その頃由一は、六本木辺りをうろついていた。
大学生からもらったダブダブのシャツの裾で、堂本が用意してくれたコットンパンツを隠すように身を屈めて歩いている由一は、生きた心地がしなかった。
洒落た革のスニーカーを履いたままではバレてしまうのでは?と思ったが、さすがに靴の替えまではなかった。
シャツを借り、酔っぱらいのふりをして大学生たちに抱えられるようにトイレを出た由一は、無事に東京ドームから脱出できたことを奇跡のように感じていた。
なんの事情も知らないで、由一の言った通りにしてくれたあの親切な大学生たちのことを心配しながらも、由一は華やかな街頭が灯っている夜の六本木の街中を、一人でさ迷っていた。
小学校の時に母親が病死してからというもの、施設で育った由一には、帰る家などなかった。
由一は、いくらでもいいからお金がないかとポケットを探ってみる。
だが案の定、一円も入っていなかった。
由一が連れ去られた時に持っていた荷物はすべて、あのマンションに入った時に処分されてしまったのだ。
お金もないし、帰るところもない。
おまけに今はヤクザたちに追われていて、もうどうしていいのか分からなかった。
「どうしたらいいんだろう・・・」
由一は力なく呟きながら、賑やかな表通りから少し奥に入った暗い路地裏でしゃがみこんでしまった。今頃、きっと堂本は烈火の如く怒り狂っているに違いない。
そう考えると、どうして逃げ出してしまったのかと今さらながらに後悔した。だがもう、逃げ出してしまったのだからどうしようもない。
由一は、絶望感に苛まれながら、しばらく呆然としたまま表通りを見つめていた。
華やかな六本木の街頭の中でも、ひときわ目立つブルーのイルミネーションが目についた。
巨大ビルの地下に続いているその店の入り口は、一見高級ブティックのような豪華な店構えをしていた。
入り口の壁には『アクア』とだけ書かれている。
会員制の特別な高級クラブなのか、ドアマンらしき身なりのきちんとした男たちが、引き締まった顔で左右に立っていた。
そんなひときわ人目を引くアクアの前に、見たこともない一台の高級車が横付けされ、後部座席から一人の男性が降りてきた。
由一は半分放心状態で見つめていたが、降りて来た男性を見たとたん、パーッと頭の中の不安が吹き飛んでしまった。
白いスーツを上品に着こなしていて、まるで英国紳士のような高貴さを漂わせている美しい青年だったのだ。
由一は、思わず息をのんで自分とは大して歳も違わないその青年の姿をジッと見つめた。高貴なだけじゃない。純粋さや可憐さも全身の雰囲気から溢れている。
しかも、目が青い?
由一は堪らずに路地裏から出て、青年がドアマンと話している場所までフラフラと近寄っていった。
すると、どこからか数人の黒いスーツ姿の男たちがやってきて、由一の前に立ち塞がった。
「誰だ、お前は?」
男は、堂本ところで見たヤクザと同じような、怖い雰囲気を漂わせていた。
まさか、この人って・・・・・。
「あ、あの・・・」
「真琴様に何か用か?」
夜だというのにサングラス掛けている男は、強い口調でそう言って由一に詰め寄る。
由一の裾をだらしなく出している格好は夜の六本木に相応しくなかった。
どこかの浮浪者と間違えられたのだ。
「私は・・・その・・・」
由一が口ごもっていると、真琴と呼ばれた青年が怖い男たちの後ろから声をかけてくれた。
「私に、何か用ですか?」
「いえ・・・用っていうか・・・ その・・・つい・・・・・」
由一は何から話していいのか、自分が何を言っているのか全く分からなくなってしまっていた。
