふふっと笑って立ち上がった。

 

立ち上がると、とても高価なスーツを着ていたのだと分かる。

 

それに、ずいぶんと背が高くて肩幅も広い。

 

「あ、あの・・・?」

 

「そんな顔をしなくてもいい。俺はこの傷のことはまったく気にしていない。一つの教訓にはしているがな。むやみに人を信用するなという、教訓だ」

 

男の声はどこか威圧的で低いのだが、とても滑らかな響きがあった。

 

魅力的・・・というべき声だった。

 

「あの・・・ここはどこですか?」

 

由一は、近寄ってくる男性から逃げるように足をゆっくり後退させながら、聞いた。

 

別に逃げようと思っているわけではなかったのだが、危険を敏感に察知して、足が勝手に後退してしまうのだ。

 

美麗だが、ひどく醜い顔がゆっくり近づいてくる。

 

由一の足はソファの背もたれに当たり、これ以上後退できなくなっていた。

 

「ここはどこだと聞くよりもまず、どうして自分はここにいるのかを聞いた方がいいんじゃないのか?」

 

右頬にひどい傷のある男性は、そう言って由一に手を伸ばした。

 

そして動けないでいる由一の頬に触れ、そのまま指で掴んでしまう。

 

「・・・・・あの・・・どうして・・・私はここに・・・?」

 

そう聞いた由一の声は、震えていた。

 

この訳の分からない状況では、無理もなかった。

 

濃紺のストライプのスーツを着ている男は、由一の顎を引き寄せながら言った。

 

「覚えていないのか?白樺で何があったのか・・・」

 

「・・・白樺?あっ、あの人たちが来て・・・私を無理に・・・」

 

由一は、ようやく意識を失う前の出来事を思い出した。

 

あの時確か、金髪のヤクザっぽい男が言っていた。

 

佐川さんが負けたマージャンの借金の形に連れていく。

 

堂本さんが呼んでいるとか・・・なんとか。

 

それから記憶が途切れてしまって、気がついたらここにいたのだ。

 

ということは、ここはー・・・・・?

 

「あの・・・あなたはもしかして・・・堂本さんって方ですか?」

 

由一が背の高い男を見上げるようにして聞くと、男はふふっと片目の顔で笑った。

 

近くで見ると、男の黒い瞳はひどく冷たい感じがして、同時に寂しさのようなものも感じた。

 

優しさとか労りとか、そういった温かな感情がまるで感じられない。

 

由一は、顎を掴まれたまま、ゾゾッと背筋を震わせた。

 

「そう、俺が堂本貴良だ。よく覚えておけよ」

 

と、堂本が由一の顎を強引に引き寄せ、いきなりキスをしようとする。

 

由一はとっさに、堂本の顔に爪を立てて引っ掻くようにしてキスから逃れた。

 

爪で引っ掻かれた堂本の右頬には、ちょっとだけ赤く跡が残った。

 

「・・・・・・」

 

堂本は、引っ掻かれた箇所を指で触りながら、ふふっと笑う。

 

引きつるような軽い痛みはある。だが、血は出ていない。

 

「・・・俺の頬に、これ以上傷をつける気か?」

 

「あの・・・ごめんなさいっ」

 

由一は、素直に謝ってしまった。

 

傷を負っている頬に、爪を立てるつもりなどなかったのだ。

 

ただ急にキスされそうになったから、つい・・・。

 

「お前に一つだけ言っておく。俺を怒らせるな。いいな?」

 

「あの・・・」

 

「それともう一つ。ここから逃げようと思っても無駄だ。まぁ、そうはいってもきっと逃げ出そうと無駄な努力をするんだろうが・・・」

 

と言った堂本が、由一の顎から指を離す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京ハードナイト 3

次の日の朝、白いポロシャツとベージュのチノパン姿の由一が店の戸を開けると、そこには顔面蒼白の佐川がコンクリートの床にしゃがみこんでいた。

 

「佐川さん?どうしたんですか?」

 

驚いた由一が側に駆け寄り、佐川の肩を揺する。

 

「う・・・ん・・・ぐぇっ」

 

佐川は、まだ酔っぱらっていて、衣服がひどく汚れていた。

 

床には、佐川が吐いたものが散らばっている。

 

酒の飲み過ぎかと思った由一だったが、それにしてもいつもと様子が違う。

 

「何かあったんですか?」

 

こんな醜態を見せるまで佐川が飲むのは、珍しかった。

 

「や・・・やっちまった・・・。またやっちまった・・・うう゛っ・・・」

 

 

泣いているのか呻いているのか分からないくらい汚れてグチャグチャの顔で、佐川が何度も同じことを言う。

 

「何をやっちゃったんですか?佐川さんっ?」

 

由一は強く肩を揺さぶって、宙をさ迷っている佐川の目を自分の目に向かせた。

 

すると、由一の顔を見たとたん、佐川は驚いてしゃがんだまま後ずさる。

 

