東京スペシャルナイト 上 15
- 2016年01月06日
- 小説, 東京スペシャルナイト
宇宙は、朝からずっとボーっとしていた。暇があれば職員室から外を眺め、葉が落ち始めている大きなポプラ並木を、先ほどからじーっと眺めていた。
そんな宇宙を不思議そうに見て、何人かの教師が心配そうに声をかけたが、宇宙は「景色が綺麗なものですから」とだけ答えていた。
確かに、初秋の光景は色が様々で美しく、目の保養にもなった。
だが宇宙は、実際にはそんな景色には目もくれず、桜井の姿だけを思い描いていた。
あの、脳天直撃のスペシャルマッサージを受けてから三ヶ月が経っていた。
記録的な猛暑も去り、今ではすっかり街は秋のファッションに溢れている。
宇宙はあれから、何度か桜井のもとを訪れ、マッサージを受けていた。
だが心も身体も虜になってしまった、あのスペシャルマッサージは、あれから一度もしてくれなかった。
今日こそはスペシャルマッサージをしてくれるかもしれないと意気込んで行っても、いつもの足の裏のツボ圧しとマッサージのセットだけなのだ。
本当は『スペシャルマッサージをお願いします』と言いたいのだが、恥ずかしさが邪魔をしていてとても言えなかった。
いつものマッサージも確かに気持ちいいし、リラックスできる。
身体の疲れも癒されるし、桜井に会えた喜びで心も満ち足りてくる。
だけど、あの心も身体も蕩けてしまうようなスペシャルマッサージを知ってしまってからというもの、どうもいつものマッサージでは満足できない身体になってしまっていた。
それが証拠に、マッサージが終わる頃には宇宙自身が勃起してしまっていて、どうにも収まらなくて、仕方なく桜井が出ていった部屋の中で自分の手で慰めるということが続いていた。
しかし自分の手で慰めてあげて満足させても、何か釈然としない。
満足感がないというか、心が潤わないというか、かえって寂しくなってしまうというか。
だがこうでもしないと、下半身がいつまでも元気でスラックスが穿けないのだ。
あのスペシャルマッサージの一夜から、桜井はどことなく宇宙に対して素っ気ない態度をとっていた。
それが宇宙を、とても悲しくつらくさせていた。
気のせいかもしれないけど、でもやっぱり以前の桜井とはどこか違うのだ。
「やっぱり・・・あの時の僕をみて・・・呆れちゃったんだろうな・・・」
秋風に吹かれ、木の枝から落ちていくポプラの葉を眺めながら、宇宙はボソッと呟いた。
自分のまわりには誰もいない。
教科書やテストが積んである机の上で肩肘をつき顎を乗せて、宇宙は一人でボーっとしていた。
「だって、あんなマッサージ初めてだったから・・・。つい・・・調子にのっちゃって・・・」
反省するように、深く後悔するように宇宙は呟いていた。
あのときあまりにも破廉恥に喘ぎすぎて、感じすぎちゃって、そんな卑猥な自分の姿を見た桜井が呆れてしまったのだと宇宙は思い込んでいたのだ。
きっともう、嫌われてしまったのだ。
そう決まってる。
いくら気持ちいいからってあんなにアヘアヘ言っちゃって、娼婦のように喘ぎまくっちゃって。
あれから桜井さん、どことなく冷たいし、スペシャルマッサージもしてくれなくなっちゃったんだ。
でももっと素直になって、ちゃんと感じなさいと言ったのは桜井さんだし。
あのときの桜井さんはいつもの桜井さんと違ってて、とても大人で支配的で、まるで僕の上に君臨する王様のようで。
そんな桜井さんに魅せられて、ついあんな大声まで出しちゃって。
最後には自分でもどうなったのかわからないくらい感じちゃって。
何度もイッちゃって。
桜井さんの手の中でオイルと体液が混じり合っていて、クチャクチャしてたっけ。
あーあ、もう最悪。
どうしたらいいんだろう。
桜井さんにまた以前のように優しく接してもらいたいのに。
スペシャルマッサージを、もう一度だけでもいいからしてほしいのに。
「・・・・・はぁ・・・」
