由一が六本木の高級会員制ホストクラブ『アクア』で働くようになってから、約三週間が過ぎようとしていた。
真琴は、あんな破廉恥な姿を由一に見られてからも、変わらず優しく親身になって接してくれた。そして由一も、あれから何度か特別室で藤堂と真琴のセックスシーンを見ることになったが、今ではあまり気にならなくなっていた。
まぁ、相変わらず、一人で勝手に想像してイッてしまっていたが、後の処理は手慣れたものになっていた。
高級ホストクラブ『アクア』では、客とホストが身体の関係を持つことは厳しく禁じられている。
だが、その条件は真琴にだけには適用されてはいなかった。
特別室は、実は真琴と藤堂のために用意されており、藤堂は時間が空いた時にはアクアに来ては真琴とのセックスを楽しんでいたのだ。
このアクアの実質的なオーナーは藤堂であり、藤堂の言うことがすべてであった。
そんな藤堂の情夫である真琴から、今夜は特別なお客様がいらっしゃるから失礼のないようにという電話が店に入る。
由一は真琴に用意してもらった白いシルクのシャツと黒いスラックス、それにグッチの革靴を履いて、特別室の準備を整えていた。
予約が入っている特別な客以外はこの一室には通さないのが、アクアだった。
きっと、藤堂組の関係者でものすごい実力者なのだろうと想像しながら、由一はせっせとソファを拭き、テーブルをセットした。
「今夜は、由一君もヘルプで入ってくれる?」
真琴は、真っ赤な薔薇の花束を両腕に抱えるようにして特別室に入って来た。
真琴の今日のスーツは、オートクチュールの濃紺のシングルスーツだった。
白いドレスシャツと紺色の水玉のネクタイがとても清々しくて、真琴によく似合っている。
「でも・・・私はまだ・・・」
「いいから、入って。いいね?」
真琴は半ば強制的にそう言って、薔薇をホストの一人に渡す。
薔薇の花束は、真琴の熱烈なファンの人からの贈り物だった。
いつも華やかさと美しさに囲まれている真琴を見ていると、羨望のため息が出てくる。
「おい、新入り。真琴様に憧れてもだめだぞ。あの人は特別なんだから」
「特別・・・ですか?」
「そう、特別な人。あんな人は二人といないよ。だから、藤堂組長の情夫でいられるんだ」
「情夫で・・・い・ら・れ・る?」
由一は、横にいたホストの言葉に思わず眉間に皺を寄せた。
情夫でいられるというのは、とても不思議な言い方に思えたのだ。
ヤクザの情夫とは、人から羨ましがられるものなのだろうか?
藤堂クラスのヤクザだったらそうなのかもしれないが。
じゃあ、堂本さんは?
堂本さんの情夫になりたいと思っている人って、いるんだろうか?
「おいっ、新入り君。真琴様のお客様が見えたようだ。早く特別室に行きなさい」
「は、はいっ」
はっとした由一は、急いで特別室に行く。
すると真琴は一人の男性を案内しているところだった。
「ようこそ、いらっしゃいました。堂本様」
えっ?堂本様?聞いたことがある名前なんだけど?
と、由一は不思議そうな顔で男性の顔を見つめる。
男性の顔には見たことのあるひどい傷があり、右目が閉じたままの状態だった。
「ど、ど、堂本さんっ!?」
驚いたことに、目の前に立っているのはあの、堂本だった。
どうして堂本さんがここに?
顔面蒼白の由一が、助けを求めるように真琴を見つめる。
だが真琴はいつもの穏やかで冷静な顔をしたまま、特別室に堂本を案内した。
「お飲み物は何になさいますか・・・?」
「ウイスキーを、ダブルで」
「はい、かしこまりました」
と、注文を聞いた真琴が目配せをする。
すると突っ立ったまま口をあんぐりと開けていた由一は、慌ててウイスキーのダブルをホストの一人に注文した。
「では、私たちはこれで失礼します」
真琴は、堂本をソファの中央に座らせると、そう言って席を立つ。
「あとはこの者がお世話いたしますので、よろしくお願いします」
真琴は、由一を指し示してニッコリと言う。
堂本は口元を少し緩めて、軽く頷いた。
「あ、あの・・・真琴様・・・」
何がなんだかまったく分からない。
私が堂本さんのお世話って・・・そんなの聞いていないっ。
それに何よりも、そんな大役が私に務まるわけがないじゃないか!?
ど、どうしたらいいんだろうか?
「それでは。何かございましたらお呼びください」
真琴はそう言ってホストたちを下がらせ、ドアを閉めてしまう。
由一は堂本と二人きりで特別室という豪華絢爛な部屋に残され、卒倒してしまいそうだった。
「・・・・・元気そうだな?」
青ざめている由一を、堂本はじっと見つめたまま優しく言った。
逃げたこと、きっと怒っている。このまま殺されるかもしれないと思っていた由一には、救いの言葉だった。
「・・・・・堂本さんも・・・」
と、由一は相変わらず美麗さと醜さが隣り合っている堂本の顔を懐かしそうに見つめた。
なんだろう。
あんなに怖いと思っていたのに、堂本の顔を見たとたんホッとして、心がキュンッとなってしまうのだ。
「突っ立っていないで、こっちに来て座れ」
堂本はそう言って、ポンッとソファを叩いた。
由一は一瞬迷ったが、言われた通りに横に座った。
すると堂本がいきなり手を伸ばし、由一の細い顎を掴み、グイッと引き寄せる。
このシチュエーションは、とて久しぶりのように思えた。
胸がドキドキと高鳴っていて、今にも聞こえてしまいそうである。
「・・・捜したんだぞ、由一」
「ご、ごめんなさいっ」
由一はやっぱり怒っていると思いながら、どうして座ってしまったのかと後悔した。
堂本を裏切ってしまった自分は、このまま首を絞められて殺されてしまっても文句は言えないからだ。
だが堂本は、由一の想像とは違う行動をした。
キスをしてきたのだ。
それも、息が止まるくらい激しいキスを。
「・・・・・ん・・・んんっ」
由一はいきなり抱き締められ、身動きひとつできなかった。
堂本の舌が口の中に入り込み、由一の舌を搦め捕っては吸い上げていく。
巧みで激しいディープキスは、とても長い時間続いていた。
「・・・由一・・・。戻ってこい」
どれくらい時間が経ったのか、由一はいつの間にかソファの背もたれに寄りかかり、グッタリとしていた。
今のキスで身体中から力が抜けてしまい、頭の中はフニャフニャである。
それにずっと堂本にキスされたいと、心の中で願望として思っていたので、余計に感じてしまっていた。
藤堂と真琴のセックスシーンを見たことによって、由一の中の何かが変わりつつあった。
心がとても柔軟になったというか、ヤクザに対する認識が変わったというか。
はっきりしているのは、堂本を嫌いじゃないというとだった。
そしてこうしてキスをされることは、とても好きだし気持ちがいいということだった。
「堂本さん・・・ 」
「どうしてお前が藤堂四代目の情夫と関わりがあるのか知らないが、俺が話をつける。だから戻ってこい。もう・・・以前のように一人きりで監禁するようなことはしない・・・。だから・・・戻ってこい」
堂本はとても優しく言いながら、由一の耳たぶを噛んだ。
由一は小さな声で喘ぎながら、キュッと目を瞑った。
初めは怖くてしょうがなかった堂本なのに。
こうしてキスをされてから触られると、身体中に血が駆け巡り、下半身が熱くなっていくのだ。
ヤクザにキスをされて興奮してしまうなんて、なんて破廉恥でいやらしいんだろうと思った最初の考えは、とうの昔になくなっていた。