いろいろありすぎて、頭の中が混乱していて、どう整理していいのか分からないのだ。
「私・・・どうしていいのか分からなくて・・・。もう・・・もう・・・ううっ・・・」
由一は、ついに泣き出してしまった。
ずっと堪えていた涙が、真琴の神々しい姿を見たとたん一気に噴き出してしまった。そんな感じだった。
サングラスを掛けた真琴のボディガードたちは、そんな由一を見て敵意がないと察したのか、ゆっくりと遠ざかった。
代わりに、真琴が由一の側に近づく。
「何か訳があるんですね?よかったら私に話してみませんか?」
真琴の凜としていて穏やかで優しい声は、天使の囁きのように聞こえた。
由一は真琴が差し出した手に縋り付くように、手を伸ばす。
「ここは私の店なんです。中で話を聞きましょう」
由一は真琴に言われるままに、アクアの中に入っていく。
どうして由一が真琴と出会ったのか、これも運命の一つだと知るのに、そう時間はかからなかった。
「それにしても遅いな・・・」
「何やっているんだ、いったい?」
トイレの入り口辺りでずっと待っていた二人のヤクザたちは、イライラしながらトイレの中に入って来た。
男子トイレの中は、小さな子供の親子連れがいるだけでガランとして、他には誰もいない。
もう試合が始まっているせいか、観衆は球場の方に行っていた。
「・・・・・あいつどこだ?」
「いない!」
ヤクザたちは血相を変えて広いトイレの中を隅々まで捜し回る。
だが由一の姿はどこにも見当たらなかった。
「まさか・・・・・」
ヤクザたちは顔を見合わせ、とたんに顔を青くして引きつらせる。
「まさか・・・逃げたんじゃ・・・」
「だけどどうやって逃げるんだ?このトイレには窓もないし、出入り口は俺たちが見張っていたあそこだけだ。あいつが入ってから出て行ったのは、中年の男と酔っぱらいを抱えた数人の大学生だけだろう?」
と、ペイズリー柄のネクタイをしているヤクザが考え込みながら言うと、ゴミ箱をあさっていたもう一人があっと大声を上げた。
行ってみると、ゴミ箱の中には、さっきまで由一が着ていた白いコットンのシャツが丸めて捨ててあるのだ。
「服を脱いでどこへ行ったんだ?」
「あっ!まさかさっきの大学生の酔っ払い!?」
「そうだっ!抱えられて連れていかれたのがきっとそうだ。大学生から服を借りたんだ。そして酔っぱらいのふりをして俺たちの目を遣りすごしたっ」
「くっそぉぉ・・・!」
ヤクザたちはものすごい形相で叫ぶと、急いでトイレから飛び出し、通路を行き交う人たちを押しのけるようにして野球を観戦している堂本の元に走った。
話を聞いた堂本の顔が、見る見るうちに不機嫌になり、いつもは隠している凶暴性を剥き出しにしていく。
「・・・逃げただと?確かなのか?」
「はいっ!捜したんですが、どこにもいませんっ」
「すみませんっ!」
と二人のヤクザが頭を深々と下げるが、堂本の怒りは収まらなかった。
それどころか、一気に加速していく。
「おのれらーーーーっ!」
堂本は、頭を下げている二人の顔面を蹴り上げると、そのまま席を立った。
「・・・・・探せ、探し出せっ!まだこのドームの中にいるはずだっ。なんとしても捜し出せ、俺の前に引きずってこいって!」
「はっ」
堂本の命令を受けたヤクザたちが、一斉に散っていく。
ヤクザたちはそれぞれに携帯を手にすると、他のヤクザたちも応援を要請した。
「由一のヤツ・・・。俺を裏切ったな?」
堂本は、ものすごい形相で通路を歩きながら、ググッと拳を握り締めた。
あれほど逃げないと言っていたのに。
あの誓いはなんだったのだ!
俺から逃げ出すための、一つの手段にすぎなかったというのか?