「ゆ、由一っ!うわぁぁーーーーーぁぁ・・・許してくれぇぇー。どうしようもなかったんだ!」

 

「佐川さんっ!?」

 

「俺は・・・俺は・・・全然その気はなかったんだけど。だけど・・・あいつらが帰してくれなくて・・・。それで、つい・・・」

 

言っている意味がまったく分からない。

 

由一は眉間に皺を寄せるようにして、佐川の顔を覗き込んだ。

 

「すまない由一っ。俺のせいで・・・俺のせいで・・・」

 

「だから、何がどうしたんですか?ちゃんと説明をしてくれないと分かりません」

 

「俺が・・・俺がぁぁ・・・・・」

 

と、佐川が訳を話そうとしたその時、いきなり店の扉が開いて、ドカドカと数人の男たちが店の中に入ってきた。

 

その男たちは、普通のサラリーマンの風貌ではなかった。

 

派手なスーツと派手なネクタイ。そして磨いたばかりのような洒落たデザインの革靴。

 

金髪もいれば、角刈りもいる。

 

「その先の説明は、俺たちがしてやるぜ?」

 

中でもひときわ体格のいい金髪の男が、由一の前にズカズカと近寄ってきて、そう言った。

 

「誰ですか・・・あなたたちは?お店はまだですけど・・・」

 

と、由一が真面目な顔で答えると、数人のヤクザ風の男たちは『ガハハ』と下品な笑い声を上げてのけ反った。

 

「俺たちは花を買いに来たんじゃねーんだ」

 

と、目つきの鋭い男が、指でポンッと向日葵の花を叩く。

 

「早い話が借金の取り立てだ」

 

「借金の取り立て?」

 

由一は、おもむろに綺麗な顔を顰めた。

 

「佐川さは昨夜、賭けマージャンでひどく負けたんだよ。その結果、この店の何もかもが借金の抵当ってわけだ。分かったか?」

 

金髪男の言葉に、由一はようやく事の次第をのみ込んだ。

 

あれほどやめると言っていたのに、またマージャンをしたのだ。

 

しかも、この店の抵当権まで賭けて。

 

「・・・本当なんですか、佐川さん?」

 

由一の問いに、佐川は涙でグチャグチャになった顔を何度も頷かせた。

 

だが、心底脅え切っている佐川の様子は、問題がそれだけではないことを由一に知らせていた。

 

「・・・まだ何かあるんですね?」

 

「おおっ、察しがいいじゃねーか。そうなんだよ。実はな、このオヤジ。最後には賭けるものがなくなっちまってな。で、ついに・・・店の看板であるお前を賭けたってわけだ」

 

「・・・・・・・・!?」

 

由一は、何を言われたのか分からない。

 

「分からねーか?そうだろうな。まっ、普通は分からねーよ。だが、俺たちについてくれば嫌でも分かるさ」

 

と、ヤクザたちが由一の腕を掴み、強引に引き寄せて連れていこうとする。

 

由一はとっさに逃げようとしたが、すぐに捕まってしまった。

 

「は、離してくださいっ」

 

「だめだ。お前は借金の形に連れていく。堂本さんがお呼びなんだ」

 

「堂本さん?誰ですかっ、それは?」

 

由一はヤクザたちに捕まりながらも、手足をバタつかせて聞いた。

 

「そのうちに分かるさ。さてと、行こうか?」

 

「あっ・・・離してっ!どこに連れていくんですか?離してくださいっ」

 

由一は、狭い店の中で必死に抵抗する。

 

するとその拍子に、花瓶に挿してあった向日葵の花が倒れ、床に散る。

 

ヤクザたちはその花を踏み散らしながら、由一を店から連れ出した。

 

由一は、踏まれてグシャグシャになってしまった向日葵を悲しげに見て、それから、佐川に視線を向けた。

 

佐川は、店の隅でブルブルと震えている。

 

「す、済まないっ。由一・・・本当に済まないっ。こうするしかなかったんだ。お前を差し出せば店は取らないって脅されて・・・つい・・・。俺が悪いんだっ、俺が・・・。許してくれぇーーーーーっ」

 

「佐川さんっ!佐川さんっ」

 

「許してくれぇぇーーーーーっ」

 

佐川の震える叫び声が聞こえる。

 

だが由一は、佐川の叫び声を最後まで聞けずに、薬によって意識を奪われていた。

 

「・・・・・んっ・・・・・」

 

鼻と口を押し当てられたハンカチには、睡眠作用のある薬がたっぷりと染み込んでいた。

 

黒い日本車の後部座席に、意識のないグッタリとした由一が乗せられ、その横に金髪頭のヤクザが乗り込む。

 

そして他のヤクザたちは、それぞれ違う車に乗り込み急発進させる。

 

佐川は、車の走り去る音を聞きながらメチャクチャになってしまった店の中で頭を抱えるようにして震えていた。