今は、堂本に求められる自分の身体がちょっとだけ誇らしくて、堪らなく愛しい。
「・・・・・でも・・・あっ・・・」
由一は、わざと考えるふうな素振りを見せる。
すると堂本は、由一のシャツのボタンを外し、ベルトにも手を掛けた。
真琴は、藤堂を愛しているのだ。
それも中途半端な愛情じゃなくて、一緒に死んでもいいと思える位、激しく強く藤堂を愛している。
だからこんなにも淫らに大胆になれるのだ。
由一はそのことに気づいた時には、もうその場に立っていられないくらい感じてしまった。
足がガクガクとして、今にも崩れてしまいそうである。
しかも、下半身がトクントクンッと激しく脈を打っていて、少しでも触ったらこのまま果ててしまいそうだった。
「あぁぁぁ・・・・・」
ひときわ大きな声で、真琴は喘いだ。
真琴の股間を弄っていた藤堂の指が、蕾に挿入されたためであった。
だがよく見ると、藤堂の指は挿入しただけではなく、中で何かを探しているようだった。
「あっ・・・藤堂さんっ・・・」
「まだ入れていたのか?いい子だな・・・真琴」
「藤堂さんの命令だから・・・」
「我慢できた御褒美は・・・何がいい?」
二人の会話は、下手なエッチビデオを見るよりも、由一の下半身にズンッときていた。
それに藤堂がゆっくりと真琴の蕾から取り出したものを見て、由一はますます目を丸くした。
真琴の中には、真珠のネックレスが入っていたのだ。
真珠の玉を一つ掴みそれを引き出すと、ズルズルと蕾から真珠のネックレスが出てくる。
「あっ・・・あっ・・・ああーん・・・・・」
一粒ずつ出していくと、真琴は今までとは違った音色の声で喘ぎ出す。
その声は、由一の身体を震わせ、そして思わずイッてしまいそうなくらい色っぽかった。
真珠を取り出すと、藤堂はスラックスのファスナーを下げ、真琴に膝の上にのるように命令する。すっかり感じまくっている真琴は、肩で大きく息をしながらゆっくりと藤堂の股間を開き跨ぎ、そして腰を落としていく。
「あっ・・・ああっーーーーーーっ」
藤堂の分身は、まるで大蛇のようだと由一は思った。
頭の部分が張った大蛇が、鎌首を擡げて真琴の白いお尻の中に入っていく。
そんな光景を目の当たりにした由一は、ついにこらえ切れなくなって下着をつけたままイッてしまった。
そしてイッた瞬間は、なぜか顔の右側にひどい傷がある堂本を思い出す。
堂本の愛撫も、とても巧みでうまかった。
キスだって蕩けるように甘くて、頭の中が真っ白になるくらいステキで、あのまま今の真琴のように淫らなことをされてもいいと思ったぐらいなのだ。
ああっ。
堂本さんに会いたいっ。
堂本さんにキスされたい。
由一は、床にペタッと腰を下ろし、濡れてしまった下着の感触を感じながら、心の中でそう思っていた。
一瞬正気に返り、どうして堂本のような男のことなんかっ・・・と思ってみたが、身体の欲望には勝てなかった。
下半身がどんどん淫らに疼いてしまう。
それに、考えれば考えるほど、どういうわけか堂本を憎めないのだ。
借金の形で監禁されたが、ひどい扱いを受けているわけではなかった。
普通ヤクザといえばもっと荒らしく暴力的で、気に入らないことがあればいつも愛人とかをぶん殴っているようなイメージしかなかったのだが、堂本は違っていた。
暴力をふるわれたことは一度もない。
引っ掻いて傷つけてしまった時だって、殴ったりされなかった。
高層マンションにたった一人で監禁されてはいたが、住んでいたマンションや食べ物、そして衣服に至っても、何もかも普段は望んでも手に入らないようなものばかり与えてくれたのだ。
野球の開幕戦を見に連れていってくれたのだって、絶対逃げないと約束したから連れていってくれたのだ。
もしかしたら、堂本は堂本なりに、最大限の愛情を示してくれていたのではないだろうか?
愛しているという言葉は一度も聞いていないし、出会ってまだ間もないが、もしかしたら堂本は真剣に由一を愛してくれているのではないだろうか?
由一は、床に座ったままいろいろなことを考えていた。
目の前では、背中を向けた真琴が大胆な格好で藤堂の膝に跨がり、激しく上下に動いている。
ぬるぬると光を放ちながら、真琴の中に入っていく大蛇を見つめて由一は思った。
なんて淫靡で美しい光景なんだろうかと。
藤堂と真琴の激しいセックスシーンをこうして見ていても、まったく嫌な気がしないことを不思議に思いながら、由一は心のどこかで真琴に憧れていた。
あんなふうに、自分も誰かに激しく愛されたいと。
堂本に、激しく愛されてみたいと。
男同士なんて、破廉恥とかいやらしいとか最初はそう思って毛嫌いしていたけど、そうじゃない愛する者と愛される者。
その二人が激しく愛情を確かめ合っている。
ただ、それだけなのだ。
普通の男女と何も変わらない。
いや、もっと深くて強いのだ、藤堂と真琴の結びつきは。
「あっ・・・あぁっ・・・藤堂さんっ・・・」
真琴が切なげな表情を見せて、藤堂の名を呼ぶ。
真琴の蕾の中には藤堂の大蛇が根元まで入り込んでいて、真琴をもっともっと淫らで妖艶な情夫に変えていく。
由一は、高価なペルシャ絨毯が敷き詰められた床に座っていたが、何かに堪え切れなくなったように、特別室のドアまでよろよろとよろめきながら歩いていった。
そして静かにドアを開け、外に出て行く。
「あぁぁぁーーーーーーっイッちゃう!」
藤堂が下から突き上げるように腰を揺らすと、真琴の喘ぎ声に、いっそう艶やかさが増していく。
由一はその声にドキンッと胸を高鳴らせながら、ドアを閉めた。
驚いたことにドアを閉めてしまうと、廊下にはまったく真琴の喘ぎ声は聞こえてこなかった。
防音効果のある設計になっているのだろうが、由一はちょっとだけそのことが残念だった。
だが、正気に戻って自分の下着の中がひどいことになっていると気づき、慌てて周りを見渡す。
さっき真琴が犯されているのを見ながら、勝手にイッてしまったのだった。
「・・・・・着替えなきゃ・・・」
由一は呟くようにそう言うと、困惑したように下半身に視線を落とした。
真琴の声を聞いただけで、まるで自分が愛撫されているような錯覚に捕らわれてしまうなんて。
しかも自分が想像した相手が、あの堂本だなんて・・・・・。
由一は、ロッカールームに入ってからも、しばらく呆然として立ち尽くしたままだった。
「どうしたの?」
そんな由一に、このアクアのナンバー2『聖一』が声をかける。
「特別室で、何かあった?」
心配そうに聖一が尋ねると、由一ははっとして現実に意識を戻した。
今また、堂本にキスをされ、押し倒されて愛撫されたことを思い出していたのだ。
「あっ・・・いえっ。なんでもありません」
と、由一が真っ赤な顔で慌てふためきながら言うと、聖一は整った甘いマスクでふふっと笑った。
「君はラッキーだよ、由一。あの特別室に真琴様と一緒に入れたんだから。しかも藤堂四代目に顔まで見知ってもらって・・・。由一はいったい何者なんだ?」
「いえ、私は別に・・・」
「隠さなくてもいいよ。きっとどこかの力のある人の情夫なんだろうけど、でもラッキーだよな。真琴様に目を掛けてもらえるんだから・・・」
真琴は、どうやらこの店のホストたちから羨望の眼差しで見られているようだった。
日本最大の暴力団組織、藤堂組四代目、藤堂弘也の情夫。
その事実が真琴の評価をいっそう上げたのは事実だったが、真琴の人気の秘密はやはりあの天使のような美しさと心の温かさだった。