「裏切ったな、由一」
堂本は奥歯を噛み締めるようにそう呟くと、すぐに近くにいた角刈りの頭の男に向かって叫んだ。
「滝沢っ、由一をここから連れ出したという大学生たちの身元を洗え」
「・・・はい」
「それと・・・・・邪魔したそいつらも俺の前に引きずってこい。いいな、生きたままだ」
堂本に命令された滝沢と呼ばれたヤクザは、堂本の側近の一人だった。
角刈り頭と黒い瞳。それにいつもはまったく無表情な滝沢は、堂本が抱えるヤクザたちの中でも最も冷酷な男だった。
「分かりました」
滝沢は目を細め、一瞬間を置いてから返事をした。
「それと、由一はなるべく傷をつけずに捕らえるんだ。いいな?」
堂本のその言葉に、由一に対する愛情の深さが表れていた。
こんな裏切りや屈辱を受けたら、いつもは問答無用で相手を拷問に掛けているはずなのに。
由一に対しての、この寛容さはどうだろうか。
滝沢はそんな堂本に少し驚いていたが、表情にはあえて出さなかった。
「分かっています」
滝沢はそう返事をすると、数人のヤクザたちを従えて去っていく。
「連絡が入ってます」
一人のヤクザが、そう言って堂本に携帯を渡す。
『試合も見ないでドームから出て行った大学生がいるようです。その中にまじって出たのではないかと・・・』
堂本は、ゲートからの報告を受け、怒りが頂点に達してしまった。
本気で逃げるつもりなのだ。由一は。
しかもまったく関係のない一般人まで巻き込んで。
「この逃亡の代償がどんなものか、たっぷりと教えてやる」
堂本は握り締めていた携帯を壁に打ちつけて粉々にすると、数人のヤクザたちを従えてそのまま駐車場まで歩いていく。
そしてメルセデスベンツに乗り込んだ堂本は、スーツの内ポケットから自分専用の携帯を取り出した。
「私だ。緊急に人を捜してほしい。金に糸目はつけない。ああ、そうだ。詳しいことは滝沢から聞いてくれ」
堂本はひと通り話すと、すぐに切った。
由一が見つかったという滝沢からの報告が来るかもしれないと思ったのだ。
だが堂本の願いとは裏腹に、由一のその後の行方の手掛かりになりそうな報告は、マンションに着くまでの間はまったくなかった。
堂本にしてみたら由一の監禁生活はもう終わりで、今日からは一緒にあのマンションで暮らすつもりだったのだ。
もともと、由一と一緒に暮らすつもりであのマンションを買ったのだ。
そして今夜こそは由一を自分のものにしようと、決めていたのだ。
由一の身体をもっと激しく愛撫して、自身を捩じりこんで、今まで味わったことのない快楽を与え、もう決して自分から離れられないようにしてやろう・・・・・そう思っていたのだ。
だが由一の頭の中では、そんな堂本の考えなどまったく想像もできなかった。
由一は、またあのマンションで一人ぼっちにされるのかと思うと、居ても立ってもいられなかった。
なんとかして、ここから逃げ出さなければ。
あのマンションに連れ戻される前に、逃げるんだ。
由一の頭の中は、逃げることでいっぱいである。
どうやって逃げようか。
由一は、ドキドキしながら辺りを見回した。
見ると、十人ぐらいのヤクザたちが由一と堂本の席を囲んでいて、この場から一歩も動けない状態なのが分かった。
だがここで逃げ出さなきゃ、もう終わりだ。
またあんな寂しい思いをするのは、絶対に嫌だった。
由一はいろいろと考えた。
どうやったらこの場所から動くことができるのか。
そして唯一、由一がこの場所から動いても変に思われないことを思いついた。
「あ、あの・・・。トイレに行きたいんです」
由一は、堂本に向かって思いきって言った。
堂本は一瞬、目つきを鋭くする。
「あの・・・我慢できなくて・・・。どうしてもトイレに行きたいんですっ」
由一は必死の顔で堂本に訴えた。