宇宙は、思わずため息を漏らした。
するとちょうど、午後の授業が始まるチャイムが鳴る。
校庭や廊下では、キャーキャーと走り回っている子供たちの声がする。
宇宙は、重い腰を上げて算数の教科書を持った。
「今日も予約入っているけど、やっぱりしてくれないよね。スペシャルマッサージ」
疲れきった顔で、宇宙は廊下に出た。
とたんに、まだ教室に入っていない一年生の子供たちに囲まれてしまう。
「せんせー!早く教室に行こうよ」
「宇宙せんせ、最近一緒に遊んでくれないからつまらない」
宇宙のクラスの子供たちだった。
そう言えばそうだった。
夢と希望に燃えていた四月頃は、暇さえあれば一緒に子供たちと遊んでいたっけ。
「どっか、具合悪いの?ねぇ・・・せんせ?」
「せんせー、大丈夫?」
腕にまとわりついている子供たちが、純粋な瞳をキラキラと輝かせて聞いてくる。
問題児の国ちゃんがいないと、この子どもたちは本当に素直で優しい子供たちだった。
宇宙は一瞬、子供たちの優しさに触れ、胸がキュンッとなる。
だがそんな感じのいい雰囲気を壊したのは、問題児の国ちゃんだった。
「先生はどこも具合なんて悪くないよ。きっと・・・惚れた相手のことでも考えていたんじゃねーの?」
子供らしからぬ言葉に、宇宙は一瞬絶句してしまう。
後ろを振り返ると、そこには、面白くなさそうな顔をして数人の悪ガキ集団と立っている国ちゃんがいた。
「く、国ちゃん・・・。惚れた相手とかって・・・そんなこと言っちゃいけないよ」
「あっ、図星だな先生?顔が赤いよ」
すぐに国ちゃんに切り返され、宇宙は反射的に顔を両手で覆ってしまう。
実際、桜井のことを考えていただけに、図星という言葉は見事に的中していた。
「く、国ちゃん!」
「まったく、最近の教師は・・・エッチなことばかり考えているんだからな」
国ちゃんは呆れたようにそう言って、悪ガキ集団を従えて教室に戻っていく。
国ちゃんの言葉を聞いた他の子供たちも、慌てて宇宙の腕から離れて教室に駆け込んでいった。
「あ、あの・・・。ちょっと待ちなさい。そうじゃないんだ。違うんだって」
と慌てて言い繕っても、もう遅かった。
宇宙の顔は真っ赤だったし、子供の純粋な目はすぐに嘘を見抜いてしまう。
一人廊下に取り残された宇宙は、ガクッと肩を落とした。
「・・・・・・なんで分かっちゃったんだろう」
ボソッと呟いてから、気を取り直して教室へと向かう。
そして午後の授業は、国ちゃんが大暴れしてもう散々な状態だった。
他の教師からは怒られ、放課後には校長から呼び出された。
悪ガキ集団の素行と生活態度を直すように厳重に注意され、やっと校長室から解放されたときには、もう外は真っ暗だった。
時計を見ると、七時を回っている。
今日のマッサージの予約は八時だから今から行けば間に合うが、なんだか今日はマッサージに行く元気もなかった。
数人の教師が残っている職員室で、宇宙はマッサージの予約のキャンセルの電話を入れた。
『次回のマッサージの予約を入れますか?』
本当は、今すぐにでも桜井に会いたい。
だが、桜井に素っ気なくされることを思えば、しばらくの間会わないほうがいいのではないだろうかと考えたのだ。
電話を切った後、妙な寂しさが全身を駆け巡った。
そしてこのとき思った。
もしかしたら、自分は桜井に恋をしているんじゃないだろうか・・・と。
このせつない想いは、正真正銘の恋じゃないだろうか・・・と。
「まさか・・・。桜井さんは男なんだし・・・・・」
宇宙は、湧き上がる熱い想いを否定するかのように独り言を言う。
だが、暇があればいつも桜井のことを考えてしまう今の状況は、誰が見ても『恋』だった。
勘のいい、国ちゃんに指摘されたとおりである。
「桜井さんが・・・好き?」
自分に問いかけるように宇宙は呟いた。
そして自分の嘘偽りのない心を知る。
桜井さんが好き。
それは、宇宙が初めて真剣に人を好きになった瞬間だった。