アクアのホストたちは、そんな真琴に心底惚れているのだ。
「まぁ、頑張れよ。ここには他人の人気を羨んだり邪魔をしたりする了見の狭い、つまりレベルが低いってことだけど、そういうホストはいないから安心して」
「あ・・・はい」
紺地に白いストライプ柄のスーツを着ている聖一は、それだけ言うと、ロッカールームから出て行く。
由一はやっと一人になると、周りを見渡してからスラックスを脱ぎ始めた。
飛沫が付着している下着なんて、早く脱いでしまいたい。
由一は急いで着替えると、もう一度ネクタイを締め直した。
鏡の中の由一は、まだ赤い顔をしている。
「・・・どうして堂本さんのことなんか思い出しちゃうんだろう・・・。あの人は怖くて・・・無理やり私を攫った人で、大切にしてくれるのは最初だけで、飽きたらきっとどっかに売っちゃうような、非道なヤクザなんだから。藤堂さんのようなヤクザとは違うんだから・・・」
由一は独り言のようにそう呟いて、自分の心を否定しようとしたが、また堂本にキスされた時のことを思い出してしまう。
そのたびに由一の頬は熱くなり、胸はドキンッと激しく高鳴ったが、それがどうしてなのか由一には分からなかった。
「・・・・・でも・・・キスはうまかったかも・・・。とってもステキだった・・・・・」
由一はそう呟きながら、指先で唇をなぞってみた。
「堂本さん・・・」
由一の頭の中には、藤堂と真琴の濃厚なセックスシーンではなく、顔の右側に傷がある堂本の顔だけが浮かんでいた。
由一がアクアでヘルプとして働くようになってから、三日が過ぎた。
まだまだ慣れないことばかりで戸惑っている由一だが、一生懸命さは誰にも負けていなかった。
どんな嫌な仕事でも一生懸命にやる由一のことを、真琴はとても高評価していた。
そんなある日、藤堂がアクアにやって来た。
「・・・この男が・・・堂本の?」
最初に由一を見た藤堂は、そう言って真琴に聞いた。
由一は、威圧感のある藤堂に見つめられたまま、まったく動けなかった。
全身の毛が逆立つような、こんな凄みのあるヤクザに出会ったのは、初めてだったのだ。
堂本も怖いという印象があったが、ダブルスーツをビシッと格好よく決めている目の前の藤堂弘也には、堂本以上の迫力があった。
心臓を射抜くような鋭い眼差しと低くドスの利いた声。
髪は黒くオールバックで、しかもめちゃくちゃいい男である。
藤堂の周りを囲んでいるヤクザたちも、誰も彼もがつわもの揃いのようだった。
普通のヤクザじゃないのだ。
もっと強くて冷酷で、その上いつも冷静沈着で、いかにも極道といった感じである。
「そんなに苛めないでください。すっかり脅えちゃってます」
真琴は、くすっと笑って藤堂の腕に絡み付いた。
そして一番奥の特別室に案内していく。
真琴は、藤堂とこの部屋に入る時はいつもヘルプは付けないのだが、今夜は特別だった。
真琴には、ある作戦があったのだ。
由一に自分の本当の気持ちに気づいてもらい、うまくこの一件を収める作戦が・・・。
「由一君はここにいてくれる?あとはいいから下がって」
真琴はドアが閉まると、すぐにシルクグレーのスーツを脱ぎ出した。
そしてピンク色のオープンカラーのYシャツのボタンを外し、スラックスも脱いでいく。
「あ、あの・・・?」
由一は初めて入った特別室の豪華さに圧倒される間もなく、真琴の大胆な行動に顔を赤らめた。
急にスーツを脱ぎ出して、どうして裸になるのか分からなかったのだ。
だが真琴は、由一が見ていることなどまったく気にしないで高価なシャツを脱ぎ、下着さえも脱いでいく。
「あのぉ・・・・・真琴様?」
由一は、いよいよ目のやり場に困ってしまった。
藤堂の前で臆することなく、まるでそれが当然であるかのように裸になっていく真琴を、由一は手で顔を隠すようにしながらも、不思議そうに見つめていた。
「真琴・・・どういうつもりだ?」
藤堂もいつもと違う、真琴の大胆な行動を不思議がっている。
「いえ、ちょっと考えがあって。協力してもらえますか?」
真琴は、立ったまま一糸纏わぬ姿になってソファに座っている藤堂に言った。
藤堂は、初めてふふっと優しく笑って、真琴の手首を掴み引き寄せる。
そして自分の膝の上に裸の真琴を横抱きにしてのせると、キス交じりに囁いた。
「・・・まぁ、いい。お前が何を企んでも構わない。こんな大胆で妖艶な真琴が見られるなら・・・」
と、藤堂は激しく真琴の唇を覆っていく。
真琴はあらがうことなくそのディープキスを受け入れると、藤堂のネクタイを取り去っていく。
「あっ・・・ んっ・・・」
そんな二人を見つめ、由一は唖然としていた。
二人の濃密な行為に驚いたということもあったが、もっと由一を驚かせたのは、真琴の身体にあるいくつもの銀色のピアスを見たせいだった。
可愛い左右の乳首に、プラチナのリングピアスがついているのだ。
しかもそのピアスは左右の乳首だけではなく、なんと真琴のそそり立っている分身の先端にもついていた。
「・・・ピ、ピアス?」
由一は、真琴の身体から目が離せなくなっていた。
綺麗とか色っぽいとかそんな生やさしい言葉では言い尽くせないくらい、真琴の裸体は美しく妖艶だった。
余分な脂肪などまったくついていない、引き締まったウエストと細い手足。
肌はどこもかしこも透けるように白くて、乳首と分身だけが朱色に変化していた。
襟足の少し長いサラサラの髪と青い瞳が、まるでこの世の者とは思えないくらい美しく幻想的なのだ。
「あっ・・・藤堂さんっ・・・。こっちも吸って・・・」
真琴は、藤堂にそう言ってもう一つの乳首も吸ってほしいと哀願した。
藤堂は、真琴の哀願した通りに、左側の乳首もピアスごと舐めて、吸っていく。
「あっ・・・いいっ・・・藤堂さんっ・・・」
真琴の喘ぎ声は、由一を一気に赤面させた。
こんなに高貴で天使のように美しい真琴が、愛撫をされて淫らに喘ぎ、破廉恥に腰をくねらせて喜ぶなんて、この目で見てもとても信じられなかった。
真琴がヤクザの情夫だということは知っていた。
だが、身体中の性感帯にピアスをつけて、まるで抱き人形のように喘いでいるなんて・・・。
しかもこうされることを喜んでいる。
こんな卑猥で破廉恥で、エッチで恥ずかしいことをされているのに。
由一はそう思いながらも、藤堂に愛撫され、喘いでいる真琴の淫らな姿から目を逸らすことができなかった。
「あっ・・・藤堂さんっ・・・ いいっ。下の方もしてぇ・・・・・」
乳首への愛撫だけでは我慢できなくなったのか、真琴は自分からキスをせがむようにして妖艶に訴える。そんな真琴に満足したのか、藤堂はふふっと笑いながら真琴の下半身に顔を埋めていった。
ソファの上で自ら両足を広げ、藤堂に愛撫をねだる真琴は、驚いたことに今まで見たどんな真琴よりも魅力的で美しく、そして気高く見えた。
「あぁぁ・・・・・藤堂さん・・・・・」
真琴は、分身の先端を舐められ、ピクンッと下半身を震わせて喘ぐ。
由一は、両手で顔を覆ってはいたが、指の間からしっかりとそんな真琴の色っぽい姿を見つめていた。
じっと息を殺すように見つめていると、自然と身体が熱くなるのが分かる。
しかも、自分の分身までも藤堂に舐められているような錯覚に捕らわれ、感じてしまっていた。
「あぁぁ・・・いいっ・・・ もっと・・・もっと・・・藤堂さ・・・んっ」
真琴の声には、遠慮などなかった。