堂本は少し考えているようだったが、由一があまりにも真剣な眼差しで訴えているものだから、ふと気を許してしまった。
「誰か・・・ついていけ」
「はい」
堂本の後ろに座っていた二人のヤクザが、立ち上がる。
そして由一の腕を掴み、通路に出て階段を上っていく。
由一はチラッと堂本を振り返ってみた。
堂本は、ついに始まった試合に気を取られている。
由一はチャンスだと、内心思っていた。
だが、体格の良いヤクザが二人も監視についてきたことは計算外だった。
一人ならなんとか振り切って逃げることもできるが、体格の差を考えても相手が二人となるとそれは難しかった。
ではどうするか。
由一は考えがまとまらないうちに、男子トイレの前に連れていかれた。
「早くしろ。俺たちも試合が見たいんだ」
「ここで見張っているからな」
ダークなワインカラーのネクタイを締めたヤクザと、真っ赤なペイズリー柄のネクタイを締めたヤクザが言う。
二人とも同じようなグレーのスーツを着ていたが、堂本が来ているオートクチュールのスーツとはまったく雰囲気が違っていた。
由一はふとそんなことを思って二人を見たが、そんな場合ではなかった。
なんとかしてこの球場から逃げ出さないといけないのだ。
男子トイレの中は、広くて綺麗だった。
中には数人の大学生と中年の男子と、親子連れが一組いるだけだった。
由一は個室には入らず、どうしようかと、ウロウロとして歩き回った。
窓から逃げるという手も考えたが、窓が一つもないのだ。
トイレの出入り口は、たった一つだけだった。
「ああ、どうしようっ。このままじゃ捕まってしまう。またあのマンションに監禁なんて、絶対にいやだっ」
由一は足早に歩き回ってそう呟いた。
するとそんな由一が気になったのか、大学生の一人が声を掛ける。
「どうか・・・したの?」
少し茶髪の頭をしている、一見サーファー風の大学生は、由一のまるでモデルのように洗練されているファッションスタイルがとても気に入って、声を掛けたのだ。
それに顔を見ると、男にしておくには惜しいほど綺麗である。
これはもしかしたら芸能人か?
大学生たちは、一斉に由一の周りに集まった。
「えっ?」
「何か困ってるようだけど、どーしたの?」
と、野球帽をかぶっている一人の大学生が聞く。
由一は、目の前の大学生が着ている赤いTシャツと鹿の子のシャツに目を留めた。
上に着ているシャツを一枚脱いでも、全然分からない。
これだっ!これしかないっ。
「あの、お願いしたいことがあるんですが・・・」
由一は、大学生に近づいてそう言った。
由一が嬉しそうにしている姿を見ると、なぜか自分も嬉しくなってしまうのだ。
堂本は三十三年間生きてきて、こんなことは初めてだった。
「行くぞ」
「はい」
「だが、決して逃げるなよ?もし逃げたら・・・俺は地球の裏側まで追っていく。俺はそういう男だ。忘れるな?」
堂本の言葉は、偽りや脅しじゃないと由一は直感的に思った。
顔の右半分のひどい傷痕が、本気だと告げている。
由一はゴクリと唾液を飲み込みながら、大きく頷いた。
正直、逃げようとか、そんな考えは由一の頭の中にはなかったのだ。
今は一刻でも早く、このマンションから出たかった。
堂本は、由一の柔順さに大いに満足しながら、先に玄関から外に出た。
初めて見る玄関から外の景色は、由一の想像とはだいぶ違っていた。
玄関の外には巨大な円形のホールがあって、そこには窓もなく、エレベーターが一つあるだけだった。
堂本は由一の腕を引っ張るように、数人のヤクザたちとエレベーターに乗り込む。
そしてB2のボタンを押す。
高速エレベーターは、赤い点滅を光らせながら見る見るうちに下降していった。
エレベーターに乗って初めて分かったのだが、由一が監禁されていた階は、最上階の50階だった。
これでは、車がミニカーに見えるはずである。