欲望のまま、どんどん淫らにエッチになっていく。
どうしてこんなに淫らになれるのか、こんなに欲望に素直になれるのか、最初は由一には分からなかった。だが真琴の藤堂を見つめる優しい瞳と、藤堂を呼ぶ優しい声を聞いているうちに、なんとなくだが分かってきた。
由一を捜している堂本の元に、一本の電話が入ったのはその日の真夜中だった。
けたたましく鳴った電話に勇ましく出たヤクザが、とたんに泡を食ったような表情で、堂本にコードレスの受話器を手渡す。
堂本は電話に出ると、すぐにその理由を理解した。
電話の相手はなんと驚いたことに、藤堂四代目である藤堂弘也からのものだった。
自分のところの組長が藤堂組の直系の傘下であるだけに、さすがの堂本もギョッとした。
「藤堂四代目・・・。お久しぶりでございます」
堂本は、なぜ藤堂四代目のような人物が直接自分のところに電話をかけてきたのか、皆目見当もつかなかった。
そう、由一のことを藤堂の口から聞くまでは・・・。
「えっ?由一が・・・四代目のところに・・・?はい、知っています。一度、組長と一緒に行ったことがあります。えっ?由一がアクアで・・・?」
電話で藤堂と話している堂本の表情が、次々と変わっていく。
「・・・はい、分かりました。四代目がそうおっしゃるなら、私になんの不足もありません。分かりました」
堂本は左目を細め、ギギッと奥歯を噛み締めながら返事をして、電話を切った。
「くそっ!由一が藤堂四代目の・・・情夫のところに匿われている」
電話を切るなり、堂本は口惜しそうに言って滝沢を睨んだ。
不動産会社の事務所に戻っていた滝沢は、予想だにしなかった話の展開に、思わず両目を細めた。
「藤堂四代目の情夫というと・・・あの有名なホストクラブ『アクア』の代表取締役社長のことですね?名前は、確か真琴とか・・・」
「一度だけ付き合いで組長と行ったことがある。青い目をしたハーフだったが、それがなぜ由一と繋がっているんだ?それにしばらくアクアで働かせたいと言って来ている。一応承諾はしたが、藤堂四代目はいったい何を考えているんだ?」
社長室にいる堂本は、イライラしたようにそう言って椅子から立ち上がった。
堂本は、表向きは不動産会社を経営している。
いや実際に経営しているのだが、その利益の半分ほどが上納金として組の本部へ流れていた。
堂本が属する組の組長の名は、木城龍之輔といった。
もう七十歳の老人で、最近では脳梗塞のため入退院を繰り返している。
組長とは名ばかりで、木城組の真の実力者は、実は力と金のある堂本だった。
堂本は幹部筆頭で、次の組長候補ナンバーワンなのだ。
組長が交替したら、自分も当然藤堂組の傘下に収まることになる。
藤堂四代目とは、できるなら事を構えたくない。
暴力団としての権力も富も雲泥の差があり、今藤堂と争っても、デメリットばかりで何一つとしてメリットがないからだ。
それどころか、こっちの身が危うくなる。
知恵と知識のある堂本は、そこのところを読み違えるような浅はかな男ではなかった。
だが、由一が藤堂の情夫のところにいたのではどうしても手が出せないのも事実である。
堂本はしばらく考えてから、滝沢に言った。
「・・・捕らえた大学生たちを解放しろ。由一をおびき寄せる餌にしようと思ったが、仕方がない。何も喋らせるなよ」
「分かりました」
少しだけ不満げな滝沢の返事だったが、堂本は構わず言葉を続けた。
「・・・それと、アクアに予約を入れておけ。一度、そこの社長様とゆっくり話をした方がよさそうだ」
「・・・はい」
堂本は、ため息交じりに椅子に座り、何かを考え込むように深く瞼を閉じていった。
「それは、困ったことになったね?」
個室に案内した後、大体の話を聞き終えた真琴は、深いため息とともにそう言った。
「や、やっぱりそう思いますか?」
由一はやっと人に話すことができた安堵感と同時に、多大な不安も抱いていた。
ダージリンティを飲み、少し落ち着きを取り戻した由一は、心配そうに真琴の綺麗な顔を見つめた。
青い瞳がこんなにも綺麗だなんて。
由一は真琴の顔を間近で見たときに、素直にそう思っていた。
「私が困ったと言ったのは、由一君が一般人を巻き込んでしまったことに対してです」
由一が、はっとした顔をして真琴を見つめる。
一般人って言った。
ということは、やっぱりこの人もヤクザと関係がある人なんだろうか?
でもこんなにも美麗で心までも美しいのにヤクザと関係があるなんて、とても信じられない。
「・・・一つ聞いてもいいですか?」
じっと真琴の顔を見つめている由一に、真琴は微笑みながら聞いた。
「はいっ。なんでも・・・」
「由一君は・・・堂本さんをどう思っているの?好き?それとも嫌い?」
真琴の質問は、由一をあんぐりとさせてしまうくらい突拍子もないものだった。
「あのね、由一君。正直に答えてほしいんだけど。君の正直な気持ちが、今回の一件で最も重要なことだから・・・」
と、真琴がまた微笑んで言う。
由一はその笑顔の清々しさに一瞬見とれてしまったが、すぐに我に返った。
最も重要なことってどういうことなんだろうか。
由一は堂本を好きか嫌いかと尋ねられて、初めて堂本のことを真剣に考えた。
そんなの、嫌いに決まっている。
なぜなら、堂本は借金の形だとか言って無理やりに自分を攫い、あのマンションに監禁した男なのだ。
あんなひどい目に遭わされて、いきなりキスされて、車の中で愛撫されて、あんな冷酷非道な男、好きなわけないじゃないか。
好きなわけ・・・・・・。
「・・・・・」
「どうしたの?答えが見つからない?」
真琴の言葉に、由一ははっとして青い瞳と視線を合わせた。
嫌いなはずなのに、嫌いだって言えないのだ。
あんな男って思っているのに、どうしても心からそう思えない。
それどころか、車の中でキスされたり愛撫されたりしたことを思い出すと、自然と身体が熱くなって下半身が疼いてしまうのだ。
それに、キスされた唇の感触がまだ生々しく残っている。
「・・・・・嫌い・・・じゃないかもしれない・・・です。どうしてか分からないけど・・・あんなひどい仕打ちをされたのにどうしてなのか分からないけど、嫌いじゃないです。たぶん・・・」
由一は、心が訴えているままの正直な気持ちを真琴に伝えた。
真琴は、ニッコリと笑う。
「そう、よかった。それなら私にも打つ手はあるから」
「えっ?」
「とにかく、私と出会ったのも何かの運命だから。この件は私に任せてくれる?もちろん、悪いようにはしないって誓うから」
真琴は、ニッコリと天使のような微笑みを見せつけながら由一に言う。
由一はその笑顔が噓偽りを言っているようには思えなかった。
すぐに『はい』と返事をして頷く。
「真琴様に・・・すべてお任せします」
「真琴でいいよ」
と、真琴は言ったが、由一は聞かなかった。
こんな悲惨な状況の自分を救ってくれる人を、呼び捨てになんてできない。
せめて様をつけさせてほしい、と由一は訴えた。
真琴が仕方がないというような顔をして、折れてくれる。
「由一君はその件が片付くまで、しばらくここで働くっていうのはどうかな?今、ホストのヘルプを募集しているところだからちょうどいい。お給料は結構いいと思うよ。ここはアクアっていってね、会員制のホストクラブなんだけど、嫌かな?」
どういうわけか、すっかり信用してしまっている真琴の言葉に、由一が逆らえるはずもない。
由一はすぐに『働きますっ』と答えていた。
真琴はそんな由一を見て、またしても優しい天使の笑顔を向けていた。
その頃由一は、六本木辺りをうろついていた。
大学生からもらったダブダブのシャツの裾で、堂本が用意してくれたコットンパンツを隠すように身を屈めて歩いている由一は、生きた心地がしなかった。
洒落た革のスニーカーを履いたままではバレてしまうのでは?と思ったが、さすがに靴の替えまではなかった。
シャツを借り、酔っぱらいのふりをして大学生たちに抱えられるようにトイレを出た由一は、無事に東京ドームから脱出できたことを奇跡のように感じていた。
なんの事情も知らないで、由一の言った通りにしてくれたあの親切な大学生たちのことを心配しながらも、由一は華やかな街頭が灯っている夜の六本木の街中を、一人でさ迷っていた。
小学校の時に母親が病死してからというもの、施設で育った由一には、帰る家などなかった。
由一は、いくらでもいいからお金がないかとポケットを探ってみる。
だが案の定、一円も入っていなかった。
由一が連れ去られた時に持っていた荷物はすべて、あのマンションに入った時に処分されてしまったのだ。
お金もないし、帰るところもない。
おまけに今はヤクザたちに追われていて、もうどうしていいのか分からなかった。
「どうしたらいいんだろう・・・」
由一は力なく呟きながら、賑やかな表通りから少し奥に入った暗い路地裏でしゃがみこんでしまった。今頃、きっと堂本は烈火の如く怒り狂っているに違いない。
そう考えると、どうして逃げ出してしまったのかと今さらながらに後悔した。だがもう、逃げ出してしまったのだからどうしようもない。
由一は、絶望感に苛まれながら、しばらく呆然としたまま表通りを見つめていた。
華やかな六本木の街頭の中でも、ひときわ目立つブルーのイルミネーションが目についた。
巨大ビルの地下に続いているその店の入り口は、一見高級ブティックのような豪華な店構えをしていた。
入り口の壁には『アクア』とだけ書かれている。
会員制の特別な高級クラブなのか、ドアマンらしき身なりのきちんとした男たちが、引き締まった顔で左右に立っていた。
そんなひときわ人目を引くアクアの前に、見たこともない一台の高級車が横付けされ、後部座席から一人の男性が降りてきた。
由一は半分放心状態で見つめていたが、降りて来た男性を見たとたん、パーッと頭の中の不安が吹き飛んでしまった。
白いスーツを上品に着こなしていて、まるで英国紳士のような高貴さを漂わせている美しい青年だったのだ。
由一は、思わず息をのんで自分とは大して歳も違わないその青年の姿をジッと見つめた。高貴なだけじゃない。純粋さや可憐さも全身の雰囲気から溢れている。
しかも、目が青い?
由一は堪らずに路地裏から出て、青年がドアマンと話している場所までフラフラと近寄っていった。
すると、どこからか数人の黒いスーツ姿の男たちがやってきて、由一の前に立ち塞がった。
「誰だ、お前は?」
男は、堂本ところで見たヤクザと同じような、怖い雰囲気を漂わせていた。
まさか、この人って・・・・・。
「あ、あの・・・」
「真琴様に何か用か?」
夜だというのにサングラス掛けている男は、強い口調でそう言って由一に詰め寄る。
由一の裾をだらしなく出している格好は夜の六本木に相応しくなかった。
どこかの浮浪者と間違えられたのだ。
「私は・・・その・・・」
由一が口ごもっていると、真琴と呼ばれた青年が怖い男たちの後ろから声をかけてくれた。
「私に、何か用ですか?」
「いえ・・・用っていうか・・・ その・・・つい・・・・・」
由一は何から話していいのか、自分が何を言っているのか全く分からなくなってしまっていた。
いろいろありすぎて、頭の中が混乱していて、どう整理していいのか分からないのだ。
「私・・・どうしていいのか分からなくて・・・。もう・・・もう・・・ううっ・・・」
由一は、ついに泣き出してしまった。
ずっと堪えていた涙が、真琴の神々しい姿を見たとたん一気に噴き出してしまった。そんな感じだった。
サングラスを掛けた真琴のボディガードたちは、そんな由一を見て敵意がないと察したのか、ゆっくりと遠ざかった。
代わりに、真琴が由一の側に近づく。
「何か訳があるんですね?よかったら私に話してみませんか?」
真琴の凜としていて穏やかで優しい声は、天使の囁きのように聞こえた。
由一は真琴が差し出した手に縋り付くように、手を伸ばす。
「ここは私の店なんです。中で話を聞きましょう」
由一は真琴に言われるままに、アクアの中に入っていく。
どうして由一が真琴と出会ったのか、これも運命の一つだと知るのに、そう時間はかからなかった。
「それにしても遅いな・・・」
「何やっているんだ、いったい?」
トイレの入り口辺りでずっと待っていた二人のヤクザたちは、イライラしながらトイレの中に入って来た。
男子トイレの中は、小さな子供の親子連れがいるだけでガランとして、他には誰もいない。
もう試合が始まっているせいか、観衆は球場の方に行っていた。
「・・・・・あいつどこだ?」
「いない!」
ヤクザたちは血相を変えて広いトイレの中を隅々まで捜し回る。
だが由一の姿はどこにも見当たらなかった。
「まさか・・・・・」
ヤクザたちは顔を見合わせ、とたんに顔を青くして引きつらせる。
「まさか・・・逃げたんじゃ・・・」
「だけどどうやって逃げるんだ?このトイレには窓もないし、出入り口は俺たちが見張っていたあそこだけだ。あいつが入ってから出て行ったのは、中年の男と酔っぱらいを抱えた数人の大学生だけだろう?」
と、ペイズリー柄のネクタイをしているヤクザが考え込みながら言うと、ゴミ箱をあさっていたもう一人があっと大声を上げた。
行ってみると、ゴミ箱の中には、さっきまで由一が着ていた白いコットンのシャツが丸めて捨ててあるのだ。
「服を脱いでどこへ行ったんだ?」
「あっ!まさかさっきの大学生の酔っ払い!?」
「そうだっ!抱えられて連れていかれたのがきっとそうだ。大学生から服を借りたんだ。そして酔っぱらいのふりをして俺たちの目を遣りすごしたっ」
「くっそぉぉ・・・!」
ヤクザたちはものすごい形相で叫ぶと、急いでトイレから飛び出し、通路を行き交う人たちを押しのけるようにして野球を観戦している堂本の元に走った。
話を聞いた堂本の顔が、見る見るうちに不機嫌になり、いつもは隠している凶暴性を剥き出しにしていく。
「・・・逃げただと?確かなのか?」
「はいっ!捜したんですが、どこにもいませんっ」
「すみませんっ!」
と二人のヤクザが頭を深々と下げるが、堂本の怒りは収まらなかった。
それどころか、一気に加速していく。
「おのれらーーーーっ!」
堂本は、頭を下げている二人の顔面を蹴り上げると、そのまま席を立った。
「・・・・・探せ、探し出せっ!まだこのドームの中にいるはずだっ。なんとしても捜し出せ、俺の前に引きずってこいって!」
「はっ」
堂本の命令を受けたヤクザたちが、一斉に散っていく。
ヤクザたちはそれぞれに携帯を手にすると、他のヤクザたちも応援を要請した。
「由一のヤツ・・・。俺を裏切ったな?」
堂本は、ものすごい形相で通路を歩きながら、ググッと拳を握り締めた。
あれほど逃げないと言っていたのに。
あの誓いはなんだったのだ!
俺から逃げ出すための、一つの手段にすぎなかったというのか?