「地下に降りたらそのまま待っている車に乗れ。お前は常に俺の側にいろ、いいな?」
「・・・はい」
小さく返事をして頷いていた由一は、堂本に腕を掴まれていた。
だが不思議なことに、全然嫌じゃなかった。
それどころか、こうしてしっかりと捕まえていてくれた方が、不安で寂しかった心が癒されていく、そんな感じだった。
初めにここに連れてこられた時とは明らかに、堂本に対する由一の見方は変わっていた。
地下の駐車場に着くと、由一はブリリアントシルバーのメルセデスベンツS600Lの後部座席に座るように言われ、そのまま命令に従った。
メルセデスベンツなんて高級車は、見たことはあるが乗ったことなんてない。
由一は、いろいろな意味で少しドキドキしていた。
「あの・・・どこに行くんですか?」
由一が、車の外の景色を目で追いながら堂本に聞いた。
「・・・ 野球は好きか?」
「えっ?」
不意にそう尋ねられた由一は、驚いたように堂本の顔に視線を合わせた。
由一は堂本の左側に座っているので、ひどい傷痕が見えない。
堂本の端正で男らしい横顔だけが、由一の目に映っていた。
「野球・・・ですか?」
「今夜は東京ドームで開幕戦がある。それを見せに連れてってやる」
「東京ドーム・・・で・・・野球?」
「見たくないなら、マンションに戻ってもいいんだぞ?」
「い、いいえっ。私っ、野球好きです。だから見ますっ」
由一はすぐにそう返事をして、堂本の横顔を見つめた。
こうして見つめていると、堂本は本当に美形なのだと分かる。
あの傷がなかったら、きっとものすごい男前なのに。
そんな由一の考えが分かったのか、堂本は由一の方を向いた。
すると、ひどい傷痕が残っている右半分の顔も見えて、由一は無意識のうちに身体を遠ざけてしまう。
「この顔の傷が、そんなに嫌か?」
堂本が由一の首に手を回し、グイッと顔を近づける。
片目が完全に塞がってしまっているの堂本の顔が、由一の頬に触れる。
「ヤクザはな、顔にこれだけの傷があるとハクがつくんだ。それに、一度見たら忘れられない。そうだろう・・・?」
「は、はい」
由一は小さな声で返事をしたまま、動かずにじっとしていた。
堂本のねっとりとした舌が由一の頬を舐め、耳たぶを噛み、そのまま首筋を這っていく。
白いコットンのシャツの胸元は大きく開いているので、堂本が首筋を愛撫するのは容易だった。
それに、由一は何をされてもピクリとも動かない。
堂本はそんな由一の態度が気に入ったのか、身体を抱き寄せて激しく唇を覆った。
「んっ・・・くぅ・・・・・」
噎せるような激しいディープキス。
まるで由一のすべてを食い尽くすようなキスを受けながら、由一はさまざまなことを考えていた。
ここで抵抗したら絶対にいけない。
少しでも抵抗したら、またあのマンションに戻されて、今度こそきっと無人島送りになってしまうかもしれないのだ。
それにどうしてか分からないが、堂本の命令に逆らう気にはなれなかった。
逆らった時の恐怖もある。
だがもっと別の理由があるような気がしていたが、由一は深く考えなかった。
「・・・・・んんっ・・・ はぁ・・・・・」
キスが長く続くと、由一はもっともっと何も考えられなくなっていた。
頭の中が真っ白になってしまって、フニャフニャになってしまって、指さえ動かすことができなくなってしまうのだ。
堂本のディープキスが巧みで濃厚だったせいもあるが、由一の身体が一カ月前のあのキスの味を覚えていたせいもあった。
しかも、どうすればもっと深く舌を絡ませ感じることができるのか、いつの間にか学び理解しているのだ。
驚いたことに由一は、性教育に対してとても優秀な生徒だった。
堂本が教えてくれたことをすぐに自分のものにしてしまうのだ。
「あっ・・・んっ・・・堂本さん・・・だめ・・・」