「裏切ったな、由一」
堂本は奥歯を噛み締めるようにそう呟くと、すぐに近くにいた角刈りの頭の男に向かって叫んだ。
「滝沢っ、由一をここから連れ出したという大学生たちの身元を洗え」
「・・・はい」
「それと・・・・・邪魔したそいつらも俺の前に引きずってこい。いいな、生きたままだ」
堂本に命令された滝沢と呼ばれたヤクザは、堂本の側近の一人だった。
角刈り頭と黒い瞳。それにいつもはまったく無表情な滝沢は、堂本が抱えるヤクザたちの中でも最も冷酷な男だった。
「分かりました」
滝沢は目を細め、一瞬間を置いてから返事をした。
「それと、由一はなるべく傷をつけずに捕らえるんだ。いいな?」
堂本のその言葉に、由一に対する愛情の深さが表れていた。
こんな裏切りや屈辱を受けたら、いつもは問答無用で相手を拷問に掛けているはずなのに。
由一に対しての、この寛容さはどうだろうか。
滝沢はそんな堂本に少し驚いていたが、表情にはあえて出さなかった。
「分かっています」
滝沢はそう返事をすると、数人のヤクザたちを従えて去っていく。
「連絡が入ってます」
一人のヤクザが、そう言って堂本に携帯を渡す。
『試合も見ないでドームから出て行った大学生がいるようです。その中にまじって出たのではないかと・・・』
堂本は、ゲートからの報告を受け、怒りが頂点に達してしまった。
本気で逃げるつもりなのだ。由一は。
しかもまったく関係のない一般人まで巻き込んで。
「この逃亡の代償がどんなものか、たっぷりと教えてやる」
堂本は握り締めていた携帯を壁に打ちつけて粉々にすると、数人のヤクザたちを従えてそのまま駐車場まで歩いていく。
そしてメルセデスベンツに乗り込んだ堂本は、スーツの内ポケットから自分専用の携帯を取り出した。
「私だ。緊急に人を捜してほしい。金に糸目はつけない。ああ、そうだ。詳しいことは滝沢から聞いてくれ」
堂本はひと通り話すと、すぐに切った。
由一が見つかったという滝沢からの報告が来るかもしれないと思ったのだ。
だが堂本の願いとは裏腹に、由一のその後の行方の手掛かりになりそうな報告は、マンションに着くまでの間はまったくなかった。
堂本にしてみたら由一の監禁生活はもう終わりで、今日からは一緒にあのマンションで暮らすつもりだったのだ。
もともと、由一と一緒に暮らすつもりであのマンションを買ったのだ。
そして今夜こそは由一を自分のものにしようと、決めていたのだ。
由一の身体をもっと激しく愛撫して、自身を捩じりこんで、今まで味わったことのない快楽を与え、もう決して自分から離れられないようにしてやろう・・・・・そう思っていたのだ。
だが由一の頭の中では、そんな堂本の考えなどまったく想像もできなかった。
由一は、またあのマンションで一人ぼっちにされるのかと思うと、居ても立ってもいられなかった。
なんとかして、ここから逃げ出さなければ。
あのマンションに連れ戻される前に、逃げるんだ。
由一の頭の中は、逃げることでいっぱいである。
どうやって逃げようか。
由一は、ドキドキしながら辺りを見回した。
見ると、十人ぐらいのヤクザたちが由一と堂本の席を囲んでいて、この場から一歩も動けない状態なのが分かった。
だがここで逃げ出さなきゃ、もう終わりだ。
またあんな寂しい思いをするのは、絶対に嫌だった。
由一はいろいろと考えた。
どうやったらこの場所から動くことができるのか。
そして唯一、由一がこの場所から動いても変に思われないことを思いついた。
「あ、あの・・・。トイレに行きたいんです」
由一は、堂本に向かって思いきって言った。
堂本は一瞬、目つきを鋭くする。
「あの・・・我慢できなくて・・・。どうしてもトイレに行きたいんですっ」
由一は必死の顔で堂本に訴えた。
堂本は少し考えているようだったが、由一があまりにも真剣な眼差しで訴えているものだから、ふと気を許してしまった。
「誰か・・・ついていけ」
「はい」
堂本の後ろに座っていた二人のヤクザが、立ち上がる。
そして由一の腕を掴み、通路に出て階段を上っていく。
由一はチラッと堂本を振り返ってみた。
堂本は、ついに始まった試合に気を取られている。
由一はチャンスだと、内心思っていた。
だが、体格の良いヤクザが二人も監視についてきたことは計算外だった。
一人ならなんとか振り切って逃げることもできるが、体格の差を考えても相手が二人となるとそれは難しかった。
ではどうするか。
由一は考えがまとまらないうちに、男子トイレの前に連れていかれた。
「早くしろ。俺たちも試合が見たいんだ」
「ここで見張っているからな」
ダークなワインカラーのネクタイを締めたヤクザと、真っ赤なペイズリー柄のネクタイを締めたヤクザが言う。
二人とも同じようなグレーのスーツを着ていたが、堂本が来ているオートクチュールのスーツとはまったく雰囲気が違っていた。
由一はふとそんなことを思って二人を見たが、そんな場合ではなかった。
なんとかしてこの球場から逃げ出さないといけないのだ。
男子トイレの中は、広くて綺麗だった。
中には数人の大学生と中年の男子と、親子連れが一組いるだけだった。
由一は個室には入らず、どうしようかと、ウロウロとして歩き回った。
窓から逃げるという手も考えたが、窓が一つもないのだ。
トイレの出入り口は、たった一つだけだった。
「ああ、どうしようっ。このままじゃ捕まってしまう。またあのマンションに監禁なんて、絶対にいやだっ」
由一は足早に歩き回ってそう呟いた。
するとそんな由一が気になったのか、大学生の一人が声を掛ける。
「どうか・・・したの?」
少し茶髪の頭をしている、一見サーファー風の大学生は、由一のまるでモデルのように洗練されているファッションスタイルがとても気に入って、声を掛けたのだ。
それに顔を見ると、男にしておくには惜しいほど綺麗である。
これはもしかしたら芸能人か?