シャツのボタンを全部外され、乳首も露わになった由一は、教えられたわけではないのにごく自然に堂本の名を口にしていた。
堂本の唇が鎖骨から乳首へと移ったためであったが、愛撫している堂本も由一の色っぽい声には少し驚いていた。
由一は男も女も初めてのはずで、当然愛撫を受けることにも慣れていない。
それなのに、ちょっと愛撫して可愛がっただけで、こうして立派な情夫まがいの喘ぎ声をあげることができるのだ。
堂本は由一の中に眠っていた新たな魅力に触れ、もっと深く心を奪われていた。
なぜこんなにも由一を愛してしまったのか、堂本自身にも分からなかった。
フラワーショップで由一を一目見た瞬間から、堂本は由一に惚れてしまったのだ。
そして、由一のことしか考えられなくなってしまったのだ。
どんなにいい女でも男でも、堂本が望めば思いのままだった。
非情で知られている堂本が、心を揺るがせられ本気で欲しいと思ったのは、由一で二人目だった。
「そろそろ着きますが?」
不意に、助手席に乗っていた男が言った。
堂本は、少し名残惜しそうに由一の乳首から口を離す。
すると、ずっと吸われてプクッラと膨れてしまった乳首は、赤く色づき、すっかり硬くなっていた。
「あんっ・・・」
乳首を離した瞬間、由一がまた声を上げて両目を細めた。
自分でも気づかないうちに声を上げているのだろう、由一には少しの羞恥心も見当たらなかった。
「服を整えろ。まぁ、その格好でも俺はいっこうに構わんがな・・・ふふっ」
堂本は、レザーの背もたれに身体を預け、すっかり上半身を裸にして喘いでいる由一に向かって言う。
すると由一は、そんな自分に初めて気づいたように、真っ赤に上気した顔で恥ずかしげに堂本を見つめて、慌ててシャツのボタンを嵌めていく。
いつの間にこんな恥ずかしい格好にされていたのか、全然気づかなかったのだ。
それにこの無防備さはどうだ。
まるで、堂本に乳首を吸われることを望んでいたかのような破廉恥な格好である。
「し、信じられないっ」
由一はボタンをしっかりと嵌め襟元を締めた。
鎖骨にも乳首の横にも、朱色のキスマークが残っているのだが、由一はそのことにさえ気づいていなかった。
「降りるぞ」
堂本に言われ、由一はそろそろと車から降りた。
そして腕を掴まれたまま、ドーム球場へと入っていく。
席はバックスタンド側で、十人ほどのスペースが空いていた。
堂本は由一とその中央に座り、近くのヤクザに飲み物を買ってくるように言う。
球場内はほぼ満席に近い状態で、もう間もなく始まる開幕戦の熱気と興奮に包まれていた。
「これを飲め」
と、堂本に手渡されたのは紙コップに入った冷たいジンジャーエールだった。
由一は、ちょうど喉が乾いていたので一気に飲み干した。
車の中であんなこともあったし、体温は上昇しっぱなしである。
それにしてもこんなに熱気に溢れている場所に来るのは、久しぶりだった。
ずっと監禁されていたせいか、その熱気や人々の喧噪さえも嬉しく感じてしまう。
それに、バックスタンド席で開幕戦を見るのも初めてのことだった。
「野球を見終わったら、マンションに戻るぞ。十分楽しんでおけ」
堂本は、由一の耳元でそう言った。
とたんに由一の晴れ晴れとした表情が、不安と恐怖に曇ってしまう。
また、高層マンションに戻されるのか!?
今度はどのくらいの間、一人で監禁されるのだろうか?
一カ月?それとも三カ月?
「・・・・・あの・・・」
あのマンションに戻るのだけは嫌だと、由一は言いそうになった。だが寸前のところで言葉をのみ込んだ。
嫌だなんて言ったら、機嫌が悪くなった堂本に今すぐに連れ戻されてしまうような気がしたのだ。
「なんだ?」
と、堂本が片目で由一を見つめる。
由一は慌てて首を横に振ったまま、何も言わなかった。
「マンションに戻るのを楽しみにしていろ」
堂本はそう付け加えて、生ビールを飲み干す。