大学生たちは、一斉に由一の周りに集まった。
「えっ?」
「何か困ってるようだけど、どーしたの?」
と、野球帽をかぶっている一人の大学生が聞く。
由一は、目の前の大学生が着ている赤いTシャツと鹿の子のシャツに目を留めた。
上に着ているシャツを一枚脱いでも、全然分からない。
これだっ!これしかないっ。
「あの、お願いしたいことがあるんですが・・・」
由一は、大学生に近づいてそう言った。
由一が嬉しそうにしている姿を見ると、なぜか自分も嬉しくなってしまうのだ。
堂本は三十三年間生きてきて、こんなことは初めてだった。
「行くぞ」
「はい」
「だが、決して逃げるなよ?もし逃げたら・・・俺は地球の裏側まで追っていく。俺はそういう男だ。忘れるな?」
堂本の言葉は、偽りや脅しじゃないと由一は直感的に思った。
顔の右半分のひどい傷痕が、本気だと告げている。
由一はゴクリと唾液を飲み込みながら、大きく頷いた。
正直、逃げようとか、そんな考えは由一の頭の中にはなかったのだ。
今は一刻でも早く、このマンションから出たかった。
堂本は、由一の柔順さに大いに満足しながら、先に玄関から外に出た。
初めて見る玄関から外の景色は、由一の想像とはだいぶ違っていた。
玄関の外には巨大な円形のホールがあって、そこには窓もなく、エレベーターが一つあるだけだった。
堂本は由一の腕を引っ張るように、数人のヤクザたちとエレベーターに乗り込む。
そしてB2のボタンを押す。
高速エレベーターは、赤い点滅を光らせながら見る見るうちに下降していった。
エレベーターに乗って初めて分かったのだが、由一が監禁されていた階は、最上階の50階だった。
これでは、車がミニカーに見えるはずである。
「地下に降りたらそのまま待っている車に乗れ。お前は常に俺の側にいろ、いいな?」
「・・・はい」
小さく返事をして頷いていた由一は、堂本に腕を掴まれていた。
だが不思議なことに、全然嫌じゃなかった。
それどころか、こうしてしっかりと捕まえていてくれた方が、不安で寂しかった心が癒されていく、そんな感じだった。
初めにここに連れてこられた時とは明らかに、堂本に対する由一の見方は変わっていた。
地下の駐車場に着くと、由一はブリリアントシルバーのメルセデスベンツS600Lの後部座席に座るように言われ、そのまま命令に従った。
メルセデスベンツなんて高級車は、見たことはあるが乗ったことなんてない。
由一は、いろいろな意味で少しドキドキしていた。
「あの・・・どこに行くんですか?」
由一が、車の外の景色を目で追いながら堂本に聞いた。
「・・・ 野球は好きか?」
「えっ?」
不意にそう尋ねられた由一は、驚いたように堂本の顔に視線を合わせた。
由一は堂本の左側に座っているので、ひどい傷痕が見えない。
堂本の端正で男らしい横顔だけが、由一の目に映っていた。
「野球・・・ですか?」
「今夜は東京ドームで開幕戦がある。それを見せに連れてってやる」
「東京ドーム・・・で・・・野球?」
「見たくないなら、マンションに戻ってもいいんだぞ?」
「い、いいえっ。私っ、野球好きです。だから見ますっ」
由一はすぐにそう返事をして、堂本の横顔を見つめた。
こうして見つめていると、堂本は本当に美形なのだと分かる。
あの傷がなかったら、きっとものすごい男前なのに。
そんな由一の考えが分かったのか、堂本は由一の方を向いた。
すると、ひどい傷痕が残っている右半分の顔も見えて、由一は無意識のうちに身体を遠ざけてしまう。
「この顔の傷が、そんなに嫌か?」
堂本が由一の首に手を回し、グイッと顔を近づける。
片目が完全に塞がってしまっているの堂本の顔が、由一の頬に触れる。
「ヤクザはな、顔にこれだけの傷があるとハクがつくんだ。それに、一度見たら忘れられない。そうだろう・・・?」
「は、はい」
由一は小さな声で返事をしたまま、動かずにじっとしていた。
堂本のねっとりとした舌が由一の頬を舐め、耳たぶを噛み、そのまま首筋を這っていく。
白いコットンのシャツの胸元は大きく開いているので、堂本が首筋を愛撫するのは容易だった。
それに、由一は何をされてもピクリとも動かない。
堂本はそんな由一の態度が気に入ったのか、身体を抱き寄せて激しく唇を覆った。
「んっ・・・くぅ・・・・・」
噎せるような激しいディープキス。
まるで由一のすべてを食い尽くすようなキスを受けながら、由一はさまざまなことを考えていた。
ここで抵抗したら絶対にいけない。
少しでも抵抗したら、またあのマンションに戻されて、今度こそきっと無人島送りになってしまうかもしれないのだ。
それにどうしてか分からないが、堂本の命令に逆らう気にはなれなかった。
逆らった時の恐怖もある。
だがもっと別の理由があるような気がしていたが、由一は深く考えなかった。
「・・・・・んんっ・・・ はぁ・・・・・」
キスが長く続くと、由一はもっともっと何も考えられなくなっていた。
頭の中が真っ白になってしまって、フニャフニャになってしまって、指さえ動かすことができなくなってしまうのだ。
堂本のディープキスが巧みで濃厚だったせいもあるが、由一の身体が一カ月前のあのキスの味を覚えていたせいもあった。
しかも、どうすればもっと深く舌を絡ませ感じることができるのか、いつの間にか学び理解しているのだ。
驚いたことに由一は、性教育に対してとても優秀な生徒だった。
堂本が教えてくれたことをすぐに自分のものにしてしまうのだ。
「あっ・・・んっ・・・堂本さん・・・だめ・・・」
シャツのボタンを全部外され、乳首も露わになった由一は、教えられたわけではないのにごく自然に堂本の名を口にしていた。
堂本の唇が鎖骨から乳首へと移ったためであったが、愛撫している堂本も由一の色っぽい声には少し驚いていた。
由一は男も女も初めてのはずで、当然愛撫を受けることにも慣れていない。
それなのに、ちょっと愛撫して可愛がっただけで、こうして立派な情夫まがいの喘ぎ声をあげることができるのだ。
堂本は由一の中に眠っていた新たな魅力に触れ、もっと深く心を奪われていた。
なぜこんなにも由一を愛してしまったのか、堂本自身にも分からなかった。
フラワーショップで由一を一目見た瞬間から、堂本は由一に惚れてしまったのだ。
そして、由一のことしか考えられなくなってしまったのだ。
どんなにいい女でも男でも、堂本が望めば思いのままだった。
非情で知られている堂本が、心を揺るがせられ本気で欲しいと思ったのは、由一で二人目だった。
「そろそろ着きますが?」
不意に、助手席に乗っていた男が言った。
堂本は、少し名残惜しそうに由一の乳首から口を離す。
すると、ずっと吸われてプクッラと膨れてしまった乳首は、赤く色づき、すっかり硬くなっていた。
「あんっ・・・」
乳首を離した瞬間、由一がまた声を上げて両目を細めた。
自分でも気づかないうちに声を上げているのだろう、由一には少しの羞恥心も見当たらなかった。
「服を整えろ。まぁ、その格好でも俺はいっこうに構わんがな・・・ふふっ」
堂本は、レザーの背もたれに身体を預け、すっかり上半身を裸にして喘いでいる由一に向かって言う。
すると由一は、そんな自分に初めて気づいたように、真っ赤に上気した顔で恥ずかしげに堂本を見つめて、慌ててシャツのボタンを嵌めていく。
いつの間にこんな恥ずかしい格好にされていたのか、全然気づかなかったのだ。
それにこの無防備さはどうだ。
まるで、堂本に乳首を吸われることを望んでいたかのような破廉恥な格好である。
「し、信じられないっ」
由一はボタンをしっかりと嵌め襟元を締めた。
鎖骨にも乳首の横にも、朱色のキスマークが残っているのだが、由一はそのことにさえ気づいていなかった。
「降りるぞ」
堂本に言われ、由一はそろそろと車から降りた。
そして腕を掴まれたまま、ドーム球場へと入っていく。
席はバックスタンド側で、十人ほどのスペースが空いていた。
堂本は由一とその中央に座り、近くのヤクザに飲み物を買ってくるように言う。
球場内はほぼ満席に近い状態で、もう間もなく始まる開幕戦の熱気と興奮に包まれていた。
「これを飲め」
と、堂本に手渡されたのは紙コップに入った冷たいジンジャーエールだった。
由一は、ちょうど喉が乾いていたので一気に飲み干した。
車の中であんなこともあったし、体温は上昇しっぱなしである。
それにしてもこんなに熱気に溢れている場所に来るのは、久しぶりだった。
ずっと監禁されていたせいか、その熱気や人々の喧噪さえも嬉しく感じてしまう。
それに、バックスタンド席で開幕戦を見るのも初めてのことだった。
「野球を見終わったら、マンションに戻るぞ。十分楽しんでおけ」
堂本は、由一の耳元でそう言った。
とたんに由一の晴れ晴れとした表情が、不安と恐怖に曇ってしまう。
また、高層マンションに戻されるのか!?
今度はどのくらいの間、一人で監禁されるのだろうか?
一カ月?それとも三カ月?
「・・・・・あの・・・」
あのマンションに戻るのだけは嫌だと、由一は言いそうになった。だが寸前のところで言葉をのみ込んだ。
嫌だなんて言ったら、機嫌が悪くなった堂本に今すぐに連れ戻されてしまうような気がしたのだ。
「なんだ?」
と、堂本が片目で由一を見つめる。
由一は慌てて首を横に振ったまま、何も言わなかった。
「マンションに戻るのを楽しみにしていろ」
堂本はそう付け加えて、生ビールを飲み干す。
ずっと一人で閉じ込められていたせいか、最近では人恋しくてしょうがなかった。
それに、まんまとここから逃げ出せたとしても、そこから先はどうなるのだ?
どこに逃げたらいいんだろう?
家はないし、家族もいないし、フラワーショップの白樺にだって行けない。
それに逃げたりしたら、きっと堂本は怒りまくって追いかけてくる。
地の果てまでも追いかけてくるに違いないのだ。
「あ、あの・・・。食べ終わるまでここにいてもらえませんか?」
由一は、部屋を出て行こうとするヤクザたちに向かってそう言った。
不審そうな顔をして、派手なスーツ姿のヤクザたちが振り返る。
「何か・・・企んでるな?」
「そ、そんなことないですっ。ただ・・・話したいだけです。誰でもいいから・・・」
と、由一は切なげな瞳を向けて言った。
それほど、由一は人恋しかった。
人は、無人島では生きていけないのだ。
食糧や衣服、住居があっても、話し相手がいなければやがて気が変になってしまう。
そんな本を読んだことがあったが、由一はそれは本当だと考えるようになっていた。
誰でもいいから、人と接していたいのだ。
たとえ相手が怖いヤクザでもいいから、言葉を交わしたいのだ。
「あの・・・このフランス料理とっても美味しいです」
「・・・・・」
「このサラダなんて、今まで食べたことがないくらい美味しいです。新鮮だし、何よりもドレッシングがいいです」
「・・・・・」
由一が何か話しかけてきても、ヤクザたちは何も言わない。
必要以上に由一と接触することを、堂本から禁じられていたのだ。
だが由一は、このままずっと一人で閉じ込められる生活をあとたった一日でも続けていたら、発狂してしまいそうだった。
生活するには困らない、何もかも揃っている贅沢で豪勢な部屋。
だが由一が今欲しいのものは、話し相手だった。
由一が一生懸命に前菜を食べていると、玄関の辺りが急に騒がしくなった。
「・・・どうだ、様子は?」
その、迫力のある声の持ち主は、堂本だった。
「はい。とてもおとなしいです」
「そうか・・・」
一ヶ月ぶりに見る堂本は、相変わらず顔の右側にひどい傷跡があったが、見たとたん由一の胸の奥がドキンと高鳴った。
唯一、由一をこの状況から救い出すことができる堂本は、由一にとって神様のような存在になっていた。そんな堂本が、やっと来てくれた。
自分に会いに来てくれた。
一人で過ごした一ヶ月の間、もう忘れられてしまったのかもしれないと何度も思っていた。
だが、こうして来てくれた。
それが何よりも嬉しかった。
堂本は、以前出会った時よりもさらに高価そうな紺のダブルスーツを着ていた。
Yシャツとネクタイは、品のいいピンク色で統一している。
洒落たデザインの革靴は、イタリア製だった。
「少しは反省したようだな?それとも、自分の立場がようやく分かったか?ん?」
堂本は、食事をしている由一の側に近寄り、まだ口の中に食べ物が入っていてモグモグとやっている顎をグイッと上に向かせた。
そしてそのまま、チュッと唇に軽くキスをする。
由一は、両手をフォークとナイフで塞がれていたために、以前のように爪で引っ掻くことができなかった。
ナイフを持ったまま暴れたら、さすがに冗談では済まされなくなる。
それに、両手が塞がっていなくても由一はきっと抵抗しなかっただろう。
人との繋がりをまったく絶たれたような生活には、もう少しも耐えられなかったからだ。
もしかしたら、誰もいない離れ小島にでも連れて行かれるかもしれないのだ。由一は、借金の形に売られた自分の運命をすべて受け入れたわけではなかったが、離れ小島に行くこともこれ以上このマンションに一人ぼっちで放っておかれるのも、嫌だった。
「だいぶ、素直になったな?」
堂本は、キスしても抵抗を示さなくなった由一に満足して、ふふっと笑う。
そして今日は余程機嫌がいいのか、由一の髪を指で弄りながら穏やかな表情で言葉を続けた。
「食事を済ませてシャワーを浴びろ。俺が選んだ服を着て、決して逆らわないと約束できるなら、外に連れ出してやってもいいが・・・どうする?」
それは、神様の声のように由一には聞こえた。
由一はフォークとナイフをテーブルに置き、縋るような目つきで堂本を見上げた。
「ほ、本当に?」
「俺の言うことを全部聞けたらの話だ。それと、決して逃げ出さないと誓え」
堂本は、由一の顎を掴んだまま低い声で言う。
由一は、考える間もなく『はいっ、誓いますっ』と答えていた。
あまりにも素直な答えに、堂本が不審そうに左目を細めて眉間に皺を寄せる。
「あっ、あの・・・本当ですっ。絶対に逃げませんっ。言うことも聞きます。食事も食べるしシャワーも浴びるし、服だって堂本さんの好みのものを着ます。だからお願いしますっ。この部屋から連れ出してください。もう一カ月以上も一人きりで、誰とも話をしていないんです。寂しくて寂しくて・・・このままだったら、発狂して死んでしまいますっ」
由一は、必死の形相で堂本の上着の端を掴んで訴えた。
上着の端を掴んだ由一の手が、ブルブルと震えている。
余程このマンションに一人で閉じ込められていたことがつらかったのだろう、茶色い瞳もすっかり潤んでいる。
このまま少しでも突き放したら、今にも大声で泣き出しそうである。
堂本は、一カ月前の気の強い由一とは別人のように素直になったことに、内心とても満足していた。
由一が素直で言うことを聞いていれば、堂本は気分がいいのだ。
この調子なら、今夜のうちに由一を抱ける、と堂本は思った。
堂本は、凶暴な猫のような爪を立てて抵抗する由一を無理に抱いても、愛と優しさに飢えている自分の心が満たされないのはよく分かっていた。
だから堂本は一カ月前のあの時も、せっかく手に入れた由一を抱かなかったのだ。
堂本が欲しているのは由一の身体だけではなく、心も、そして由一の愛情も、すべて手に入れたかったのだ。
由一を初めて見たのは二カ月前。
花束をとても嬉しそうに作る由一の美しさに、堂本は瞬時に心を奪われていた。
心の美しさと純粋さが伝わってくる、由一の優しい笑顔を一目見て、堂本は自分一人だけのものにしたいと思ったのだ。
由一なら、きっと荒んだ心を癒してくれるに違いない。
あの時から、堂本は由一が欲しくて堪らなかったのに、ずっと我慢していたのだ。
それは、今までなんでも自分の思いのままにしてきた堂本にしてみれば、拷問に近かった。
だが、この調子なら今夜中に素直な由一が抱ける。
そう思うと、自然と声も優しくなっていた。
「・・・・・いいだろう。さっさと食事をして、シャワーを浴びて服を着るんだ」
「は、はいっ」
由一は嬉しそうに返事をすると、急いでステーキを口に運んだ。
そして広いバスルームに走り、シャワーブースで勢いよく身体を洗い、堂本が用意してくれた衣服に袖を通していく。白い高価なYシャツと、黒いコットンのスラックス。
ベルトには、グッチのロゴが入っていた。
最後に黒い革のスニーカーを履き、急いでソファに座っている堂本の前に走っていく。
「あ、あのっ。できましたっ。これでいいですか?」
由一は、一カ月ぶりに外の空気が吸えることが嬉しくてしょうがなかった。
堂本の情夫とか、借金の形とかそんなことよりも、この鳥籠のようなマンションから出してもらえる喜びの方が強かったのだ。
もう、嬉しくてしょうがない。
「・・・よく似合っている」
堂本は、用意したオートクチュールの服を着た由一を見て、左目を細めて言った。